第35話 オークション

 突然現れた黒い空間、そこから出てくる幾つもの黒い手。スィーは引きずり込まれる時も、その後も、ただただ安堵していた。


 抵抗ならしようと思えば出来た。だが、有象無象と呼ばれる黒い手に絡み取られた時、「私と同じだ」そう思った。だから、危害を加えられるとも思わなかったし、有象無象を力で押さえ付けようとも思わなかった。何より、操る事は出来るだろうが押さえ付けられるものでは無いだろう。


 黒い空間の中でスィーは目を閉じた。通常の者なら発狂するであろうこの場所は、スィーにとっては心地良い場所だった。何もかも忘れてここに居たい。そう感じてしまう程。


 その思考が途切れたのは黒い空間に外からの光が差し込んで来た時だった。


「ん? おいジョルジ、コイツ獣の魔人じゃねーぞ?」

「こまけェこたァ良いじャねェの、ジャルダ。魔人のガキにャ変わりねェ」

「まっ、そーだな!」


 有象無象がスィーを黒い空間から、二人の魔人に受け渡す。離れたくない、その思いを何とか口に出さずスィーは平生を装った。喚いたり泣いたり震えたり怒ったり暴れたりしないスィーを不思議そうに見つめたが、魔人たちは深く考えないタチなのか「こりャ楽だ」「そーだな!」とニコニコ笑顔を浮かべた。


 灰色のコンクリートで固められた地下通路だった。壁には等間隔で魔法による淡い橙色の灯りが付いていた。


 何とも愉快な魔人たちだった。スィーを担いで歩くのはジョルジと呼ばれた、頭のてっぺんからつま先まで左半身はヒト、右半身は角があり肌が青紫色の鬼と呼ばれる魔物、という歪な魔人。

 その半歩後ろには何かと「そーだな!」と肯定し続けるジャルダと呼ばれた、ビリビリと小さな音を立てた光を常に身体に纏っている髪や服が少々焦げ臭い魔人。


 二人はスィーをどうこうしようとはしなかった。スィーが抵抗しない事も理由だろうが、話の内容からして余り争う事が好きでは無さそうだ。どこかの国のサーカスという珍妙な見世物の話や、どこかの国のミュージカルという奇天烈な見世物の話を楽しそうにしていた。


「殺したり喰ッたりするよりも、断然おもしれェのによォ。なァジャルダ」

「そーだな! ジョルジ。でもあの人は、そーゆーの興味ないからなー」

「チェッ、休暇来ねェかな」

「そしたら沢山見に行こーぜ、ジョルジ!」

「あったりめェよ、ジャルダ!」


 この二人からは有象無象の匂いが微かにしていた。近くに存在するのか、どういう理由なのか明確には分からないが、スィーにとって二人が嫌じゃない者たちという事は理解した。


「おッ、着いたな」


 ジョルジの呟きを聞きスィーは少し顔をもたげた。口元の見える黒い兎の仮面をした魔人が静かに笑みを浮かべて佇んでいた。

 黒色のワイシャツ、黒色の手袋、黒色の革靴、赤色のスーツ。

 肌が白い為に余計に身に纏っている物の色が映えて見えた。


「お二人共ご苦労様でした。しかし、曲がりなりにもレディをその様に担ぐのは芳しくないですね。もし後を付けられていたら丸見えですよ?」

「あァ? 後なんて付けられる訳ねェだろが!」

「そーだぞ! 変な言い掛かり付けるな!」

「はあ……。全く噛み合いませんね。……はい、これが今回の報酬です」


 そう言って黒兎仮面の男が二人に差し出したのは、小さな長方形の紙二枚。それを見た瞬間、ジョルジは悲鳴を上げた。


「あァ!! まさか、まさかッ!?」

「ええ、そのまさかです。どうぞ堪能してきて下さいね」

「やったな! ジョルジ!」

「あァ! 最高だぜジャルダ!」


 興奮しつつも丁寧にスィーを受け渡すと、紙切れを持ってワイワイと喜びを全身で表していた。スィーはそれが何か知っていた。確か、映画という人族が生み出した娯楽のチケットだ。

 二人は感謝を述べてから直ぐに、文字通りスィー目の前から消えて見せた。魔法なのかただ速いだけなのか。後者な気がするが、もう二度と会うことは無いだろう。


 黒兎仮面の男は、スィーをお姫様抱っこして歩き出した。この男は、ジョルジとジャルダより格段に強い。そう思わせるオーラがあった。有象無象の匂いはせず、スィーの安寧は途絶えてしまった。


 そうしてスィーは、いつの間にか意識を失っていた。


 目が覚めたのは黒兎仮面の爽やかな声が聞こえてきたからだった。椅子に身体を固定され座らされていた。


「お待たせ致しました! 本日、最高の商品。今宵街中を惑わせ大騒ぎを引き起こした『血のようなワイン』、その張本人です! ご覧頂きましょう!」


 スィーの小さな身体に光が容赦なく当てられ、沢山の視線が値踏みするように身体中を這いつくばった。スィーは特に嫌な顔せず、恐れることもなくそこに座っていた。

 混乱も抵抗も何もしなかった。スィーはこうなる事を


 参加者の元に次々とスィーの血が一口分配られた。それを飲んだ者から目の色がガラリと変わった。ほう、と息を吐き感心する者、ギラギラと瞳を濡らしてスィーを見る者、もう一杯を要求する者。


 それからただ一人、配られた血に口を付けない者。


 スィーが視線をやった時、その者はニィと不気味に口を歪ませた。スィーは怯えること無く、しかし疑問に思いながらもそのまま視線を流していった。誰なのか全く見当がつかなかったのだ。


「さて、驚くべき事にレディには回復魔法が一切効きません。ケガをすれば永遠にその痕は残る事でしょう。惜しむらくは片腕がない事ですが……、おやおや皆様興奮してらっしゃいますね」


 黒兎仮面はわざとらしく肩を竦めた。そうして高らかにスィーの値段を宣言した。会場は一層ざわめき、値段がどんどん釣り上がる。


 スィーは高笑いしそうになる気持ちをグッと堪えていた。

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