少女は人形に恋をする
第4話 幽閉少女と人形騎士
お人形とお話ししたいって、誰でも一度は思うよね。わたしもそう。そういう子たちと違ったのは、年齢を重ねても不可能を追い求め、願いが叶うことを祈り続けた。
違うのは本当に、ただその一点だけ。
誕生日に貰ったお人形はとても可愛くて、大切で、なによりも大切なお友達。
たくさん習い事をさせられて、社交的であることを強要され続け、それに応え続ける毎日。弱いわたしを見せられるのは、このお人形さんが相手の時だけ。
お母さんたちが、気まぐれでくれたこのお人形さんだけが、まっとうな愛の象徴。だから、とっても甘えた。
お人形だけが本当の心の拠り所。そんな人生、誰も許してはくれなかった。
学校で午前も午後も奪われて、夜と休日は習い事と受験勉強。
だからお人形と遊んだり、お話ししたりする時間はどんどん減っていって、最後には他のお人形やぬいぐるみと共に、押入れの奥へと押し込まれた。
小学生にもなって、ましてや高学年にもなって、お人形とお話ししている私をお母さんたちは気味悪がった。
お母さんたちが望む娘でなくなると、望んだ通りになる環境を整えられる。奪ったり、怒鳴ったり、殴ったり……周りの人たちは誰も助けてくれなくて……
数少ない逃げ場所だったお人形がいなくなって、絶望したわたしは、心の中に世界を作って、本当の自分をそこに住まわせてあげるしかなかった。
お母さんたちの望む優秀で完璧で、誰にでも自慢出来る女の子。そんな風に自分を無理矢理飾り立てられ、疲弊した心を空想で癒してあげる。
一面に広がるお花畑の真ん中にある、風車のついた小さなお家の中で、あのお人形と二人で暮らす。
誰かの都合に振り回されることに疲れ果てたお姫様。そんなわたしを連れ去ってくれたお人形の騎士様。
そこにあるのは、愛し合う二人と、彼女たちを包み込む綺麗な世界。花園はしがらみから逃れたい二人の生活を覆い隠してくれる。そんな物語。
最早メルヘンともいえない馬鹿げた空想の世界に、人形を奪われた十歳の時からずっと、中学生になっても、高校生になっても、逃げ込み続けた。
賢い中学に入ったら、もっと賢い高校に。次はもっと賢い大学に。その次は何を望まれ、叶えることを強要されるのだろうか。
私の為、という善意で飾り付けた醜悪な感情に晒され続け、こんなことにいつまで付き合い続けなければならないのか。
暗澹とした気持ちは、次第に空想の世界まで飲み込んでいった。
わたしを攫いにやって来た悪い人たちの腹を裂いて、首を落として、辺りを真っ赤に染め上げてくれるお人形の騎士様。
最初は綺麗だった花園は、気付けば現実でわたしを縛り付ける人たちの血肉で、赤黒く染まるようになった。
たった一つ変わらなかったのは、もう何年も会うことが出来ないでいるお人形がわたしを愛して、護り続けてくれるということだった。
高校一年生の修学旅行。訪れたのは、心身を鍛えるという名目で建立された山奥にあるお寺。
そんな薄気味悪い理念を掲げるお寺をわざわざ旅行先に選ぶ学校も、そんな学校に通わせる親もまともなはずがなくて、楽しいとされる修学旅行は悲惨を極めた。
朝から晩まで、勉強、勉強、勉強。何がしたいのか、どんな展望があってこのような行為を強いているのか、それを聞いても、教師たちは答えられないだろう。
だって、ただ苦行を強いているだけなのだから。
出資者たる親たちが望んだように、生徒全員に虐待を施しているだけ。
親の言うことを、目上の言うことを聞く従順な子どもを作り上げるための行為。
五日間に渡る修学旅行……三日目にして、こんな無為なことにお金をかけるお母さんたちに、そもそもこんなことに今まで付き合っていた自分が急に我慢出来ないほどにバカバカしくなって、真夜中に抜け出した。
あまりに不自由に生きていると、ほんの少しのことで、まるで空を飛べたような気持ちになる。
真っ暗な山道を一人で歩く。朝になったら、私のことがバレて、探されて、捕まって……怒られるで済めば良い方か……
あまり良い結果を招く行動とは思えないけど、だけどいま凄く、生まれて初めての自由を感じている。
それが紛い物なのはわかっている。こんな車もろくに通らない山奥で、一人じゃそう遠くには行けない。
お金もないし、手元にはカバンと機能制限の掛けられた携帯があるだけ。
それでも、これがわたしに出来る最大限の反抗だから。
勇気を出して、支配から抜け出した。その事実がなによりも尊かった。
……だけど、偽物の自由だけでは足りなかった。幸せじゃなかった。愛が欲しかった。
お金がなくても、食べ物がなくても、あんなに望んだ自由さえなくても、愛さえあれば幸せ。
背負っているカバンには空きがあるから、そこにあのお人形が入っていたなら、それだけでこのささやかな脱走は、物語めいた煌びやかな逃避行になったのに。
お人形の騎士様がいないと、理想の花園には辿り着けない。なぜなら、あの場所は彼女が見つけてくれた場所なのだから。
わたしの考えた、ありもしない物語。だけど、今のわたしにはそれだけが希望。
そして最悪なことに、この物語を始めた瞬間から、登場人物は足りていなかった。
そのことに気付いた瞬間、舞い上がっていた気分は、お人形が押入れの奥に押し込まれた時の気分になった。
この脱出劇の結末が悲惨な物しかない。そんな当たり前が重くのしかかった。
お人形がカバンに入っていたところで、現実を変えてくれるなんてありえない……お人形が現実を救ってくれるなんてありえない……
そんなことわかっているけれど、でもお人形の騎士様は実在している。夢の中で何度もお話しして、愛を囁きあったんだから。
山奥でガードレールもない崖がある。真夜中でどれくらいの高さかわからない。
私が死ねばあのお母さんたちは、私の持ち物を処分してくれるだろう。
そしたら、時間差はあるけれど、わたしとお人形の騎士様は同じところに行ける。
お家に帰っても、あそこは安らげる場所じゃない。
だったら、もう終わらせよう。夢想に浸るのは止めにして。
身を投げることが、お母さんたちに出来る最大の抵抗なんて、寂しい人生だった。
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