第21話 真実です……。全て
「月並みだ」
「既存の香水を脱却できていない」
「俺はこういう媚びたにおいが嫌いなんだよ。いかにも、私分かってますよ的な感じがして」
「ナシだな」
次々に香水が運ばれ、審査され、僕の顔はみるみる青くなって、暗転した。審査員は酷評に次ぐ酷評を繰り広げる。今年は審査員のメンツが二人も変更されたとのことで、バランスを失っているのだろうか。いずれにせよ、代打など存在しない。会場は諦めて批評に擬態さえしていない批判を聞くしかなかった。
八番目の香水について述べているときだった。
「これはこの香水の話だけじゃないんだが……皆さんもっと香水を使う人を想像してほしい。どんな状況で、どういう感情で使うのか。それは毎日の通勤かもしれない。買い物かもしれない。でも、もしかすると人生の重大局面かもしれない。そういうときにありきたりの香水でいいのだろうか。自分にとって大切な人が使う香水を想像してみてほしい」
まだ審査の途中なのに宇緑さんはもはや総括のようなことを言った。
重苦しい雰囲気が漂った。このなかからPerfume of the yearが選ばれるとは到底思えなかった。
そして満を持して、バロン社が登場したのだ。
バロン社の香水は舞台の中央に置かれ主役然としていた。審査員はしかし物怖じせず、調香羽に香水を浸す。
会場に緊張が走る。
女性審査員からため息が漏れた。僕は、またかという気持ちだった。が、僕の認識は思い違いだった。
「とてもいい香り。フルーツの盛り合わせみたいね」
女性審査員はコメントの順番を無視して、興奮した様子で話す。
「私はこういう香りを待っていたの。なんて素晴らしいの」
これまで女性審査員は両隣の辛口審査員に比して優しいコメントを述べてきた。けれど、裏を返せば出色のできばえの香水がないということでもある。だから、女性審査員がこれほどまでに絶賛するのは驚きだった。
宇緑さんは腕を組んで、何度も頷き、女性審査員に同調している。
「予選でもそうだが、さすがといったところだ。頭一つ抜けている」
残るはあのカウボーイだ。なんとコメントするのだろう。
「時間が押しているから、一言だけ言おう。――ぶっ飛んでる」
会場がざわめいた。ここに来て審査員全員の意見が肯定的なもので一致したのだ。僕たちは焦った。僕はアリスを見る。アリスは右足で床を刻むように踏んでいる。
「アリス大丈夫?」
「うん。なんとか」
僕は思った。アリスは大丈夫じゃないと。バロン社の香水はここまで漂っていた。強い香りだ。ともすれば統一感がないと言われてしまう複数の香りにネガティブな意見は何もなかった。それもそのはず。旬のフルーツの盛り合わせみたいに華やかだった。そして、似ていた。僕たちのこれまでの香りに。
アリスにとっては複雑だろう。自分のアイデアを盗用され、あまつさえ絶賛されているのだ。でもなんとか堪えている。右足をパタパタするだけで済んでいる。
「大丈夫。僕たちが勝つに決まってるよ」
僕はアリスの手の甲に触れて――手を握った。どうしてだか分からない。僕はアリスの何者でもないのだからこんなことする資格なんかないわけだ。でも、してしまった。心より先に手が動いたんだ。アリスの手は汗ばんでいた。振りほどかれるかと思った。けど、その心配は無用だった。握り返されることはなかったけど、拒絶されることもなかった。
「うん……」
アリスはそう言って、黙っていた。僕はいつまでもそうしているわけにもいかず、手を放した。
「さあ、ここで解説に移ります」
僕たち二人だけの気まずい沈黙を晴らしたのは、司会者の陽気な声だった。
バロン社の調香師がアリスの隣から席を立ち、舞台中央に向かう。
「意識したのは多様性です。我々バロン社は日本の企業ですので、これまで使用者は日本人を想定していました。しかし、日本はあくまで約二百程度ある国のうちの一つ。持続的発展を理念として掲げている以上、我々はもっと世界に目を向けないといけない。そこでこの香りを作ったわけです」
調香師は脂下がった目つきで話した。香りの要素、使用者の状況なども予想して話している。でもそれはこれまで審査されていた香水たちの酷評を聞いているのだから対応は容易だろう。
「感心したよ」
宇緑さんはバロン社の悪質さにはまるで気づいていないように言った。
「日本の香水がここまで来るなんて。僕には思いも寄らなかった」
「多様性は、まさに今求められていることですからね」
女性審査員も毒にも薬にもならないことを言った。
勝負あったか、という感じだ。おそらくバロン社が言っていることは事実なのだろう。多様性という言葉はつまりこの場面では複数の悪臭を意味するのだと思う。バロン社はアリスの元に潜入し、その方法を学んだ。そして、資金力を活かし同様のことを行った。悪臭を活かすアイデアを盗用したのみならず、複数の悪臭を用いるというアイデアに昇華させたのだ。つくづく、悪知恵が働くと思う。
「それでは、最後の――」
そこで司会者は言葉を切った。不自然な息継ぎだと思って見てみると、司会者は一点を見ているではないか。すると、観客の一人が舞台に上がってきた。明らかに場違いな格好でよれよれでくたくたな服を着ていたおじさんだった。
「おうおう、少し時間をくれないか。やりがい搾取はもう我慢ならないよ」
何事か、と思った。僕は演出かと思った。しかし、審査員は動揺しており、警備員が走ってくる。舞台は大勢のキャストで賑わうコントみたいだった。異常事態である。
「今は審査の途中ですので」
「んなこと気にしてられるか!!」
陽気な司会者はスイッチを切り替えたようにプロ根性で冷静に対応したのだが、乱入者の怒りは収まらない。何を一体怒っているのだろう。僕は恐れと混乱に覆われた。
おかしかったのはバロン社だ。乱入者の氏素性が分からないのだから近づくのは危険である。なのにバロン社のスタッフが複数、向かっていく。どうやら顔見知りらしかった。
「この場では止めてください。我が社の社運がかかっているので」
「あのことは謝ります。謝礼は後日払いますから」
「るせぇな。あんた会社側はいつもそうだ。払う払うって言って、待ってみたら小銭程度しかくれねぇ。こちとら二週間も拘束されたんだぞ! それで小学生のお年玉程度で満足しろってか!!!!!」
お金の問題で揉めているようだった。会社側の対応に満足できない乱入者は一番打撃を与えられるこの場を選んだのだろうか。けれど、それにしてもバロン社の焦りようは尋常じゃない。それに乱入者も、バロン社っぽさがないのだ。その違和感の源を掘っていると、
「あんたらの誠意が見られないから、俺だって腹くくってきたよ。ここで言うからな。いいよな!」
「お止めください。秘密保持契約を結びましたよね」
「関係ねぇ!!」
すると、乱入者は司会者のマイクを奪う。
「えーーお集まりの皆さん、残念なお知らせです。バロン社の香水は私めの、いやたくさんのバイトの悪臭が使われております。わきが、おなら……」
そこでバロン社のスタッフが口を塞いだ。その隙間から乱入者が無理矢理喋ろうとする。服を掴み、掴まれる。叫び。スマホを向けている観客。逃げ惑う観客。
「警備員!! 警備員」
「何すんだ! 放せよ」
すったもんだの末、ようやく乱入者は強引に退去させられた。が、時既に遅し。観客のざわめきは最高潮に達する。
バロン社の香水の秘密が暴露されたのだ。業界最大手の隠しておきたい秘密がまさかここで告発されるとは思わなかったのだろう。
「静粛に!」
宇緑さんが裁判官のように言う。
「皆様、お静かに」
司会者も役目をこなそうと必死。収拾のつかなくなったコンテストをなんとかまとめようとしている。
けれど。
「どういうことなの!??」
「責任者は説明しろ!!」
観客席から怒号が響く。それでついに宇緑さんも、バロン社の調香師に尋ねる。
「重要な審査の場に部外者の乱入を許したことは、責任者として謝罪したい。しかしながら、真実ならば聞き捨てならないことだ。ここは一つ、説明いただけないだろうか」
バロン社はしばらく黙っていた。スタッフ、調香師はこそこそと話し合っている。真実を話すべきか、話すまいか。自身の責任で話していいものか悩んでいた。
調香師はスマホを手に取る。上長への連絡をしようとしている。
「時間がないんだ。話してもらえないか」
宇緑さんは苛立っている。調香師は仕方なしにスマホをしまい、覚悟を決める。
「先ほどの者は短期で契約していたアルバイトです。彼が言っていたことは……」
「彼が言ったことはなんだね」
宇緑さんが聞き返す。
「真実です……。全て」
「……それが、君、それがどういうことか分かっているのか」
宇緑さんは戸惑いの色を露わにした。まさか、本当に悪臭が原料となっているとは思わなかったのだろう。どこかで、嘘だと決めつけていたのだ。それが裏切られて、目を剥いて怒っている。業界全体への信頼失墜に繋がるのだ。
「禁止されていたわけではないはずです。我々は規則を破っていません。それどころか、多様性にチャレンジした」
「その通りだ。その通りだが恣意的に隠していたのはなぜだ。心証が悪いとは思わないのかね」
調香師は答えない。
「仕方ない。申し訳ないが審査を続けることは困難だ」
「そんな! 待ってください。私はこの日にかけてるんです!」
声の主は調香師でもなく、宇緑さんでもなく、僕の隣のアリスだった。
「御影くん、残念だが今年のコンテストは中止だ。また来年に」
「今、試してほしんです。せっかく、私の本気が出せたんです!」
アリスは必死だった。それほどの努力を積み重ねたのだ。もの申す資格くらいあるだろう。
「そんなこと言っていいのか」
卑屈に笑ったのはバロン社の調香師だった。
「お前達の香水も、我々と同じはずだ。なんせ、このアイデアは御影アリスから奪ったんだからな」
調香師は白状した。ここまで来るとやけくそか。香水のアイデアを盗むことは御法度には違いない。これまでバロン社で販売された全ての香水に疑いをかけられてしまうリスクがあるのだから、言うはずがない。しかし、悪事が白日の下に晒されて、もはや守るものはなくなったのだろう。バロン社はアリスを道連れにしようとしている。
「御影くん、本当なのかね」
宇緑さんに聞かれたアリスは言いよどむ。
マズい。アリスは真相を言いそうになっている。僕はアリスを守りたかった。
「いえ、違います。バロン社が言っていることは筋違いです」
反射だった。僕の口から言葉が出ていた。アリスが驚きの目で僕を見る。
僕は、いいからとアリスを背後に庇う。
「君は……確か御影くんのパートナーだったね」
「はい、そうです」
「本当のことを教えてくれないか」
「僕たちは無実です」
「どうして庇うんだね。僕が御影くんを尋ねたとき君はよそよそしかった。御影くんと親しくはないんだろう? 正直に言ってもバチは当たらないよ」
「正直も何もバロン社さんが言っていることは事実無根です。悪臭の香水への転用はバロン社さんが勝手にやったことです。僕たちは一切関与していません。だから、アリスの香水を試してやってくれませんか」
僕は頭を下げた。
宇緑さんが唸る。
「司会の方、残り時間はまだあるかね」
「はい。少しなら」
司会者は焦ったように言った。
「そうか。なら望み通りに。ただ、今回はノーコンテストになるかもしれない。それでもいいのかい」
「はい」
「よろしい。最後の審査に移ろう。その後、バロン社と御影くんにはゆっくり話を聞くとしよう。それでいいね」
宇緑さんは硬い表情で言った。
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