第17話
森から出たスィーは病院へと歩いていた。それは重い足取りだった。街は夕陽に照らされ物寂しい雰囲気があった。
手のひらにある蜜色の飴玉を見て、何故こんな行動を取ったのか自分の事ながら理解に苦しんでいた。
捨て置けとダダンに言ったのはスィーなのだ。
蟲の女王の言葉もスィーを苦しめた。大切なもの、感情、優しさ、弱さ、そして最後の
「あ……!」
聞き覚えのある声に顔を向けると、病院の方向から走って近づいてくるダダンが見えた。バツの悪そうな顔をして、ダダンは頭を搔いた。
「スィー、その」
「やる」
「え? ……石ころ?」
戸惑いを隠せないダダンに無理矢理飴玉を押し付けると、二人に喰わせろと言い捨てスィーはその場から逃げ出した。
「おい! スィー!」
ダダンの声に振り返ることなくスィーは走り続けた。今日はこんな事ばかりだ。逃げて走ってモヤモヤを抱えて、スィーは消化不良で胃もたれしそうだった。そのうち身体の中の物を吐き出してしまうかも知れない。
叫び出しそうになる忌避感を堪えながら、スィーは宿屋に辿り着いた。
乱暴に扉を開くと店内に鐘の音が強く響いた。
暫くして店主の老魔人が受付から顔を覗かせた。スィーは黙ったまま扉の前に呆然と突っ立っていた。
「おかえり。もう少しで夕飯じゃが……、吐きそうな顔しておるのう」
「……構うな、部屋に戻る」
「ほっほっほ。そう言うでない。気持ちはな、ご飯と違って吐き出し方を誤ると気分がもっと悪くなる。ジジイは弁えておるぞい」
「……」
「ほれ、こっちへ来なされ」
優しい笑顔を携えて老魔人はスィーを招いたが、スィーはその場から動かなかった。それならば、と老魔人がスィーの元へと向かっていく。
「ところで、換金はもう済んだかの?」
「……まだだ」
「なればご一緒しようぞ。道中ワシの話でも聞いとくれ」
「要らん」
「なあに、退屈はさせんよ。ほっほっほ」
言うが早いか扉の前にCLOSEの立て札を置くと、「ほれ行くぞ」と言ってスィーを促した。換金はしなければならないし、まだ宿屋にお金を払ってない。老魔人がにっこり笑うと、スィーは嫌だとは言えなくなった。
外は仄暗くなっており、等間隔に置かれた街灯が柔らかい光を放っていた。スィーにはどこもかしこも陽気に見え、つまらなく思った。
「昔話をしようかの。まだ人族と魔族が大規模な争いをしてなかった頃の話じゃ」
隣を歩く老魔人は意外と恰幅が良く毛量も比例していた。勿論ダダンよりは小柄ではあるがスィーが顔を見ようとしても、もっさり生えている髭に邪魔をされて目も見えなかった。スィーは街並みを見ながら話を聞くことにした。
「その頃は大きな争いさえ無かったが、小さな火種はそこら中で
スィーは興味深そうに耳を傾けた。老魔人の話している事はスィーが生まれる何百年、もしかしたら千年も前の事で、あまり耳にした事がなかったのだ。
「人族も魔族も多くの過ちを犯した。ワシも、それに巻き込まれた。人族の母と魔族の父を殺された」
「……どちらに?」
「見た訳じゃないがのう、あれは人族じゃろうな」
その声色に憎しみや恨みなどは含まれていなかった。年月がそうさせたのだろうかとスィーは考えた。
「恨んでないと思っとった。仲の良い家族ではなかったからのう。じゃが……、ワシは人族も魔族も多く殺めた。強さを証明する為だ、とその時は思っとったよ」
懐かしそうに老魔人は笑った。それから、少し辺りを見渡すと、一つの店を指さして「あそこへ行こうぞ」と勝手に中へ入っていった。
どう見ても換金場所などではない。飯所かと思ったがそうではなく、
今の場所から換金場所への道は分からなかった。老魔人は右へ左へとぐねぐね曲がって歩いていたからだ。仕方なしに、スィーもカフェへ入る事にした。
「こっちじゃ」
老魔人は既に2人用テーブルの席に座っていた。スィーも渋々席に座る。木製の椅子はスィーが座ると背もたれの部分が余ったが、老魔人の方はちょうど良いサイズだった。
スィーがテーブルにセットされている色々な物を見ていると、明るい茶色の髪を下の方で二つに結わえた魔人が話しかけてきた。魔人は一目でここの店員だと分かるエプロンを身につけ、帽子を被っていた。帽子からは二本の角が突き出ていた。
「シクティアス様! お久しゅうございます」
「ほっほっほ。元気にしとったかの」
「はい! 本日は如何しますか?」
「……食べたいものはあるかの?」
老魔人、シクティアスは目尻の皺を一層深くしてスィーに尋ねた。優しい笑顔だった。
スィーはこの店に何があるのか分からなかった。テーブルの上にはメニューがあるのだが、その存在も知らない。
ただ守護兵団の本拠地で飲んだ紅茶が忘れられず、ぶっきらぼうに答えた。
「……
「かしこまりました!」
スィーの態度に気分を害することなく、店員は明るく答えた。
「ワシも同じものを、スイーツはまた今度にするとしよう」
「かしこまりました! ありがとうございます!」
朗らかな笑顔を一つ咲かせ、店員は調理場のあるカウンターの方へ歩いていった。
「夕飯は宿屋にあるでな、一緒に囲もうぞ」
「……」
シクティアスの提案にスィーは口をへの字にして返した。シクティアスはそれを勝手に肯定として捉え、嬉しそうにほっほっほと笑った。
「クソジジイ」
「心得ておる」
シクティアスは
スィーの苛立ちや不満でさえ塗り潰してしまえる程に店内の雰囲気は明るく優しく、シクティアスの醸し出す雰囲気に似ていた。
「……シクティアス……シクティーアス……しくてぃ……しく、す、しぃくす……しっくす、シックスティー……あぁ」
「ほっほっほ」
お返しだと言わんばかりに名前を当てようとスィーはぶつぶつ呟いた。その末に辿り着いた物は、レオンたちの名前に鑑みて間違いないだろう。シクティアスは楽しそうに笑うだけだった。
それに煽られ、名前を口にしようとしたが、スィーは何も言葉を発することなく口を閉じた。周りの音を耳が拾う。美味しい、美味い、可愛い、キレイ、楽しそうな笑い声。自分だけが不釣り合いに感じ、何も言えなくなった。
「おまたせしました!」
「いつ来ても良い香りじゃな」
「ありがとうございます! ごゆっくり!」
二人の前にカップと紅茶の入った透明な容器、ミルク、砂糖が運ばれ、ふわりと温かく良い香りが広がった。シクティアスは紅茶を注ぐとミルクを一回り、砂糖をスプーン一杯入れた。スィーは何も入れなかった。
「さてさて、続きといこうかの」
食器の重なる音や水の注がれる音、色んな音が温かい光の下で溢れる中、シクティアスの昔話は緩やかに流れ出した。
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