第3話 呪い連鎖の終着点

 可能な限り犠牲者を少なくするため、ゴミ処理場の中を探索して、可能な限りの携帯電話を回収し、パスワードや指紋認証を呪力で突破し、ご主人に繋がる連絡先を探す。

 しかしそれらしい連絡先は一つもなかった。そもそも私は、ご主人が通う学校の名前も、ご主人の友達の名前も知らないのだ。

 殺戮を伴うしらみ潰しを行う以外に、ご主人へ辿り着く道が思いつかない。

 それでも頭を働かせて、最短距離を模索する。そして思い出した。最初に殺した職員の片方には娘がいると話していた。

 無断で子供のものを捨てる親には思えなかった。つまり娘が幼い可能性は低い。一発でご主人と同じ学校に所属する人間を手にかけられれば、無関係な犠牲は一人ですむ。

 紫織と呼ばれていた女性の携帯にあるアドレス帳には、無防備にも娘と書かれた項目がある。

 苦痛から逃れる為だけに、人を手にかけることに躊躇いを覚えながら、電話をかける。

 私からの電話を取れば、それすなわち死刑宣告に他ならない。

 いっそ出ないでくれたら……逃避にも似た祈りを裏切り、何度目かのコールの後、ご主人と同年代と思われる可愛らしい少女の声がした。

「どうしたのお母さん。こんな時間に電話してくるなんて珍しいね」

「私メリーさん。今あなたのお母さんの職場にいるの」

「……っ? あなた誰! お母さんに何したの!」

 電話越しに少女が酷く狼狽えているのがわかる。ここで電話を切れば、少女のいる場所へ向かって転移する。

 ここから距離が近ければ、次のコールで少女は死ぬ。遠ければほんの少し寿命が延びる。

「すぐ同じところに送ってあげるから、安心してね」

 無意識に私は少女を挑発してから、電話を切った。それと同時に体が闇に溶け始める。転移が始まったのだ。

 それにしても、なんて枕詞をつけると達観しすぎに聞こえるかもしれないけれど、呪物としての本能は狡猾で、こうすれば次のコールを少女が取る可能性が高くなると知っていた。

 あの闇に浮かんだ少女が与えた人格と知識なのだとしたら、彼女の存在は底が知れない。

 まぁ、最初のコールを取った時点で、二回目以降の着信は、強制的に繋がるのだけど……追い詰めて、嬲って、殺す方が楽しいでしょ?


 闇に溶けた私の体は、夜の帳に包まれた建物の影から出現した。

 転移先は住宅街の十字路。見覚えがない場所で、大きく様変わりしたのでなければ、昔ご主人と歩いた場所ではなかった。

 殺人欲求で鼓動が激しくなり、早く少女へコールしろと本能が訴える。

 それを必死に抑えて電柱を探した。ご主人と見たテレビ番組で、電柱には住所が書かれていると言っていたからだ。とにかく現在地が知りたかった。

 ご主人の家と真逆に転移したのだとしたら、この少女の方へ向かうのは無意味な可能性が高くなる。物理的に距離が離れていれば、知り合いである確率はどうしても下がるから。

 探索開始から三本目の電柱に、住所が書かれている。人形の体で移動可能な範囲にあって助かった。

 ある程度成長した人間を意図した場所に書かれている文字を見ようと、つま先で立ちで体をピンと伸ばす。

 引き千切れそうになりながら、呪成町五丁目と書かれているのを確認した。

 呪成町……その名前に違和感を感じる。ご主人は昔、自分の住む街を”じゅせいちょう”だと紹介してくれた。

 確かに発音は合っているが、果たしてこんな名前を町に付けるだろうか。

 だが名前を聞いただけで、綴りを確認したわけではなかった。違和感は拭えないが目の前にある事実が全てだ。

 だけどやっぱり、町の名前に疑念がある。だが確かめる術はない。

 私がやるべきことは、ご主人へと繋がる連絡先を手にすること。それだけだ


「私メリーさん。今あなたの後ろにいるの」

「いやっ! お母さんっ! 助けっ……」

 名前もしらない少女の肩に腰掛け、念じて首を捻じ折る。

 力なく少女は倒れ、生き絶えた。

 呪力による処刑は歪で、少女の頭蓋だけを水平に曲げ、首の骨が見えてしまっている。

 人形としての私が吐き気を催してしまう壮絶な死に様。

 この光景を見て、呪物としての私が、嬉々として亡骸の血肉を貪り始める。

 人形だから味覚は備わっていないはずなのに、若くて新鮮で柔らかいお肉の、甘く蕩ける風味を感じる。そして心が嫌悪と快楽に染められていく。

 正と負の感情に酔いしれ、”悪夢見心地“のまま人間の死体丸々を十分足らずで完食する。

 渇きをある程度収め、ご主人の連絡先を求めて少女の携帯電話を手に取る。

 アドレス帳にずらっと名前が並ぶ。百近い連絡先は、どれも覚えのないものばかりで、ご主人の名前はなかった。

 私に選択肢は二つある。この少女の携帯から標的を選ぶか、ゴミ処理場の職員の携帯から選ぶかのどちらかだ。

 ご主人の住む街が呪成町であること以外に手がかりはない。

 どれを選んでも、博打の要素が伴うのなら、このままご主人と同年代の人間を狙うのが近道に思えた。

 だからそうした。



 足元に転がる死体のポケットから携帯を取り出し、アドレス帳を開いて、血眼でご主人を探す、探す、探す。

 また見つからなかった。すでに五十人も無関係の人間を殺しているのに、なぜかご主人に辿り着けない。

 そのことへの罪悪感だけでも狂いそうなのに……私の存在が都市伝説として流布され始めている。

 ご主人と見たテレビでは、十人も殺せば歴史に残る殺人鬼と紹介されていた。私はその五倍も殺しているのだから当然だ。

 みんなが私を警戒し始めている。メリーさんを名乗る着信を取ったら、殺される。そして、被害者が持つ携帯のアドレス帳から、無作為に一人選ばれ殺される。

 そんな都市伝説が町中に、そして日本中に広がりつつあった。

 実際にこの街だけで、それも一週間たらずでほとんど関連性のない五十人が猟奇的に殺されていて、犯人は捕まっていない。

 都市伝説を信じていない人も当然いるだろう。だけど、正体不明の殺意から逃れる為に、人々はオカルトに頼った。

 知り合いからの着信は取らない。被害の拡大を防ぐために、アドレス帳に自分と友達の連絡先を入れないようにする。

 これらを徹底されると私はどうしようもない。

 今はまだ何人かに電話をかければ、呪力の発動条件を満たせるが、それもじきに出来なくなるだろう。

 それにしても、この都市伝説はやけに私の殺しの手口に詳しいという印象がある。

 都市伝説がアレンジされて広がるのは、ありがちなことだと耳にしたことがある。だけど、ここまでピンポイントにお話が作り変えられる物だろうか……

 それに、人が無作為に殺される都市伝説なんて無限にある。なぜその中から、私の呪力の根源であるメリーさんが選ばれ、正しい手口を踏まえた形になり、世間に広がったのか。

 先の町の名前といい、疑問が尽きないが、現実に起きたことに対処していくしかなかった。



 六十七人目の死体を口に含みながら、アドレス帳を調べる。いつも通り、そこにご主人の名前はなかった。

 知り合いを五、六人辿れば世界中の誰にでも繋がるとご主人と見たテレビで聞いたことがある……だとするなら、この状況はどういうことだ。

 ここまでアドレス帳を漁り続けて、ご主人の名前が現れないなんてことがあり得るのだろうか。

 もう答えは一つしかない。ご主人は携帯を持っていないのだ。だからどうやっても辿り着けない。最初から、不可能を追っていたのだ。

 思い返してみると、ご主人は自由をあまり許されていなかった印象がある。だから高校生になっても携帯を持たされていないのだ。 

 どうすれば……日に日に渇きは激しくなる一方で、殺しても殺しても耐え難い飢餓感が治ってくれない。それどころか、中途半端に殺意が満たされるせいで、ご主人を手にかけたい欲望が刺激されてしまう。

 早くなんとかしないと、頭がおかしくなってしまいそう……

 活路があるとすれば、ご主人ではなくその両親だ。この時代に大人が携帯を持たないはずがない。

 幸いなことにご主人の名字を知っているから、辿り着ける可能性はある。

 過去のアドレス帳にご主人と同じ名字はなかった。高校生を狙っていたから、社会人の名前なんて入っているはずがなかった。

 方針を変えて、適当に大人と思われる人間に電話をかける。

 誰にかけるのか精査するのも面倒だ。遠回りになったら、その時は殺しを楽しめば良いんだから。

 随分と遠回りをしたが、ようやくこの長く続いた殺戮の旅を終わらせられそうだ。


 累計で七十一人目の死体を漁り、手に入れた携帯のアドレス帳を開く。

 全身がカラカラに乾いて、ご主人への殺意が限界を遥かに超えるまで高まって、もう抑えられない。

 ご主人の血と肉が愛おしくて、目の前がギラついてこれ以上は、代わりでは抑えられない。

 手元さえ覚束ない中、アドレス帳を下に下にスクロールさせる……そこにようやく、ご主人と同じ名字が現れた。

 ご主人の血縁者とは限らない。だけど、気が触れそうな飢餓感と罪悪感の果てに手にした、ご主人へと繋がるかもしれない糸だから、悦びが全身を駆け巡る。

 ここでおあずけを食らったら、もう完全に壊れちゃう……

 全財産を大穴に賭けている狂人のような祈りと狂気を胸に電話をかける……

「もしもし、休日にどうかしましたか?」

 それは、昔何度か耳にしたことのある、聞き覚えのある声だった。


 ご主人と過ごしたリビングに、新鮮な死体を二つ並べて、念のために携帯を漁る。

 ご主人の大切な人を殺めた罪悪感と、それを伝えた時の表情を想像して駆け巡る期待感。

 色々な感情が押し寄せて、もう我慢出来ない。いつもなら、一時の飢餓感から逃れるためだけに死体を喰らうけど、今はそんな勿体無いことをしたくない。

 最高に餓えた状態で、もうこれ以上ないってくらい乾いた体に、ご主人の血と肉を流し込みたい。

 綿から溢れ出すくらいに血を啜って、吐き出してしまうほどにご主人の身体を生きたまま口にしたい。

 アドレス帳を調べるとそこには、ご主人の名前があった。

 なるほど。両親以外の連絡先を入れることを許されていなかったのか……二人きりの時、ご主人が私に弱音を吐いていた理由が少しわかったような気がする。

 でも、そんなこと関係ない。どうせもうすぐ私のお腹の中。

 ご主人に電話をかける手が震える。やっと私の苦痛が報われる。その先に待っているのが、とてつもない後悔と自責だとしても、もう止められない。

「……もしもし? どうしたのお母さん」

 通じた。間違いなく、愛おしくて、最高に憎いご主人の声だ。

 震える。愛したご主人を、心底殺したくなる自分の愚かさに。私をこんな苦痛に満ちた世界に突き堕としたご主人をこの手で殺せる悦びに。

「私メリーさん。いまご主人のお家にいるの。すぐ、お母さんたちと同じところに送ってあげるからね」

 返答を待たず電話を切って、呪力による転移の条件を整える。

 体が闇に溶けていく。次にこの闇を抜け出した時、目の前にあるのは、ご主人の首筋だ。


 闇が晴れて、視界に映るのは長い時間を過ごした、ご主人のお部屋。

 そして、部屋の真ん中で佇むご主人の姿。

 初めてご主人と出逢った運命の場所で、あなたをこの手で殺す。

 それは、人形の私には耐えられない悲劇。だけど、もう、止められないの。

「私メリーさん。いまご主人の後ろにい……」

「おかえりなさい……これでやっとお話し出来るね」

 存在しない心臓が止まるかと思った。

 背後を取ったら、もう動けないはずなのに……ご主人は何事もなかったように振り向いて……その表情は両親が死んだことを知っているというのに、なんの悲しみも帯びていなくて……私を初めて手に取った時のような、最高の笑顔だった。

「嬉しいなぁ……ゆっくりお話ししようね」

 ご主人はそう言って、制服からピング色の可愛らしい、まるで昔一緒に見た変身ヒロインのような衣装へと姿を変え、懐から六本の釘を取り出して、私に勢いよく投げつけてきた。

 それは人知を超越しているはずの私の反応速度を遥かに超えていて、とても回避出来ない。

 空中を飛んでいる私の体を釘が貫く。釘の頭が体につっかえて貫通せず、勢いよく体が壁に叩きつけられる。

 釘が壁に突き刺さり、体が縫い付けられて拘束されてしまい、全く動けない。

「血が溢れてる……今までにたくさん殺したんだね。それでお母さんたちも……ありがとう」

 理解が追いつかない。どうして……どうして私が襲われている!?

 私がご主人を襲い、喰い殺すはずだったのに、なぜ追い詰められているの!?

「ご主人……これは……」

「ずっとあなたとお話ししたかったの。それでたくさん祈ったの。それだけだよ」

 なんの説明にもなっていない。だけど、そんな反論が許される雰囲気ではない。

 目の前にいるご主人は、人を殺すだけの呪物と化した私が、畏怖してしまうほどの狂気を潜ませているのだから……

「私たちを邪魔する人を、あなたが殺してくれたおかげで……これからはずっと二人でいられるね。こうしてお話しも出来て、夢みたい……やっぱり、わたしの騎士様だ……」

 ご主人が私を優しく抱きしめてくれる。懐かしい香りに、安心する体温の感じ。どれも人形の私には備わっていない。

 でも、それを感じることは出来て、確かな愛情を感じる。

 だからこそ、ご主人を殺したくてたまらない。首を捥いで、お腹を裂いて、その苦痛に悶える姿を眺めていたい。

 一方で、ただ私を抱きしめ、幸せそうにする姿を見ることが何よりも幸せな人形としての理性が、殺意という抗えない本能に抗っている。

「苦しそうだね……我慢しなくてもいいよ」

 私の飢餓感を見抜いたのか、ご主人は釘を腕に刺し、血を流す。

「わたしのせいでこうなったんだから、ちゃんと責任取るからね。命はまだあげられないけど、それ以外ならなんでも用意してみせるから」

 しなやかな指先から滴り落ちる血液を、餌をねだる小鳥のように口を開けて、待ち受ける。

 舌先に紅が触れた瞬間……全身を常軌を逸した快感が迸った。なのに、殺意の絶頂まで届くことはなく、気が触れてしまうほど気持ちいいのに、満たされない不快な感覚が全身を包み込む。

「ご、ご主人……もっと……お肉……ご主人のお肉……下さい……」

「だーめ。今日はこれだけ……ね」

 可愛く笑って、私にお預けをする。それが本当に心底憎くて……こんなに飢えて苦しいのに、理解しようとしてくれない、満たそうとしてくれない身勝手さに、気が狂いそうで……

「そうしたら、こうして私とずっと一緒に居られるから……」

 えっ……こんな毎日がずっと続くの?

 こんな苦しみがこれからずっと続くの?

 ご主人とまたまた一緒にいられる。お話も出来る。私のことを変わらず求めてくれていた。

 そんな喜びではとても塗り潰せない、植え付けられたご主人への怨嗟。耐え難い飢え。

 この先にある呪われた、救いのない苦痛を思って、瞳から血が溢れるのを止められなかった。

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