第4話 ウチでいいことし・ま・せ・ん・か?
「ごめんなさい。勘違いだったんです!」
彼女が鉄道警察に説明した内容はたった一行に凝縮される。
目的地、つまり学校のだいぶ前の駅で降ろされた僕はすぐに駅員さんの元に連行された。僕は駅長室に行くまでの間、容疑者さながらの扱いを受けた。引きずられるようにして、顔を伏せて階段を降りていく。項垂れる僕。手錠がないだけよかった。でも、珍妙な光景に映るのか、つむじの辺りにたくさんの視線を感じる。知り合いがいないことを願うしかない。
乗客は駅長室に僕を放り込み、お節介にも駅員さんに事情を説明し始めた。きっと、彼女に自身の被害を訴える体力など残っていないだろう、と善意で説明を買って出たのである。
しかし、ここで思わぬ事態が起きた。それが冒頭の一行である。
「ごめんなさい。勘違いだったんです! 全部、私が悪いんです」
これには乗客、鉄道警察、そして僕は揃いも揃ってお口あんぐり。乗客に至っては感情のやり場に困って、味のないガムを噛んでいるみたいな形容しがたい表情である。僕に向けた正義感が間違いだったなんて。そんなことを考えているに違いない。乗客は僕に謝ろうか謝るまいかしばし考え、頭の中でどういうやり取りがあったのか定かではないが、耳障りな舌打ちをして帰っていく。
「たっく、紛らわしい真似すんなよ。――ちっ」
その背中を蹴り飛ばしたい。舌打ちしたいのはこっちなんだ。僕は内心毒づいた。
「まあ、この子もこう言っていることだし許してあげられないかね」
年配の駅員は僕に向かってそう言った。要は情けをかけられないか、ということ。許す気は毛頭ないけれどどこかで落としどころを見つけなきゃいけないのは確かだった。話をリードしている駅員以外も気まずそう。というか職務に戻りたそう。勝手に捕まえといてなんたる態度!
しかし、時間が有限であることは世の常である。
「いいですよ。間違いは誰にでもありますから」
気障っぽくなってしまった。いいですよ、だけでよかったのに一言付け足しちゃうのは悪い癖だった。
僕は駅長室から丁寧に送り出される。後ろから女の子も出てくる。二人に向かって駅員が深い一礼。女の子は礼を返すけど、僕はしない。駅員たちの対応はさっきまでと雲泥の差だった。
そういうわけで僕はチカンという不名誉なタグを外すことができ、晴れて駅長室から解放されたのだった。
でも。
そこからまた一悶着あった。
僕は女の子と駅のホームにいた。ベンチに三人分の距離を開けて座っている。といっても和解したつもりはない。僕が座った後に、女の子がそうしたのだから回避しようがなかった。仮に女の子が先に座っていたら僕は遠くに立っていただろう。
女の子はベンチの淵をいじいじしている。お互い無言。次の電車を待っているところだった。同じ方向だからしょうがないにしても、僕としては一刻も早く彼女と離れたかった。濡れ衣を着せた罪悪感があるのならば、少しくらい時間を置いてくれればいいものを――。
通勤、通学時間を過ぎたのでホームは閑散としていた。学校には遅刻すると連絡してあった。遅刻や欠席は諸々の体質でしばしばあったので、担任の物分かりはよかった。
電車が通過する。僕の通っている学校には停車しないので、これは見送る。電車のしっぽが切れたのを契機に女の子が動いた。
「……お詫び、をさせてください」
ぶつぎりの消え入りそうな声で言った。それは僕に言ったのか地面に言ったのか。でも、お詫びをされるべき対象は僕しかいなかった。
「そんなのいいよ」
僕は無下に答えた。この人は僕をチカンに仕立てた上げたのだ。好意は嫌悪に上書きされていた。いくら可愛くても僕だって我慢できることとそうでないことがある。
「でも!」
女の子は座ったまま僕に近づいた。
「いいいい。来ないで。またチカンと思われる」
僕は両手を前に出して、来ないでのアピール。
女の子は躊躇って元の場所に戻る。しかし何もしないのも彼女の気が済まないのだろうか。あるいは、せめてもの、という意思表示なのだろうか。女の子は立ち上がって、お嬢様学校らしく指を几帳面に整えておじぎ。
「この度は本当に、本当に申し訳ございませんでした」
顔を上げた女の子の目が潤んでいるのを見て、僕はこう思った。
『わあ、可愛い』
僕は面食いかつ単細胞なのである。それだけで僕は許しそうになった。でも、ここは冷酷な僕が頭をもたげる。
裏があるんじゃないか? 冷静に考えてこんな可愛い女の子が僕にぺこぺこ頭を下げるなんて信じがたい。普通、謝罪なら一回で充分だろう。それ以上は、はっきり言って嘘っぽい。世の中って、開き直る系女子の方が多いだろう。
……意地悪だな、僕って。僕は僕の性格の悪さに辟易した。でも、口から出てくる言葉というのは裏腹で、
「おかげで僕はチカンした奴と思われてしまったよ。いつもあの時間の電車に乗るからこれからは時間をずらさなきゃならない」
「すみません。でも、ああでもしないとあなたとお話できないから」
「お話? 話って何のこと。意味が分からないよ」
憤懣やるかたないといった態度を装う。
「あなたの気を引くにはああするしかなかったんです」
「気ぃ?」
僕はオクターブ上の声を出した。
気って、あの気? 僕の気を引きたいって言ったのか。
「はい。気です。いつも同じ電車に乗っていますよね? 実は前からあなたのことが気になっていて」
「……」
僕は沈黙する。温かい沈黙だった。
「どうして」
「それは……。いつも私を見ていましたよね。私だってあなたを見ていました。毎日顔を合わせるうちに、あなたの魅力に気づいたんです。たくさんあるうちの一つですが」
僕はその言葉を額面通りに受け取った。すでに女の子の虜だった。なぜって、僕は女性経験皆無だから。可愛い女の子にウインクでもされようものなら一撃で仕留められてしまうのだ。
女の子はブレザーの右ポケットからスマホを取り出す。
「交換しませんか」
「はいぃぃぃ」
僕は電光石火の速さでラインを開く。QRコードを読み取ってもらうと、ピロンと音が鳴った。ラインには、『御影アリスです。よろしくお願いします。』と書いてあった。
「アリスって本名?」
「はい」
女の子は頬を上気させ、恥じらうように言った。
「よく聞かれるんです。物語の登場人物みたいで……おかしいですよね」
「そんな。おかしいなんて。僕はまったく思わないよ」
「ホントですか」
「うん、本当に」
僕は下心コミコミで強く頷いた。
「そっち行ってもいいですか?」
「もちろん」
御影さんが僕の隣に移る。
なんだ。どうして急にこっちに?
御影さんが僕の耳元で囁く。
「……ウチでいいことし、ま、せ、ん、か?」
気絶するには充分なインパクトだった。ねっとりと、しっとりとまるでASMRのように僕の耳は甘やかされた。その瞬間、下品なことを申し上げますと、僕のヘニスがコーブンしてバッキしかけた。
僕の意識は粘度のある水の中にあった。いつまでも彼女の余韻に浸っていた。彼女が僕から離れていく。頬にかかった愛嬌毛が色っぽい。
もう僕は完全、完璧、完膚なきまでに女の子を許してしまっていた。許したどころか、突き抜けて恋をしてしまっていた!
「返事がないのは肯定という意味でよろしいでしょうか」
僕はこくりと首を縦に振る。一度、それからもう一度。プライドもへったくれもない。首振り人形みたいにぶんぶんと振った。
「よかったです」
御影さんが朧に笑う。
「また連絡しますね。えっと……」
「結城、
「結城くん」
電車が来る。
御影さんはそれに乗る。
扉が閉まる。
僕は唖然として、つい乗ることを忘れてしまった。
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