第4話 入れ違い
……なんだ? さっきから妙にたくさんの視線を感じる。
気になって周囲に首を巡らせてみるも、特にこっちを見ているやつは……ん?
「な、なんであいつがまたいるんだ……?」
「……」
少年漫画コーナーから少し離れた本棚からこちらを強烈に睨み付けている委員長と目があった。
俺は驚いてとっさに目を逸らしてしまうのだが、どうにも視界の端でまだ委員長がこちらを睨んでいる気配がする。
いやまさか、気のせいだろう。
俺が一体なにをしたっていうんだ。
だが気になってもう一度委員長のほうを見てみると……ダメだ、気のせいなんかじゃない。100%ガンを飛ばされている。
しかもその眼力はどうにも尋常じゃない。前に委員長の机を誤って蹴り飛ばしてしまったときも大概だったが、今回はさらに強烈な眼光を放っている。視線で人が殺せそうだ。
というかいままさに俺がストレスでどうにかなりそう。
「なんなんだよ一体……まさか」
俺の脳裏に最悪の事態が思い浮かぶ。
まさか、バレて、いるのか……?
俺が少女漫画を求めてこの本屋にやってきたことが、なんらかの理由で委員長にバレている? そして委員長は決定的な証拠をおさえようと、俺を監視している?
ありえない話ではない。
委員長は俺のことを毛嫌いしている。殺意すら感じさせるあの視線。あわよくば学校から追い出したいとさえ考えていても不思議ではない。
「ぐっ……絶対に、バレちゃダメだ……」
ただでさえ知り合いに少女漫画を嗜んでいるだなんて知られたら致命的なのに、悪意をもった人間に現場を押さえられたらどうなるかわからない。マジで不登校か転校まで追い詰められてしまう。そして本当は不良でもなんでもない俺には、そんな悪意に抗う力はない。
ここはいったん引くか……?
1日でも早く『初恋ファンファーレ』の続きを読みたいところにこのタイムロスは厳しいが、また明日に再挑戦するという手も……。
そう思って本棚から動こうとしたときだ。
「な……っ!」
信じられない光景が目に飛び込んでくる。
雑誌コーナーにいた親子連れが、いままさに「ハローリボン」の今月号を手に取り、レジに向かうではないか。
その結果、棚に残されたハローリボンは残り1冊。
残り1冊だ!
「マジかよ……」
いったん出直して、また明日再挑戦? ……そんなの無理だ。
ただでさえ普段から人の出入りが多い駅前の大型書店。しかも週末。
最後の一冊が明日まで残っている可能性は限りなく低い。
「ぐっ、どうする……もう諦めて『初恋ファンファーレ』の続きは単行本収録を待つか……?」
いや、いや、ダメだ。
初恋ファンファーレの単行本はついこの前出たばかり。
つまり今月号の話が収録されるのは数か月後。月刊誌は単行本の出版スパンが週刊誌に比べて非常に長いのだ。
続きが気になって1ヶ月待つのもしんどいというのに、何ヶ月も先の単行本収録なんて待っていられない。
大体、少女漫画の単行本なんて雑誌を買うよりもハードルが高いのでは?
雑誌コーナーに足を向けるのでさえこんなに苦戦しているのに、あんな通り過ぎるだけでもなんかちょっと変な汗をかいてしまいそうな少女漫画コーナーに立ち向かえるか?
この俺が。
結論。
ハローリボンはなんとしても、今日この場で手に入れるしかない。
ここは意を決して、いますぐにでも手に取らなければならない局面だ。
しかし、
「……っ」
振り返れば、そこには相変わらず強烈な眼光でこちらを睨む委員長の姿。
こちらと目があっても一向に逸らそうとせず、逆に俺のほうが気迫負けして目を逸らしてしまう。
そこでふと、委員長の態度はこちらの弱みを握ろうとしているにしては堂々としすぎではないかと不思議に思ったが、いま重要なのはそこではない。
とにもかくにも、俺に悪意を持つクラスメートが俺を監視していることに変わりはないのだ。この膠着状態が続く限り、俺がハローリボンを入手することは不可能だろう。
なにかアクションを起こさなければならない。
「とりあえず、少女漫画を買いに来たんじゃないってことはアピールしとかないとな……」
俺は目の前の本棚をざっと確認する。
ちょうど良いことに、ここは少年漫画コーナー。それも少年漫画雑誌でのトップランカー、週刊少年ステップの棚だ。男子中学生の俺がこの本棚から漫画を買うのは極々自然。
とはいえあまりに適当なタイトルを買っても違和感があるだろうから、手に取る単行本はある程度慎重に吟味する。
ええと、人気シリーズの最新刊なんかがベタだろうか。
「お、これなんか見覚えあるな」
そこで俺は、ネットニュースなんかでもよく名前が目に入るシリーズ作品の最新刊に手を伸ばした。そんなに熱心に少年漫画を読んでいるわけではない俺でも聞き覚えがあるのだから、相当の人気シリーズのはずだ。
「うん、よし、これでいこう」
俺は頭の中で財布の中身を確認し、ハローリボンと帰りの電車賃をあわせてもギリギリで金が足りると頷いてからその少年漫画をレジに運ぶのだった。
●
やった!
私は少年漫画コーナーから不良が立ち去ったのを見て、心の中で歓声をあげていた。
本当はガンを飛ばして向こうが突っかかってきたら警備員さんに助けを求める、という作戦だったのだが、不良がいなくなってくれたならなんでもいい。
万引きに来ていたような雰囲気の不良がわざわざ商品をレジに運んだことには違和感を覚えたが、それもいまどうでもいい。
くくく。
これでようやく「白子のテニス」の最新刊を手に入れることができる!
不良がレジで会計を済ませ店を出て行ったタイミングで、私は少年漫画コーナーに飛び込んだ。
白子のテニス最新刊の表紙は、主人公の白子とライバルのイクラが「これキスでもするの?」とばかりの至近距離で睨み合う、いろんな意味で激アツの構図。
週刊少年ステップの新刊告知ページで表紙が公開されてから今日まで毎日のように眺めていた垂涎の表紙だ。平積みされている数多の漫画本の中から一瞬で見つける自信がある。
私は嬉々として平積みコーナーに舐めるような視線を向けた。
だが……。
「……あれ?」
な、い……?
「いや、そんなはずは……」
だが、ない。
平積みコーナーを何回も往復して確かめる。
だが何度確認しても、白子のテニスは既刊分しか置かれていない。
最新刊の代わりに見つけたのは、ちょうど単行本一冊分ぽっかりとひらけている、謎の空白地帯。
脳が現実を受け入れることを拒んでいるが、これは、まさか……。
「う、売り切れ……?」
そんなバカな……。
私はもう一度少年漫画コーナーを物色する。
平積みがダメなら、棚差しされているぶんは……ない!
ならば最新刊コーナーは……ない!
ならば最後は……。
「あ、あの! すみません!」
私は先程不良の万引きを警戒していた店員さんに声をかける。
「あの、白子のテニスの最新刊ってありませんか!?」
「うぉ……少々お待ちください」
私があまりに必死の形相をしていたからだろうか。
店員さんはびくりと身体を揺らしてから在庫検索をはじめてくれた。
必死でキモい腐女子だと思われたかもしれないが、いまはそんなことどうでもいい。どうせここは隣町の本屋だし。いまはとにかく、白子のテニスの最新刊だ。
白子とイクラがテニスコートの中で織りなす熱い試合……衆人環視のもとで行われる激アツな逢瀬を脳みそにぶち込んでフィーバーすることしか考えられない。
「ええとですね……」
店員さんが恐る恐るといった様子で顔をあげる。
「ちょうどいましがた在庫分が全部売り切れてしまったみたいで……人気作ですので、入荷にはしばらくかかるかと」
はああああああああああああああああああっ!?
「そ、うですか」
か細い声でそう呟くのが精一杯だった。
ちょうどいましがた売り切れた、だと……?
レジのほうはあまり注意していなかったからわからないが、そんなニアミスで白子のテニス最新刊を逃したというの……?
事前に予約か取り置きをちゃんと頼んでいれば……。
「ありがとうございました……」
私は店員さんにお礼を言ってから、真っ白い灰のようになってふらふらと店の出口に向かう。と、そのときだった。
ぶぶぶぶ、と携帯が震える。母親からだ。
「もしもし……」
『あんたさあ、まだ本屋にいる?』
「いるけど、どうしたの……」
お母さんは私が死にかけのカラスみたいな声であることなど気にもとめず、一方的に要件を告げてくる。
『ちょうどよかったわー。ヒナが欲しい本があるって言っててねー、あとでお金返すから、ついでに買ってきてくれない?』
「いいけど……」
私は母親に言われるがまま、もう一度漫画コーナーに戻った。
ヒナ――少し年の離れた妹が欲しがっているという本はコミックではなく漫画雑誌だった。生粋の単行本派である私にはあまり馴染みのない雑誌コーナーに立ち寄り、買ってくるよう頼まれたその雑誌を探す。
「ああ、これね。ちょうどよかったわ。最後の一冊」
あはは、こんなところで運の良さを発揮しなくてもいいのに。
私はそう自嘲しながら、ハローリボンと銘打たれたその少女漫画雑誌をレジに持っていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます