第5話 僕見ちゃったから。今更無理だよ
「ホーンテッドマンションみたいだ」
僕は思わず独り言ちた。
土曜日。僕は一人、家というか屋敷の前に立っていた。小高い丘に蹲るようにして建つ屋敷。なんだか、ハローウィーンの飾りが映えそうだ。
僕がどうしてここにいるかというと、御影さんから呼び出しがあったのだ。御影さんからはチカン疑惑があった当日のうちに連絡が来た。御影さんはラインでも折り目正しい言葉遣いだった。今週は返信が来ないかそわそわしていて、僕の脳みそはずっと恋で漬けおきされていた気分。当然、シコリティーも捗った。
『……ウチでいいことし、ま、せ、ん、か?』
御影さんの湿った声を思い出す。
場所を変えて話したいだけならば喫茶店でよい。しかし、御影さんは頑なに拒んだ。どうも自邸に招きたくて仕方ない感じだ。
そうすると、変なことを考えてしまうのが男の常。
一体、どんなお礼もとい、お詫びをしてくれるのだろう。
僕はあわよくば……を期待して、よだれが出そうだった。道中のドラッグストアで買ったアレももちろん忍ばせていた。
僕の妄想は肥大していく。御影さんはどんな服を着ているのだろう。お嬢様学校だからやっぱり家でも清楚な恰好をしているのだろうか。和服だったら西洋風の屋敷にミスマッチ。だったらドレスみたいな……ゴシックロリータ系? そうだ。そうに違いない。御影さんは人形みたいな白い肌で、脱がせたら球体関節が露出しそうなくらい華奢なのだから。
うん、いい! 似合ってる!
それに反して、一番あり得ないのはスウェット。そんな日曜日の朝の僕みたいなズボラな服装するわけない。御影さんはきっと由緒ある家の育ちなのだから。
でも、そうだとすると、僕の目の前の女の子は誰なのだろう。
スウェットに、ぼさぼさの髪、タバコの臭い、大あくび。
「あ、結城くん……」
僕の名前を呼んでるし。
開いたままの玄関。
女の子は能面のような笑みをべったりと。
まさか――。
「えっと御影さん……?」
「……」
「……」
沈黙の応酬。
僕はニコリ、彼女もニコリ。
それから、女の子(たぶん御影さん)はアコーディオンみたいな階段を一段飛ばしで駆け上がる。そうして魔法が解けちゃうシンデレラみたいな勢いで二段飛ばしで降りてくる。女の子は僕のイメージの通りの服をめかしこんでいる。ゴスロリだ。
僕はその間、ずっと玄関の金属でできた犬の鼻輪をカチカチ鳴らしていた。
どゆことどゆことどゆこと!??
僕は顔が伸びそうになるくらいには叫びたかった。
「結城くん、今日でしたっけ」
御影さんはぜぇぜぇと喉笛を吹きながら、僕に言った。
「ええと」僕はラインを開く。トーク画面のアリスのアイコンはポーションの瓶みたい。日時は今日で間違いない。「うん」
「そうでしたか。てっきり……明日かと思っておりました。大変、失礼なことを。そちらで立たせているのもよくないですし、ご案内しますわ。こちらへどうぞ」
御影さんは何食わぬ顔で言った。
僕はお屋敷に足を踏み入れる。ふっくらとしたスリッパが平民の僕との差を植えつける。
けど。けどさあ。
僕はぷるぷる震えていた。
「どうなさいました?」
「無理無理無理。御影さん無理があるよ! 僕見ちゃったから。今更無理だよ」
「無理とはどういうことでしょう」
「それ、その口調だよ。あの服装からそれは無理があるよ。だってスウェットだよ。髪の毛もボサボサだし。でもってタバコ吸ってるの!? ダメだよ未成年なんだから。偽ってたの? 偽ってたんだよね」
僕は早口で言った。
すると、御影さんはがっくりと肩を落とす。長い髪の毛がゆらりと揺れて、表情が見えない。
「御影さん? あのぉ」
僕はびくびくしながら尋ねた。
「そっか。隠しきれないか。あーあーあ。もう少しだったのになぁ。気が抜けたなぁ。あのままだったら、すんなりいけたと思うのになぁ」
「御影さん……どうされちゃったの」
「……るせぇな。クソガキが。このコンドームオナニー野郎」
「えっ?」
どこからか低く重い声がした。僕は周囲を見渡す。物騒な音声だ。聞き違いではない。御影さんしかいない。信じたくないけど、僕の耳にしっかりとその言葉は届けられた。
「み、御影さん、どうしちゃったの。僕、なんか怒らせたかな」
僕は下から目線で丁寧に言った。御影さんの言葉は一旦忘れて、まずは怒りを静めたかった。粗相を犯したなら謝りたい。
「どいつもこいつもだれもかれも欲情しやがってよ。あれだろ。どうせヤレるとでも思ってたんだろ」
え、何。誰!!?
僕は何が起こったか理解できなかった。
ヤレるって。はっ? ちょっと待ってちょっと待って。目、怖っ。
どうしてバレてんの。読心? 読心術??
「ヤレるってなんですか? そんなこと一言も」
「ヤレるって言ったら一つしかないだろ。エッチプレスだよプぅレぇスぅぅぅ!」
「そんな、僕はただ御影さんがお詫びをしたいとのことで、呼び出されただけであって邪な気持ちなんて少しもありません」
御影さんが間合いを詰める。
「嘘つくな! 思ったんだろ!?」
「すんませんすんません。ですから、思ってなんか」
「あぁぁぁん?」
「すんませんすんません。嘘つきました。ひょっとしたらイケるかもって思っちゃいました。で、でも、ちょ、ちょっとだけです。機会があればってくらいで」
御影さんが凄み、僕は転びながら退散した。
すかさず御影さんは追う。
「だろうな。だと思ったよ。たっく、勝手に欲情しやがって。ロリコンか? ロリコンなのか、てめぇ」
「違います違います。僕は年上好きで」
またしても、御影さんは僕の胸元を握力計みたいに掴む。
「ああぁぁぁぁぁぁん?」
「すんませんすんません。二歳下くらいがストライクです!! 制服が好きです」
「次からは嘘つくなよ。そこ蹴るぞ」
「は、気をつけます」
ようやく御影さんは僕を放す。僕の服は脱水後みたいにしわくちゃ。
「制服のどこがいんだか。布だぜ?」
御影さんは近くにあった背もたれの嫌に長い椅子にまたがった。出会ったときの面影はなくて御影さんはどこか行ってしまったみたい。
僕はなぜか正座していた。正座せざるを得ない威圧感だったのだ。
「だってキチッとしたイメージがあって好きだから」
「で、私にもそのイメージを求めたわけだ」
「ち、違います。でも、御影さん、めっちゃ似合いそうじゃないですか。こんな大きいおうちに住んでいて、雰囲気あって、ゴスロリとか着てると思ったから!」
「スウェット着ちゃいけないわけ?」
「そんなこと言ってません」
「目が語ってる」
御影さんはキツく言った。
だが、待ってほしい。
どうして僕は謝っているのだろう。謝られるのは僕のはずなのに。これじゃ逆だ。
整理してみる。僕は御影さんにチカンの疑いをかけられた。そのお詫びを受け容れるためにここにいる。それなのに、どうして。詫びを入れるどころか、はっ倒されるなんて。
僕は聞きたくなかった。御影さんの口から乱暴な言葉を。エッチプレス、ロリコン。コンドームオナニー野郎に関してはとてもじゃないが、僕には処理できない。僕は憔悴しきった顔をしていた。
「じゃあ僕帰ります。ここで見たこと聞いたこと全部墓場まで持ってきます」
僕は泣きそうだった。というか、もう泣いていたと思う。ショックで、涙声になっていた。とぼとぼと出口に向かうと、
「待ちな。まだお詫びは終わってない」
「いえ、お詫びは充分です。僕の心は晴れました。だから解放してください」
ぐん、と襟首を引っ張られる。
「何するんですか!」
「ねぇ、知ってる? チカンって今だいぶ厳しいの」
「チカンなんてしてない。御影さんも誤解だって言ったじゃないか」
御影さんは僕の手を取って自分の臀部をまさぐる。
つきたての餅みたいな弾力。でも、僕は生きた死体みたいに無感動。
そしてパシャ。
僕は手を引っ込める。が、もう遅い。
「今、した」
「ヒドいです」
「そういうことだから結城くんは私の話を聞くまで帰れない」
御影さんは鍵をカチャリ。鍵は二個も三個も付いている。監禁目的みたいだった。
「分かったら返事」
「あ、や、でも」
「返事」
「はいぃぃ」
満足のいく回答を得られたようで、御影さんは微笑する。
「ついてきて」
御影さんは歩き出す。
僕はまるでリードのついた犬みたいに御影さんの後ろを歩いた。
本当は逃げたかった。下心ありきでホイホイと来たばかりにこんな目に遭うなんてB級映画みたいだ。
――何、されるんだろう。
抵抗する気力はなかった。逃げなかったのは御影さんが怖かったから。その理由に限る。
厚い絨毯が僕の体重で沈み込む。歩いても歩いても終わらない廊下。真昼なのに暗い。アンティークのランプが僕たちの影を引き伸ばす。死体でも転がってそうな雰囲気である。
けれど、御影さんにとっては我が家なのだ。御影さんは何も言わず歩き続ける。
「あの、御影さん」
「何」
「せめて、その、話し方くらいはなんとかならないでしょうか」
御影さんは足を止める。
殴られる、と思った。僕は両腕で顔を隠す。
「ごめんなさいごめんなさい。非難したつもりはなくて。素敵な言葉遣いですよね。お嬢様なのに、なんというか、男っぽいというか。ワイルドです。良い意味で野蛮って感じで良い意味で」
僕の口から開けっぱなしの蛇口みたいに言葉が出力された。人間、ヤバいと思ったら何でもできるのである。
「めんどい」
御影さんの省エネ返答。
「でも、怖くてまともに話せません」
「しょうがないわね」と、御影さんは巨大溜息。「こうでございましょうか?」
御影さんのぎこちない口調。初めて感情を学んだロボットみたいだ。
「もっと怖いです。普通はないんですか?」
「要求多いなあ。あの話し方疲れるのよね。対他人様用ってことで。でも受けがいいからずっとやってる」
「うぅ……詐欺だ」
「文句ある? あんな普段から畏まってるわけないでしょ。――くそたりぃ」
「それ! それやめてください」
僕は懇願した。御影さんのイメージが砂浜の城みたいに崩れていく。
御影さんは改めて声の形を作ろうと試している。
「こうですか?」
丁寧な口調。穏やかな物腰。まあ、だいぶ出会ったときの御影さんに近かった。違うのは格好だけ。
僕が返答しないのをいいことに、御影さんはこれでいいでしょ、と言わんばかりの態度。
「もうそれでいいです……」
僕に言い返す気力はなかった。
すると、また御影さんが立ち止まる。
気分を害したかと思い、僕は弁解した。
「ごめんなさい。文句ないです、はい。最高です」
「何言ってるの? 着いたわよ」
御影さんは呆れたように笑ってドアを開く。
その先には――。
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