第3話 アンジャッシュスタート

「……っ!」


 その姿を視界の隅に捉えた瞬間、俺の心臓が大きく跳ねた。


「あいつは……」 

 うちのクラスで委員長を務める真面目女子。

 私服姿なんて始めて見たし、化粧でもしているのか顔の雰囲気が微妙に違う気もするが……あんな美少女、めったにいるもんじゃない。

 間違いなく、あいつは委員長だ。


「なんでよりにもよってあいつがいるんだよ……っ」


 生真面目、堅物、融通がきかない。


 規律と秩序をなによりも重んじ、優秀な成績と模範的な生活態度で教師から絶大な信頼を得ているナチュラルボーン委員長。

 その品行方正っぷりから渾名はずばり「委員長」。

 誰も本名を呼ばないもんだから、ぶっちゃけ名前が思い出せないほどだ。

 

 そんでもってまあ、そんだけ真面目なやつだからか、委員長はどうも不良扱いされている俺のことを随分と毛嫌いしているらしい。


 以前、誤ってあいつの机に足が当たってしまったことがあるのだが、そのときは親の仇でも見るような凄まじい目つきで睨まれた。思い出しただけで嫌な汗が出る。確実に人生の終盤まで引きずるトラウマのひとつである。

 ただでさえ人から敵意を向けられるのは苦手なのに、それが委員長レベルの美少女とあってダメージ10倍である。


 とまあ、とにかく委員長は俺のことをすこぶる嫌っているわけだが……そんなやつに俺が少女漫画を買っているなどとバレたらどうなるか。


 女子のネットワークは恐ろしい。

 週明けにはあらゆる手段を使って学校中に拡散されてしまうだろう。

 学校に俺の居場所はなくなると思ってまず間違いない。


 コミュ力の高いやつなら、バレてしまった弱みをネタにして周囲と距離を詰めるきっかけにすればいい、とか考えるかもしれないが、そんなことができればこんなことになってねえんだよ。


「ぐっ、どうする……ここは一度本屋を出て……ん?」 


 俺が思考を巡らせていると、委員長はきびすを返して漫画コーナーを出ていってしまった。


「なんだ? お目当ての新刊が入荷遅れだったとか……?」


 まあなんでもいい。

 予想外の脅威があっさりといなくなってくれたことに安心し、俺は少年コミックコーナーに陣取ったまま、雑誌コーナーの様子を窺い続ける作業に戻るのだった。


      ●


(いつまで同じところに突っ立ってんだ社会のゴミがあああああっ!)


 漫画コーナーをいったん離れて、およそ10分。

 さすがにもういなくなっているだろうと戻ってきたのだが……不良は10分前と同じ場所に立って同じようにキョロキョロしていた。


「なんなのよあいつ……」


 どう考えてもおかしい。

 目当ての漫画が見つからずに同じ本棚を何度も見てまわるという経験なら自分にもあるが、あの不良はそういう様子でもない。そもそも目の前の本棚にあまり目をやっていないのだ。どちらかというと周囲を気にするばかりで、どう見ても挙動不審である。


「もしかして……」


 ひとつの疑念が浮かぶ。

 学校一の不良。

 人気漫画コーナー。

 周囲を気にする挙動不審っぷり。

 そしてトートバッグ。

 考えられる可能性は1つしかなかった。


「まさかあいつ、万引きでもしようとしてるの……?」

 

 あり得ない話ではない。

 人気漫画は古本屋はもちろん転売でも高く売れる。

 ゆえに小遣い稼ぎとして万引きをするような輩がいるという耳を疑うような話は聞くし、あの不良もそのひとりなのかもしれない。


 万引きによる書店側の被害は甚大だ。

 

 一冊の万引きで出た損失を補填するには数冊の本を売らなければならないといわれているし、万引きが原因で閉店した本屋も少なくないという。許しがたい行為だ。


「あの挙動不審っぷり……可能性は高いわね」


 私は不良がなにか怪しい動きをしないか見張りつつ、近くを通りかかった書店員さんに声をかけた。


「あの、怪しい人がいるんですけど」 


 すると店員さんは「しーっ」と口元に指をあててこんなことを耳打ちしてきた。


「私たちもさっきから警戒していて。ほら、いまも万引きGメンの人が見張ってるでしょう?」


 指さされたほうを見ると、不良の死角にさりげなく立っている男性がいる。

 警戒されないようにか露骨に視線を向けたりはしていないが、言われてみれば不良の動向を気にしているように見えた。


「万引きじゃなくても他のお客様に迷惑だし、早くどこかに行ってほしいんだけど……」


 まさにいま最も迷惑をかけられているであろう私は「まったくですね」と頷いてから、もう一度不良を睨み付けた。

 まったく。本当にいい迷惑だわ。

 こっちは一刻も早く「白子のテニス」を読みたいというのに。

 いや、読むだけじゃない。読んで妄想を繰り返し、同士達の感想をネットで漁るまでが新刊を入手した際の作法だ。


 こうしてもたもたしているうちに、貴重な休日が無為に過ぎ去っていく。帰りの電車内でコミックを読むわけにもいかないから(変な笑い声とか出ちゃう)、このままでは土曜日がまるまる潰れてしまうだろう。

 どうにかして、少しでも早くあの不良を排除しなければ。




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