第7話 核

 嘘だとわかってはいても。

 女子から『好き』と言われたら、動揺する。

 なんといっても、そんなことを言われたのは初めてなのだ。

 嫌いって言われたりすることはあっても、好きはない。もてない男だからこそ、『好き』って言葉は、信じられないほどの攻撃力で俺を貫いた。

「ね。私を手伝ってくれない? もちろん、お礼はするわよ」

 桜田は意味ありげに微笑みながら、なぜかブラウスのボタンをはずし始めた。

 豊満な胸元が大きく開く。あらわになった白くて深い谷間に思わず目が吸い寄せられる。

 いけない、と思う。

 完全に、術中にハマっていく。

「ダメよ!」

 川野が叫ぶ。

コアはあなたね、桜田さん」

 川野が俺と桜田の間に入った。

 虹色に光り輝くボールペンを桜田の方へと向ける。

「あら。どうするの?」

 桜田は余裕の表情で、髪をかき上げた。その仕草が何とも言えぬほどなまめかしい。

「こんなことをしても意味がないでしょう? 男子生徒を支配しても、この世界は変えられないわ。あなたにはあなたの人生がある。大事な高校生活を異世界の奴らに邪魔されていいわけがないでしょ?」

 川野の叫びと共に、桜田の身体が虹色の光の輪郭を帯びた。

「くっ」

 桜田の顔が、苦痛を耐えているようにみえる。

「少しは力があるようね。でも、あなたみたいに、何でも持っているような子には、私は負けない」

 パチン、と桜田が指を鳴らす。

 虹色の光が彼女から放たれて、川野の身体を縛り付けた。

「ああっ」

 川野が苦しげに叫ぶ。

「あなたはいいわよね。いかにも清純って感じで。笑顔一つで男をだませるんだから。彼もそうなんでしょ?」

 桜田は川野を睨みつけ、俺の方を見た。

「私が彼女からしてあげる」

 桜田の唇に魅惑的な笑みが浮かぶ。

 俺の唇に桜田の指が触れる。

「よく見れば、それなりにいい男ね。素材は悪くないわ。言われたことない?」

 俺の全身が熱くなる。動悸が激しくなり、何も考えられなくなってきた。まずい。俺は無意識に桜田の身体を抱き寄せ、誘われるがままに、キスをしようと唇を近づける。

「大沢君!」

 川野が叫ぶ。泣いているような声だ。

「大沢君、やめて! お願い!」

 川野の声が俺を現実に引き戻した。

 桜田から流れてくる甘い香りに、血がたぎる……けど。

 ふと見れば、桜田の目にうっすらと涙が浮かんでいて、肩も震えている。

 表面では男を挑発していても、本当は怖いのかもしれない。ことさらに悪女を演じているのは、異世界からの干渉なのだろうか。

 俺は彼女の身体を離し、上着を脱いだ。

「無理しちゃだめだ」

 俺は上着を桜田の肩にかける。

「好きでもない男に肌を見せたり、キスさせようとしたり。そんなこと、本当は望んでいないんだろう?」

「え?」

 桜田の目が大きく見開いた。

「男を手玉に取るのが楽しいのかもしれない。でも、そんな自分が嫌いならただ辛いだけだと思う」

 桜田から感じていた力が遠ざかり、動悸がおさまってくる。自分の感覚が戻ってきた。

「世界を手に入れても、自分のことが嫌いなら、何も面白くないよ」

「ああっ」

 桜田が顔を手で覆う。

「やめて! 優しい言葉を操らないで! 私の心をかき乱さないで!」

 ふるふると肩が震えている。

「どうしてそんなに簡単にひとの心に入ってくるの? ずるいよ」

 桜田は俺から背を向ける。一瞬、辺りが虹色の光に包まれた。

「あ」

 光が消えるとともに川野も解放される。

 かなりダメージを受けていたのだろう。川野の身体がぐらりと揺れた。

「大丈夫か?」

 崩れそうな川野の身体を駆け寄って支える。

「……平気」

 川野は小さく頷いてみせて俺から離れた。

「桜田さん」

 川野は優しく桜田の肩を抱いた。

「安心して。大沢君の力で、あなたに根を張っていた異世界からのコアは消えたわ。もう悪夢を見なくていいの」

 桜田はしゃくりあげながら泣きじゃくっている。

「核?」

 俺の問いに、川野が頷いた。

「奴らはこっちの世界の人間に異世界エネルギーの核を植え付けて、意のままに操ろうとするの。そして、核に選ばれた人間は、少しずつそのエネルギーを分け与えて、仲間を増やしていくの」

「へえ」

 やっと世界征服っぽい話になった気がする。

「核に選ばれると、毎夜のように悪夢を見させられるの。病むほどにね」

 川野は桜田の背中をさすりながら答える。

「怖かったですね。もう大丈夫ですよ」

 優しく川野は桜田に話しかけている。

「こいつらはどうする?」

 俺は未だ地面に倒れている男子生徒を指さした。

「ああ、そうでした」

 川野は振り返って、大きく柏手のように手を叩いた。

 パンという音共に、空気が振動する。

「ジャムパン! 売り切れますよ!」

「何?」

 川野の言葉に、男たちが跳ね起きると、こちらを気にする間もなく、購買の方へ走って行った。

 あいつら……一応、焼きそばパン、食べた後だったと思うんだけど。

「これで解決です」

 川野は満足そうに頷く。

 なぜ、ジャムパンなのかわからないが、そこは問題ではない気もする。

 というか。高岡も走っていった気が……まあ、やつも桜田に操られていたのかもしれない。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 桜田は涙を拭き終えたらしい。微笑んで、俺の上着を軽く畳んで返してくれた。

 先ほどとは違う、少女っぽい素直な笑みだ。

「あなたなら、キスしても良かったな」

「へ?」

 ポツリと彼女が呟いたように思ったのは、俺の願望からの幻聴だろうか?

「じゃあ、私、放送があるから」

 桜田は手をふって放送室に戻っていった。

 ああそうか。昼の放送も終わるのか。

 急に腹が減ってきた。そう言えば、まだ飯を食っていない。

「腹減ったな」

「お昼、食べないとお休み終わっちゃいますね」

 俺と川野は慌てて、教室に戻ることにした。




 

 



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