第16話
病室を飛び出したスィーは森へ向かっていた。腹の奥には決闘の時と同じようなモヤモヤが渦巻いている。ダダンが言うことを聞かず腹が立っているのだと分かったが、そんなに怒る事でもないのに不思議だった。それに、腹よりも上の方、胸にもツンとした痛みがあった。初めての感覚だ。きっと走っているせいだと、無茶苦茶な理由を当てはめる事にした。
森に辿り着き、ズンズン奥へ進んでいく。森たちはスィーを恐れているのか、立ちはだかる者は居なかった。
「おい、蟲の王が居るだろ! 出せ!」
森に響き渡るようにスィーは怒鳴った。逸る気持ちのせいで、イライラがどんどん膨らんでいった。不愉快だとスィーは思った。苛立ちも胸の痛みも、全て不愉快だ。
森は未だ静寂を保っている。
「また燃やされたいか」
そう脅すと、ザワザワと木々が鳴き出した。あの炎は相当な痛手だったらしい。ざわめきが収まると、草木が道を開けた。躊躇いもなく進んでいくと、行き止まりに大きな岩が現れた。蔦や枝、根っこに草花、色んな植物が岩を雁字搦めにしていた。
「
聞いたことのない音でスィーが呟くと、瞬く間に植物が枯れ果て大きな岩は砂となり崩れ去った。
砂の山に手を突っ込み何かを握ると手を引き抜いた。スィーの手の中には、小さな美しい人型のナニカが眠っていた。それが蟲の王だと、スィーは知っていた。森によって封印され、王を失った蟲たちは良い様に操られていたのだ。
「起きろ、蟲の王」
スィーに握られている蟲の王はゆっくりと目を開けた。瞳は鮮やかな黄金に輝き、長い髪も同じように輝きを放った。髪留めのように付いていた一輪の蕾が咲き誇ると、にっこりと優しい笑を零した。
「ありがとう。助けてくれて」
「そんな事どうでもいい」
「イヤだわ、ちゃんと言わせて」
スィーに気圧されることなく、一呼吸置いて喋り出した。
「ワタシは蟲の女王。森に騙され力を奪われていたの。蟲たちの嘆きは聞こえていたけれど何も出来なくて……。ありがとう、助けてくれて。蟲を代表して感謝するわ」
「魔人の癖に魔族に負けたのか」
「……そうね。ワタシの悪い癖ね」
蟲の女王は悲しげに笑った。どうも、ヒトの特色が濃い魔人のようだ。姿はとても小さく、手のひらより少し大きいくらいだが、凛とした佇まいと声色は存在感を大きくさせていた。
スィーは逃げられない様に蟲の女王をずっと握ったままだった。蟲の女王はそれに文句を言うことなく、笑みを絶やさずに話しかけた。
「力は奪われていたけれど、アナタが森に入ってからはずっと見ていたわ」
「子どもたちに喰わせてた寄生蟲の事か?」
「それは……そう、よ。けれど誤解しないで。森がそうさせてたの、ワタシは蟲たちを通して見てただけで……。ごめんなさい」
謝り項垂れる蟲の女王を見て、スィーの握る力が強くなった。気に食わない。素直に感謝されるのも、素直に謝罪されるのも、恨みたいのに恨めない蟲の女王の全てが、気に食わない。何より、そんな風に心が乱れる事が気持ち悪くて嫌だった。
心身の異常に混乱し、スィーは声を荒らげて蟲の女王を責め立てた。
「お前の蟲のせいでアイツが私の護衛を止めるかも知れないんだぞ! アイツは、ダダンは私の見届け人なのに!」
「彼が望んだの?」
「ダダンは私が言えばそれを望む。自分で決められないんだ。それで良かったんだ!」
「彼はもう言いなりを望んでないのね」
「煩い! お前が治せば直ぐ元に戻る。早く治せ!」
スィーと蟲の女王は暫し見つめ合った。スィーは戸惑いや悲しみ、それから怒り、憎しみ、沢山の色を瞳に浮かべていた。蟲の女王は全てを受け止め、どうしたらスィー自身にそれを気づいて貰えるのか考えていた。もうそろそろ、自分の気持ちに気づく時だ。
もどかしい時間に耐え切れず、スィーは殺気を言葉に乗せた。
「さもなくば蟲を滅ぼしてやろう」
「……アナタは怖い。きっと魔の付く者たちは皆アナタに恐怖するわ。でもね、それだけじゃどうにもならない事があるのよ」
「そんな物ない」
「彼が、そうなんでしょう?」
「そんな物ない!」
蟲の女王の言葉に被せるようにスィーは怒鳴った。
「ダメよ、それじゃあダメ。アナタ、彼を知ろうとしてないわ」
「アイツのことはアイツよりもよく知ってる」
「いいえ。彼は変わろうとしてるの、きっとそう。大切なものが出来たのよ」
「だから何だ」
「アナタも変わらなきゃ。彼を大切に思うなら」
蟲の女王にそう言われて、スィーは傷付いた顔をした。けれどスィーは自分がそんな表情をしているなどと少しも気付いていなかった。
「……ダダンの事を大切に思った事など一度もない」
「……哀しいわね、哀しいわね。アナタ感情を知らないの。だから、分からないのね」
「治すのか治さんのかどっちなんだ」
スィーは聞いていられないとでも言うように、握る力をより強くした。蟲の女王は苦しそうに顔を歪め、自分の身体が軋む音を聞いた。
「いっ、いいわよ、治すわ。あの子たちよね、獣の魔人の
仲睦まじい家族を蟲の女王は覚えていた。ヒトの母と魔人の父、それから子どもたち二人。父の方は妻の名付けにより魔人になったばかりで、獣の姿でいる事の方が多かった。それでもシルバーウルフの名に恥じない強い魔人だったが、ヒトである母の方は弱かった。
森は蟲の女王を謀り力を奪うと、母を狙いその毒牙にかけた。じわじわと精神を脅かす鱗粉を食材になる植物に振り掛けた。最終的に母を乗っ取り人質にして父を傀儡にし、子どもたちにその身を喰わせる事に成功したのだ。
蟲の女王は全て見ていた。目を背けることは許されなかった。
「弱いからだろ」
「そうね、ワタシたち弱いの。だから共存するのよ。共に生きてくために手を取り合うの。分かる、かしら……?」
分かって欲しいと蟲の女王は思った。そうならない事も分かっていた。案の定、スィーは馬鹿にした様に笑ってから言葉を吐いた。
「強さが全ての魔族が聞いて呆れるな」
「だって生きてなきゃ意味無いもの。生きていないと、弱いままでも。でも、もうワタシたち弱いままじゃないわ。アナタが助けてくれたから、この森を滅ぼすの。アナタのお陰よ」
「私は何もしてない」
「アナタはアナタ自身の感情にも優しさにも寂しさにも、目を向けてあげられないのね」
「ははは! そんな物があるとして目を向けてどうする。それは弱さだろう」
「アナタ自身がよく知ってるじゃない。弱さと強さは表裏一体の
「煩い! さっさとやれ!」
「ワタシの言葉は捨てていいわ。けれど彼の言葉はダメよ。ちゃんと貰ってね。その時感じたことを大切にしてね」
蟲の女王はスィーの手からするりと抜け出すと背中に生えた羽でふわふわと空中に留まった。髪に咲いている花の蜜からキラキラ光る飴玉を二粒作り、スィーの手のひらの上にそっと置いた。
「これを食べさせてあげて。そうしたら毒はもう無くなるから」
「ふん、下らない時間だったな!」
蟲の女王はじっとスィーを見つめ、それから決意して言葉を送った。
「どうか、アナタに幸福を」
「……!」
スィーの額に
「さよなら。……さよなら」
スィーは蟲の女王の別れの挨拶を黙って聞いていた。
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