第10話 嫁入り

 行列の進行速度は、のんびりとしたものだったが、そのペースで最後まで行くという保証もなかった。北峰神社きたみねじんじゃまで、自転車をとばしてもけっこうな距離だ。

 油揚げの買い置きが冷蔵庫にあることは確認済み。厚揚げじゃなく、薄揚げだぞ、とシオに念押しされていたが、自宅の買い置きは幸い、薄揚げだった。

 服を着替え、靴下を履き、ダッフルコートを着込んだ。忍び足で両親の寝室の前を通り、階段を下りて台所にまわって、冷蔵庫から未開封の油揚げを取り出して玄関に急ぐ。


 自転車のカゴに油揚げを入れ、車道までそっと押してから、サドルにまたがった。


 外は寒かったが、風は追い風だった。


 真夜中過ぎの住宅街は、明かりのついた家もあるものの、しんと静まり返っていて、ペダルを踏むぎしぎしという音、それに自分の呼吸音が、やけに間近に聞こえた。手袋をはめてこなかったことが悔やまれたが、取りに戻る暇もない。





 神社へ急ぎながら、千颯ちはやは考えをめぐらせた。


 オタケギツネは往還おうかん山から来たと言っていた。嫁入り先は、駅の近くの北峰神社きたみねじんじゃ。行列が通っていたのは、中学校から駅へつながる道だ。千颯ちはやの家は中学校と駅の中間あたりで、千颯ちはやの家を頂点に二等辺三角形を描くことができる。


 行く手に浮かんだ信号機が、黄色で点滅しているのが見えた。

その真下を全速力で走りすぎながら、千颯ちはやは知らず知らずに、目をつぶっていた。

路上を染める途切れ途切れの黄色い光は、いかにも自分の知らない世界を行くような心持ちにさせた。


 コンビニの前を通り過ぎるとき、人がいるかどうか確かめずにいれなかった。しかし、どこにも人の姿はなく、車の一台ともすれ違わない。


 街全体が、放課後の校舎になったみたいに、冷たく、静かだった。


 大通りを左に曲がり、駅のロータリー前を直進すると、北峰神社きたみねじんじゃの朱色の柵が見えてきた。

 参道の正面で、千颯ちはやは自転車を下りた。

 石造りの巨大な鳥居のそばで自転車のスタンドを立て、カゴに入れておいた油揚げを手に参道へ踏み込んだ。


 ふと、足を見て、またも「夕方におろしたスニーカー」を履いてきたことに気がついたが、もう鳥居はくぐったあとだ。鳥居を振り返り、太い注連縄しめなわから幾筋がさげられた紙垂しでが、落ちてきていないかどうかだけ確かめる。大丈夫そうだったが、ぐずぐずしているとまた紙垂しでがちぎれてくるのではと怖くなり、千颯ちはやはきびすをかえして境内に駆け出した。


 大鳥居からの石畳は平坦に延びており、その先に、本殿へ向かう石段があった。往還稲荷おうかんいなりのそれに比べると、十倍も横幅が広い石段を、千颯ちはやは一気に駆け上がった。

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