第3話 ――今、しましたよね
この日もいつも通り先頭車両に乗った僕は、ぼんやりと窓の外を見ていた。ああ、ここに家が建つんだなとか、今日の運転荒いな、とか文字数稼ぎめいた思考をつらつらとしながら、電車は駅に到着。ここでは降りない。ハブとなる駅だから学生とサラリーマンが大量に雪崩れ込む。空いていた電車はこのあたりで混雑する。
そして、あの子も電車に乗ってきた。僕はこのタイミングで窓からその子に視線を移す。
女の子は一人だった。他校の制服を着ていた。このあたりだと名門の私立高校だった。
習慣というのはなかなか変えられない。彼女はいつも同じ時間、同じ車両に乗っていた。
どうして僕はいつも同じ車両に乗るのか。答えは単純だった。
僕は彼女に恋をしていたんだ。
だけど、積極的に行動するつもりはなかった。僕は自分の立ち位置を把握している。高望みはしない主義だ。毎日眺めて心がほっこりとするくらいでちょうどいい。
が、そこで運命のいたずらが起きた。押し込まれてきた乗客のせいで、その子が僕の隣に来たのだ。彼女はつり革には掴まらず立っていた。彼女は小柄だ。身長が足りないのであろう。だから普段はドア付近の手すりがある位置に立っていた。でも今日はイレギュラー。たぶんコロナ禍で人の動きが変わったからかもしれない。
彼女はふらふらしている。紙の人形みたいに。僕は彼女が倒れてしまわないか気になった。
そして、案の定。
「すみません」
と、僕の胸にぶつかってしまう。でも問題ない。彼女は羽毛くらいの軽さだった。
「大丈夫です」
僕は必死にイケボを作る。これくらいならイケメンでもない僕でも許されるだろう。僕はキモキモスマイルにならない程度の笑みを浮かべ、器の大きさを見せつける。
それで終わるはずだった。
ただ、女の子が僕にぶつかって、ごめんなさいする話。女の子にとっては電車のなかの一コマ。僕にとってはとっておきの思い出。
でも、このときはそうはいかなかった。
「降りませんか」
女の子が言った。
車内に緊張が走った。
「へ?」
僕は空気みたいな声を出した。
「――今、しましたよね」
「したってな、なな何がですか」
「とぼけ……ないでください」
絞り出したような声だった。
電車というものは以外とうるさくて声が聞こえなかったりする。だがこのときは車両内の全乗客が僕たちのやり取りに全集中。
すなわち、僕はチカンだと疑われていた。
けど、心当たりはない。
「触るわけないだろ! 第一、手が塞がっている。つり革を持っていたじゃないか」
「手なんか……手なんかなくてもできます」
僕のセリフにすかさず女の子は反論する。
確かに最近は手なんかなくてもチカンは成立すると聞く。だから、あり得る話なのだと思う。でも僕は断じてチカンなどしていないのだ。だって、そんな度胸ないし。倫理的にNGだし。
けれど乗客はお構いなし。視線が痛い。構図としては、か弱い女の子を襲う陰キャ男子。戦う前から決着していた。
「誰か見ていた人はいませんか?」
僕は味方を探す。誰か……誰かいないか。けれどみんな目を背けてしまう。
よし! 僕は死んだ。たった今社会的に死んだのだ。
主婦が非常停止ボタンを押しかける。
リーマンが僕を取り囲む。
待って――。
「降りますから!!」
次の駅で、僕は男どもに羽交い締めにされ、電車から強制退場させられることになる。
車内は一様に怒りムード。電車が走っている最中に放り出されないだけ、幸運だと思うしかない。
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