第28話 準備
ダダンが目を覚ますと、身体の上にトト、左にネネ、それから右にスィーがいた。驚いて飛び上がりそうになり、辛うじて留まった。
昨夜は宿屋に帰ってきてシクティアスへの挨拶もそこそこに部屋へ直行し、四人仲良くベッドにダイブしたのだ。
三人の寝顔は天使のようだった。いや、実際の天使は鬼のように怖いし、鬼より怖い。鬼が可愛く見えるくらい天使は残酷だ。ただ、その容姿は非常に美しく、見蕩れている隙にあれやこれや弄り回される、らしい。
兎も角、美しい容姿の天使も見劣りする程、三人の寝顔は可愛いという事だ。ダダンはニヤニヤと笑みを浮かべ込み上げてくる多幸感に浸っていた。
身体の上で眠るトトの獣耳に、指で軽く触れた。起きる様子はない。耳の先っぽをふにふにと挟んでみる。獣耳はピコピコ揺れて、非常に可愛かった。ンフ、と変な声が漏れそうになるのを頑張って堪えた。
ネネの獣耳も触ってみる。トトと変わらず、しかし何となくネネの獣耳の方が柔らかい感じがする。毛量の問題だろうか。右手と左手でトトとネネの獣耳を楽しむ。こんな機会滅多にない為、無心で癒されていた。
そうして、ふと、スィーの触り心地はどうなんだろう、と疑問に思った。
思えば早い、スィーの白い頬を触ろうと右手をそーっと延ばした。
「変態」
「ヒェッ」
「ロリコン」
「なっ!?」
「ショタコン」
「ちょっ!?」
触れる前にスィーがぱちりと目を覚まし、矢継ぎ早にダダンへ言葉を突き刺した。スィーの目はダダンが凍ってしまう程冷たい色をしていた。あわあわと焦るダダンを無視して、スィーは起き上がりお風呂へと歩いていった。
「ネネ、トト、起きろ!」
ひょっこりと脱衣場から顔を出して、スィーが二人を呼んだ。が、子どもたちは目を覚まさない。ダダンが身体を優しく揺すって起こしていた。
「変態には任せられんからな」
子どもたちと脱衣場に入る前に、そう言い残しダダンが言い返す前にお風呂へと入っていった。
以前よりも早く三人はお風呂を終え、ダダンの番になる。早めに出るように、とスィーに言われた通りちゃちゃっと湯を浴びてダダンはお風呂から出た。
四人は部屋を出て、シクティアスの元へ訪れた。シクティアスは受け付けではなく食堂にいた。カウンターには他の客の食べ終えたトレーが幾つか乗っている。鉢合わせる事はなかったが、宿屋に泊まる客は段々増えているようだ。
朝の挨拶を交わすと、シクティアスはほっほっほ、と笑って調理場で忙しなく働くジューゴを呼んだ。ジューゴは嫌そうな顔をしつつ、何かが入っている大きな大きな布の袋をずいっとスィーに突きつけた。
「これ、持ってけ」
「ふむ」
「いいにおい!」
「おいしそ!」
子どもたちがクンクンと嗅いでそう言った。スィーから大きな袋を受け取ったダダンも、口の中に涎が出てくるのを感じた。
「ケッ、ベントーだ。クソジジイからのな!」
「ベントー?」「「べんとー?」」
「ほう」
「ほっほっほ、存分に楽しんで来なされ」
ありがとう、とそれぞれジューゴとシクティアスへお礼を述べて宿屋を後にした。
日は昇ったばかりだが、街をゆく者は少なくない。皆、スィー達と同じ方向へと歩いていた。
余程ベントーが気になるのか、子どもたちはベントーと同じくダダンの腕に抱かれて運ばれた。匂いを嗅いでは、ぶんぶんと尻尾を降る。時折ダダンの顔に二人の尻尾が触れて、ダダンはこそばゆい気持ちになった。
「あらあら、おはよう」
「うむ、おはよう」
「おはよう」
「「おはよ!」」
露店へ辿り着くと、既にパーピーと紫色のタマゴはクッキーを準備しいた。子どもたちはタマゴの「おヒトツいカガ?」にすっかり餌付けされていた。ダダンも懐柔されそうになっている。
スィーたちの露店は昨日見た物よりあちこち手が加えられていた。『血のようなワイン』と書いてある看板、ワイン用のグラスやそれを何個も乗せられる丸いトレー、子どもたちの為の台、ワインを入れておける樽が数個、用意されてあった。
「ジャンクが張り切ってたわよ? けれど、スィーが言った事を伝えたら触らぬ神に祟りなしって震えてたわ」
こっそりと、パーピーがスィーに教えてくれた。『それを飲んだら魔族で居られなくなる』なんて言われたら、恐ろしくなるのも頷ける。過ぎた好奇心は身を滅ぼすのだ。ジャンクはその点を理解している。
「ふん、弱虫な不良品め」
「あらまあ、言い得て妙ねぇ」
「随分な言い草だな!」
声のした方へ振り向くと浅黒い肌の子ゴブリンのような見た目のジャンクが居た。ギョロギョロした瞳を半目にしてスィーとパーピーを見ていた。溜め息を吐きながら、背負っていた身長より大きな仕切りを、スィーたちの露店の後ろのスペースへ置く。
「ったくよぉ。……ほい、ここで準備すりゃあいい。誰にもバレずにワインを生成できるぜ」
三つ折りになっていた仕切りが弧状に開かれると、スィーなら四人ほどすっぽり隠せてしまえるスペースが出来上がった。
「ほう、便利だな」
「俺の魔法がかかってるからな、有難く思えよ! それから……、売り子はあの獣魔人の子らか?」
「いいや、あのデカい奴だ」
「あらまあ、
「ラージ・ジェイドぉ? まんまじゃねぇか」
捻りがねぇんだ昔から、などと言いながらジャンクは紫色のタマゴの触手に遊ばれているダダンの方へ向かっていった。ちなみに、子どもたちは予めスィーから小銅貨を一枚ずつ貰っていた為、おもちゃにならずに済んだのだった。
ジャンクがダダンと子どもたちに何事か話しかけると、子どもたちがスィーの元へ駆け寄ってきた。ダダンは何か説明を受けているようだ。
「おてつだい、する」
「ぼく、うりこ? くびわ?」
「いいや、首輪はダダンだけだな。ネネ、トト、こっちへ来い」
スィーはジャンクが持ってきた仕切りの中へ二人を呼んだ。樽も一緒だ、樽は子どもたちの胸元くらいの高さだった。樽の蓋部分はなく、空っぽな中身が見えていた。
「いいか、ここの事は全て他言無用だからな」
「……たご?」
「なに?」
「誰にも話すな、という事だ」
「わかった」
「ぼく、いわないよ」
二人の返事を聞いてスィーは頷いた。それから服の裾を二本の指で挟みゆっくり引くように離すと、するるっと一本の細い糸が出来た。器用に片腕で樽の縁から縁へ細い糸を張ると、手首をスッと擦り付けた。
「わっ!」
「えっ!」
「静かにしてろ」
限りなく赤に近い紫の血が勢いよく樽に落ちていく。最初はポタポタと乾いた音だったが次第にぴちゃぴちゃと濡れた音に変わっていった。
子どもたちはスィーの命令通り、静かにそれを見守っていた。手首から流れる血は止まる素振りを見せず、それどころか勢いが増しているように見えた。そうして、樽一杯になると。
「
聞いた事の無い音でスィーがそう唱えた。いつの間にかスィーの手首からは血が止まっていた。傷もさっぱり見えない。
「台の上に乗せられるか?」
樽を指してそう聞くと、トトが台を取りに行き、ネネが樽を持ち上げて台に置いた。
「良い子だ。二人はグラスにこれを注ぐんだ」
「わかった!」
「いっぱい、うる!」
異様な光景を目の当たりにしても、さして気にした様子もなくスィーに接した。聞きたいことはあっただろうが、聡い二人は何も聞かずにいた。その代わり二人は、スィーの手首や腕をペロペロと舐めて異常のないことを確認していた。
準備は整った。いよいよ、
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