第8話 スニーカー

 またもや、正解だった。新品のスニーカーは、進級のお祝いとして、祖母から送られてきたものだった。明日から履こうと思って、前日のうちに玄関に置いておいた。すると、夕方に母親から呼ばれ、お隣さんに回覧板を持っていくよう頼まれた。わかった、と言って隣家を訪ね、回覧板を渡して帰ってきたとき、千颯ちはやは、新品を履いていってしまったことに気がついた。

 新しい靴は朝におろす。その迷信なら知っているし、これまで実践もしてきたのだが、本当のところをいえば、なぜそれが悪いのか、守らなかったからといってなにが起こるというのか、気にしたことはなかった。


「しまったな」

 四角い紙を手に、シオは戸惑った表情を見せた。

「え、なにが」

「日暮れに新しい靴を履くと、おキツネ様に化かされるって、日本の常識じゃないのか?」

 つきあいきれない、といったふうにシオは頭をかかえてみせた。


「夕方におろした靴を履いて、紙垂しでをやぶった」

「しで?」

「この紙」

 シオは鳥居を指でさした。四角い紙を斜めにつないだ紙の飾りのことを「しで」と呼ぶのだと、そっけない説明が続いた。玉串たまぐしなどにつけた場合はおはらいの道具としての意味を持つが、鳥居など、注連縄しめなわとくっつけて飾られているものは聖域を表す印になるのだという。

「おキツネ様に、目をつけられた、ってことだよ」


 その発言には、またも、予言めいた不吉さがにじんでいた。

「そんな…どうしよう」

「五円玉あるから、賽銭箱に入れて謝る。あと、油揚げの準備を忘れずにな」

 シオは古ぼけた社を振り返った。


「ああ、あと、あれ、すみません、ごめんなさい、できることはなんでもやりますって、誓うよな?」

 最後の台詞セリフに、千颯ちはやはとまどった。

「ないよ、できることなんか」

「なんで決めつけんだよ」

 口調に凄みをつけながら、シオは千颯ちはやに一歩近づいた。

「決めつけは悪だぞ」

「で、でも」

「悪魔のこと、英語でなんていうか知ってるよな。デーモンだよ。日本語で否定の前にくる『でも』って言葉は、このデーモンからきてる。でも。でもぉ。その弱音を聞きつけて、悪魔は来るんだ。甘い蜜に誘われるみたいにな。それでなにもかも台無しにしてくれる。だから、でも、なんて言うなよ」


 五円玉を握らされた千颯ちはやは、それを賽銭箱に投げ入れ、祖母から教わった「二礼二拍手一礼」を、ていねいに実践した。

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