第3話 クラッシュ!
新生活が始まってもうすぐ一ヶ月。
TVに背を向けて朝食の粉末スープにお湯を注ぎつつ、音声を聞くともなしに聞いていた。
「今日の牡羊座さんは……」
実家の隣のおじいちゃんが牡羊座だな、と思い出した。
お孫さんは私より年上で、お嫁に行くまで毎年のように美味しいパンを届けてくれた。決まって春休みの終わるころだった。
「おじいちゃんの誕生日にお気に入りのレストランに行ったから、お土産よ」
とのこと。
「総合運は星三つです!」
あの一家も元気にしているといいな。
いつもなら何気なく聞き流すその星占いに、今朝だけは思わず目を見張った。
私の星座の今日の運勢は。
恋愛運、星三つ。
仕事運、星三つ。
健康運、星三つ。
なのに、総合運、星一つ。
なんだこれ。
恋、仕事、健康。これが全部ラッキーなら総合的にもラッキーではないの?
もちろんこの三つが人生の全てではない。
でも、この占いの世界観では幸せの三本柱くらいに重視しているんじゃないの?
幸せの三本柱はすべて運気絶好調。
でも総合的には不調。
一体なぜ?
信じないけれど不安になる。
恋、仕事、健康すべてに恵まれるのと引き換えに大きな代償があるとか?
三つのどれとも関係の薄い分野で不吉なことが起きそうだとか?
就職と一人暮らし。
これだけでも私にとって大きな変化だ。特別な幸運なんて無くてもいいから、つつがなく過ごさせてほしい。
恋愛運といわれても、まだ好きな人もいないんだし。
小学生のころに聞いた怖い話「猿の手」を思い出した。
父親が金持ちになりますように、と息子が願うと、息子は事故死して遺族に多額の保険金が……。
もしや実家の家族に何かあるのでは!?
すぐ電話しよう。
家族こそ、恋と仕事と健康のどれでもないが大切な、最たるものだ。友達ももちろん大切だけれど、出勤前の忙しない時間に一件だけ電話するなら実家だ。
弟が電話に出た。
「姉ちゃん! おはよう。どうした? 父さんか母さんに代わる?」
どうしたの、元気かい、と両親の声も聞こえた。
「代わらなくていいよ。みんな元気?」
「元気だけど……なんだよ。この間、忘れ物を取りに来たばっかりじゃん」
「あれ忘れ物じゃないから。引っ越しの荷物に入りきらなくて、休みの日に取りに行こうって決めてたから。……そっか、みんな元気ならいいの」
占いを気にしたなんて笑われそうで言いたくない。
「変なの……」
弟の声は受話器の向こう側で急ブレーキのような音に掻き消された。続いて凄まじい衝撃音。
「うわ!」
「どうしたの!?」
「……外で事故があったぽい」
受話器の向こうから心配そうな声のやりとりが、おぼろげに聞こえる。やがて弟は私との会話に戻った。
「隣のブロック塀に車が衝突したって。姉ちゃんが電話して来なかったら、父さんか俺も巻き込まれてたかも」
「へえ……」
父も弟も通勤通学に通る道だ。
背筋がゾッとした。
その間にも、電話の向こうでは両親が、たぶん隣人と何か話している。
「誰も怪我とかしてないみたい。塀が崩れて盆栽が倒れたけど、おじいさんは丁度水をやり終わって盆栽から離れたところで、運が良かった……って言うのも変だけど。車の中の人も大丈夫そう」
「なら、ホッとしたよ。そろそろ行かなくちゃ。またね」
みんな無事なのは、もちろん良かった。事故が起きないのがいちばん良いけれど。
しかし、自宅を出て春の陽を浴びても、背筋の寒気が消えない。
今回は星占いに従って大正解だった……それが私を動揺させた。
この先ずっと星占いを信じて、星一つの災いを怖れ、一喜一憂しないといけないのか。
いや、それはない。
実家の隣のおじいちゃんはどうなるのだ。
車に突っ込まれて盆栽をダメにされたのが総合運の星三つなんて、そんな占いが当たりのはずがない。
そう、偶然だ。
私が今日に限って占いを気にしたのも、電話で父と弟が助かったのも。
* * *
ゴールデンウィークに里帰りしたとき、お隣にお見舞いとお土産を持って行った。
そのとき、事故を起こした張本人が隣にお詫びに来たのと鉢合わせしてしまった。
若い男性だった。あの朝は思いがけず高価な拾い物をしてしまい、出勤前に警察に届けようとしていたが、慣れない道で気が動転してしまったそうだ。怪我ひとつしなかったとか。
やがて落とし主が現れ、塀や盆栽を弁償するのに充分なお金が入った。
あの日の総合運だけは良くなかった人が、ここにもいたようだ。
ちょっと感じの良い人だ。
帰ってしまう前に LINE を交換した。
今日の恋愛運は知らない。信じてないし。
(了)
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