第41話 指切り

 子どもたちとそれを追ったダダンが露店に戻ってくると、シクティアスがスィーに意味ありげな視線を送った。それから。


「行ってらっしゃい」


 そう言って微笑んだ。スィーは不機嫌では無いが、消化不良な顔をして無言で頷いた。納得はしていないようだが、きっと本心では理解しているのだろう。


「ネネ、トト。宿屋へ戻るぞい」

「うん」

「しー、だだ、いこー」


 ネネがジューゴとシクティアス手を繋ぐと、トトがスィーとダダンを呼んだ。ダダンはトトに呼ばれ手を差し出したが、スィーは首を横に振った。


「しー、行かない?」

「どうして? かえろ?」

「……」


 スィーが返事に困っていると、シクティアスが助け舟を出した。煽ったのはシクティアスだったのだ、このくらいする義務はある。


「スィー殿は彼とお話があるんじゃよ」


 そう言ってシクティアスはダダンを見つめた。聞きたいことを聞けと言われているようだった。もしくは、護ってやりなさい、と諭されている様な。ダダンは頷き、スィーを見つめた。


 スィーは何も言わなかった。


 何かを受け取った子どもたちは大人しく別れの挨拶をした。


「わかった、またね、ばいばい」

「おやすみ、しー、だだ」


 ネネはシクティアスとトトはジューゴと手を繋ぎ、仲睦まじい様子で宿屋へと帰って行った。


 露店はパーピーの羽を使ったジャンクの魔法で守られているそうで、何の心配もないとの事だ。

 ダダンは街へ歩き出した。今度はスィーの手を取らず、ただゆっくりとスィーの歩幅に合わせて歩いた。スィーは何も言わず、ダダンの横を歩いた。


 街は大乱闘を始めようとしていた。スィーは攻撃される事などないだろう。ダダンは別かもしれないが。露店の出ている通りをゆっくりと歩き、ダダンは漸く口を開いた。


「なあ、スィー」

「なあ、にぃー」

「……」

「……」


 唐突にぶっ込まれる茶目っ気に、ダダンは言葉を失った。二度目ではあるが、とにかく見た目だけは可愛いのだ。こてんと首を傾げ上目遣いのスィーに騙されそうになる。ふるふると顔を振り、誤魔化されないぞと顔に力を入れた。


「口開けて」

「んあ? ンッ! あにふふ何する!」


 ダダンはスィーの小さな口に親指と人差し指を突っ込み、舌をつまんでいた。スィーは驚いた表情でダダンを見た後、キッと睨んだ。突っ込まれたダダンの手からは変な臭いがした。


「俺たちの行き先と、スィーの目的を教えてくれ」

いああいやだ!」

「この舌を切り取ったらスィーは死ぬだろ?」

しにゃにゅ死なぬ

「……でも喋れなくなるぞ」

「んん、はにゃしぇ離せ!」


 ペチペチとスィーの口に手を突っ込むダダンの腕を叩く。本気で抵抗していないことは、ダダンにも分かった。


「嫌だ。スィーが目的を言うまでは、」

はにゃしゅ話す!」


 ベチリと今度は強めに叩いた。こんなに早くスィーが折れるとは思わなかったダダンは、戸惑い疑いの眼差しを向けていたが、渋々舌から手を離した。


 スィーの口は自分の唾液でベトベトだった。


「ペッ、ペッ。お前、何触ってきた。ペッ」


 スィーの口の中に気持ちの悪い味が広がっていた。口にした事の無い臭い味、例えるなら馬の糞みたいな。ダダンは何か触ったか、と今までの事を振り返り転んだ時のことを思い出した。そうして、子どもたちが言っていた言葉を今一度考える。

 ばふん、ばふん。何だか柔らかい物で叩く音のようだな、などとあの時は思っていたが、違った。手に付いたにおい、あの時の感触、ばふん。


「……ああ! 馬の糞か!」

「殺すぞ」

「ヒェッ! いや、本当に、ご、ごめっ、じ、ジュース買ってくるぜ!」


 スィーの殺気を浴びてダダンは口直しの果実ジュースを速攻で買ってきた。スィーは地面にペッペッと何回か吐き出し、ダダンの買ってきたジュースを勢いよく飲んだ。氷の魔法か雪の魔法、若しくは温度の魔法が掛かっているのか、ジュースは丁度よく冷えていた。


「あ、あのー、スィー……」

「……」


 ごくごくとジュースを飲みながら冷ややかな目でダダンを見るスィー。


「……でもこれは、ぜってぇ聞くからな! あ、ああ、あとで文句は聞く! 」

「ふん! 何が聞きたいんだ」

「ふぇ、は、あ! ま、まず何処に向かってんだ!」

「ずっと遠くにある大聖堂だ」

「何で身体とか血を喰わせんだ!」

「……」


 ムスッと口を閉ざしもう良いだろとダダンを睨んだ。いつもなら引いてしまうが、今回のダダンは違った。


「スィー!」


 真剣な表情をしてスィーを見る。スィーは舌打ちをしてからぶっきらぼうに答えた。


「必要だからだ!」

「何に!!」

「私は生贄なんだ!!」

「……!!?」

「分かったか」


 ダダンの頭の中で生贄という言葉がぐるぐる回る。途切れそうになる思考を掴んで、何とか質問を続けた。しかし、動揺は隠せなかった。


「……護衛は、何で」

「喰わせるまで傷付けたら駄目だからな、生贄は」

「お、俺にも喰わせただろ、それは」

「ご褒美だ」

「美味くなかった」

「煩いぞ。本音は隠すことに意味があるんだ」

「スィーなら、傷付くこと、ない、だろ」

「……術を使うのはあんまり良くないんだ」


 スィーは笑った。ダダンは初めてスィーのを見た。驚いて、続きの声が出なかった。


「……」

「……」

「生贄って、生贄って何だよ!!」


 ダダンは吠えた。最初は理解出来ず、そのまま質問を繰り返していた。そんな中でスィーが余りにも綺麗に悲しそうに笑うから、それが、それがダダンの心に突き刺さって抜けなかった。

 切ない。大切なスィーが傷付くのはやり切れない。それを自覚した時に、スィーが生贄である事がとても腹立たしく思えた。


「どういう事だ! 大聖堂で何すんだ!」

「許しを乞う」

「は!?」

「神様に、穢れを祓うように」

「意味分かんねぇよ!」

「お前はそれの見届け人だ」

「なっ……な、……」

「……」


 スィーは死ぬ気だ、と何となくダダンはそう思った。スィーはずっと眉を下げて哀しそうな泣きそうな顔で笑っている。そんな顔、見たくなかった。


「……いやだ」

「……わがままボーイ。私はお前の」

「母親じゃねぇよ……。でも家族だ。友達で、相棒で、仲間で……。家族じゃねぇか……」


 ダダンは自らの頬をスィーの頬に擦り寄せた。鱗でスィーの柔肌が傷付かないよう、そっと優しく。それはダダンの愛情の表し方だった。スィーの頬は温かかった。ダダンの頬はひんやりしていた。


 わがままを言うな、そう言ってやりたかったのに、スィーの頭の中に最初に浮かんだのは嬉しいという言葉、いや、感情だった。


『ワタシの言葉は捨てていいわ。けれど彼の言葉はダメよ。ちゃんと貰ってね。その時感じたことを大切にしてね』


 蟲の女王に言われた言葉が頭の中に蘇る。クソッタレ、と蟲の女王に返した。全てお見通しだったのだ。

 スィーはダダンの頬に手を当てて、ぎゅっと自分の頬と挟んだ。そうして、言葉を紡いだ。


「……そうだな」

「!」

「家族だ」

「スィー……。約束しろよ」

「うむ」

「身体を傷付けたり、血を飲ませたりしないって」

「もうしない。身体を傷付けたり血を飲ませたり。……ん」


 スィーはダダンに向かって小指を向けた。


「ん??」

「小指、こう、違う! こう絡めるんだ! ふふ」

「お、おお?」


 スィーに言われるがまま、スィーとダダンは小指と小指を絡め合った。人族に伝わる約束の方法だ。


「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます」

「ハリセンボンノーマスって誰だ?」

「馬鹿ちんだな、お前は」


 頓珍漢なことを言うダダンにスィーは呆れたような顔を向けた。


「スィーが嘘ついたら……」

「ら?」

「俺が叱ってやるよ!」

「はは! お前に出来るのか?」

「ゆびきりげんまん嘘ついたら俺が叱る!」

「指切った。うむ。……指切れないな」


 絡めていた小指を離し、スィーは寂しそうに小指を見てそう言った。ダダンはぽかんとした顔でそれを見ていたが、意味を理解するとビクッと身体を震えさせた。


「え? 指切るってそう言う!? ヒェェ……」

「あはは! 馬鹿め!」

「ふっ、はははは! アガッ!? あああああ!? おぇっ、おぇっ、すっ、スィー!!!」


 大口を開けて笑っていたダダンの口には黒色の塊がぶち込まれていた。ダダンは慌ててゲホゲホと吐き出した。口の中が異様な臭さだ、まるで馬糞の様に。

 ダダンがジュースを買ってくる間に、スィーは馬糞を見つけ、大きな葉でくるんで茂みに隠していたのだった。

 スィーは馬糞を吐き出すダダンを満足気に見つめ、大きく頷いた。


「うむ」

「かじつじゅうすううぅ」


 叫びながら先程行った露店にジュースを求めたが、臭いのせいか物凄く嫌な顔をされ、ダダンはとても傷付いた。けれど何処と無く、安心したような笑みを隠せずにいたのだった。


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