第3話 二宮金次郎

 これはどういうことなのだろう。

「彼奴らの仕業です」

 川野は、先ほどのボールペンを取り出して見せた。

 ぴかぴかと虹色に発光している。

「そうなんだ」

 俺は事態を把握できないまま、頷いた。

 スマホを手にした二宮金次郎は、最初からその姿であったかのようになじんでいて、意識しなければ気が付かないさりげなさだ。まるで、間違い探しのようである。

「確かに凄い」

 すり替えたのか、作り変えたのかは、わからない。でも、銅像が別物になっているのは間違いない。

 仮に手の込んだいたずらだとしても、手間と経費がかかっている。

「これを直すのはたいへんそうですね」

 川野は眉根を寄せて、ため息をついた。

「え? こんなの直せるの?」

「異世界から送られてくる力を遮断するキーワードを見つければいいんです。ただ、問題は、こうした細かい『すり替え』が校内各所で頻繁に行われているということです」

「すり替わると何がどうなるわけ?」

 俺は素朴な疑問を口にする。

 二宮金次郎が本からスマホに持ち替えたのはさすがに驚いたけれど、だからといって、何がどう困るのかと言われると、よくわからない。

 江戸時代に本を読んで歩いた姿を現代に置き換えたなら、ながらスマホでおかしくないのかも。

 ひょっとしたら、単純に電子書籍に変わったとも考えられる。

 だとしたら、単に時代に合わせただけなのかも。

「何気ない日常が、少しずつ奴らの価値観で塗り替えられていき、いつの間にか私たちは奴らに支配されてしまうことになります。この銅像に関して言うなら、学びの象徴として作られた像が、ながらスマホという現代ではやってはいけない行為に差し替えられてしまっています」

 川野は肩をすくめた。

「まあ、確かに褒められる行為ではないと思うけど、現代風に置き換えって考えたら、これはこれで正しいような気もしなくもないんだけど」

 変ではあるけど、全否定するのもおかしい気がする。

「それはそうかもしれません。ただ、そうやって少しずつゆがめられた価値観の果てにあるものを、奴らは狙っているのです」

「……難しすぎる」

 俺は顔をしかめる。

 だいたい、この銅像の存在価値の変化で、俺たちの人生がどの程度変わるのだろうか?

 わからない。

「ところで。私の話、これで少しは信じてくれました?」

 川野が俺を見つめる。

「変なことが起きているって程度には」

 ただ、これで世界征服とかどうやってするのか、さっぱり理解できないけれど。

「では、実戦をしてみましょう」

「はい?」

 俺は川野に手を引かれて、銅像のそばへと連れていかれた。

「はい。大沢君。囁いて!」

「は?」

 何をどうしろというのだろう。

 何の説明もなく、何の台本もない。

「この銅像がスマホから目を離したくなるようなことを言ってみて」

「目を離したくなる?」

 俺は二宮金次郎の像を見上げた。スマホから目を離したくなることって何だろう?

「ここ、Wi-Fi、来てないですよ?」

 苦し紛れに俺は像に話しかけた。

 へ? ピクンと、像が一瞬動いたように見えた。

「もう一押しです!」

 川野がギュッとこぶしを握り締める。

 は? そんなノリなの?

 要するに、これって、大喜利?

 ウケをとればいいってことなのか? 俺は必死で考えを巡らせる。

 その時。突然、ご都合主義のように強い木枯らしが中庭に吹いた。

「やだっ」

 ふわっと川野のスカートが派手にめくれ上がる。

 男の悲しいサガで、俺は像のことを忘れ、スカートの中身に目を奪われた。純白のレースのパンティと長くてきれいな足だった。

「白のレース」

 思わず呟いてしまう。

「や……大沢君のバカっ!」

 川野が真っ赤になってスカートをおさえたその時。

 二宮金次郎の像が虹色に光った。

 光の中で一瞬、二宮金次郎の目が川野のスカートの中身の方に向く。

「まじかよ?」

 川野と俺の視線を感じたのか、二宮金次郎は慌ててに視線を落とす。

 光が消えると、すっかり昔ながらの二宮金次郎の像に戻っていた。

「戻りましたね。結局、ただのスケベでしたけど」

 川野は顔を赤らめたまま、口をへの字に曲げる。

「偉人といえども、男だからなあ」

 そ知らぬ顔で本を読む二宮金次郎を見上げながら、俺は苦笑した。

 なんだかよくわからないけれど、像は元に戻ったようだ。異世界の攻撃をひとつ阻止したらしい。

「とりあえず、試験は合格です」

 川野はコホンと咳払いをする。

「え? 俺、たいして何もしてないと思うけど」

 銅像が元に戻ったのって、俺の囁きじゃなくて、川野のパンチラのおかげだと思う。

「いいんです。私が合格って決めましたから」

 相変わらず、妙におしが強い。

 川野は胸元のポケットから、カードを一枚取り出した。

 キャッシュカードみたいな大きさで、『科学技術庁 分室 異世界侵略防衛隊 隊員証明書』って印刷がしてある。

 軽くて固い。キラキラしたシールがあって、ICチップみたいなのがくっついていた。

「裏に名前を書いておいてください」

 にっこりと川野は笑う。

「えっと」

 何が何だかわからない。

「本物よ。大沢君は今から国家秘密公務員」

 ちょっと展開についていけない。そもそも国家秘密公務員って何?

「正式な辞令はお役所の方から来ると思うけど、とりあえず渡しておきますね。長い間、ひとりで頑張ってきたけれど、ようやく仲間ができてうれしいです」

 川野は俺の手をぎゅっと握りしめた。細くて白い、ちょっと冷たい指が俺の手に絡む。

 彼女の大きな目に俺の姿が映っている。嬉しそうな笑顔から目が離せなくなった。

 俺、たぶん、アホだ。

 川野の話が本当だったにしろ、嘘だったにしろ。関わり合いにならない方が、絶対に身のためだとわかっているのに、なんか胸がドキドキしている。嘘でもなんでも、川野と一緒にいられたらいいやって気分になってきた。

「とりあえず教室に戻りましょう。このことは私と大沢君の秘密です」

 川野は自分の唇に指をあてたあと、その指で俺の唇にそっと触れる。

「約束ですよ」

 その言葉は、妙に色っぽかった。




 二人で並んで歩いていたのに、教室の前で不意に川野は足を止めた。まだチャイムが鳴るには早い時間なので、教室は席についているものはほとんどおらず、中はざわざわとしている。

「どうした?」

 扉を開けようと手をのばす川野の顔にためらいの色があった。

 ああ、そうか。ひょっとしたら世間体というのを気にしているのかもしれない。

 いろいろぶっ飛んだところがあって、普通じゃない川野だが、俺と二人でいた事を他の人間には知られたくないのかも。一応、異世界侵略の話は秘密事項みたいだし。

 それに、誰かと付き合っているって話は聞かないけれど、好きな男がいるのかもしれない。変な誤解されたくないって思っても不思議じゃない。

「ふーん」

 さっきまで、俺の中にあった高揚感が冷めていった。

 少し見つめられただけで、舞い上がっていた自分はつくづくチョロいと思う。

 ズボンのポケットに手を突っ込むと、渡されたカードが手に当たった。思わず苦いものが胸に広がる。

 秘密と言われて、ちょっとばかり特別感を感じたけれど、それは異性として特別と言われたわけじゃない。

 そもそも、俺と彼女では本来生息地が違う生き物なのだ。川野は変人だけど、ヒロインクラスの美少女である。

「じゃあ、俺、前から行くわ」

 彼女の返事を聞かずに、俺は二つある教室の入り口の反対側に回る。

 たぶんだけど。俺と川野が一緒にいても、はやし立てられるようなことはないと思う。残念だけど。

 何せ、俺は『モブ中のモブ』である。良くも悪くも目立たない。それを哀しいと思うこともあるけれど、不幸でもないと思う。もちろん俺の人生では俺が主役だし、夢も希望もある。

 俺は自分の席に戻り、授業の用意をしようとして、思わず筆箱を床に落としてしまった。

「はい、どうぞ」

 拾ってくれたのは、隣の席の斉藤さいとう。ツンとした感じだけど美人だ。川野と人気を二分する。

 ただ、隣の席なので、今までもモブの俺でも多少なりとも会話することがあった。何度も言うが、俺はモブ中のモブなので、ボッチでは無い。女子とも会話する。ただし、相手の印象に残ることは無い。俺は覚えてるけど。

「ありがとう、斉藤さん」

 俺はお礼を言って、筆箱を受け取った。

 それにしても、今日はモブとしては、イベント多すぎな気がする。

「あれ? どうかした?」

 筆箱を受けとったのに、斉藤がまだ俺の方を見ている。こんなことは、今までなかった。

「大沢君、焼きそばパン、欲しくない?」

 斉藤は俺の耳もとで、そっと囁く。背筋に電撃が走った気がした。




 

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