第11話 山の上に暮らす、ということ
山の上に暮らす、ということ
そこはトレッキングコースなんておこがましいほどの、ケモノ道のような険しい山道だった。整備もされていないため、木々が覆いかぶさり、それを腕で避けながら歩くような場所だ。
そんな道を、まるで学校帰りの制服姿で、学校指定のカバンを担ぎ、ローファーで歩く、一人の女子高生がいた。
ふだんは野生動物がつかう道なので、そこでイノシシと遭遇するも、ボーガンで撃退した。
度胸がすわったのは、あの戦いをくぐり抜けたため? 小型で軽量、殺傷能力は低いけれど、相手を怯ませるには十分な武器で、放った矢が前足の辺りに命中すると、堪らず逃げだしていった。
途中、木の杭を打って、藁で編んだ縄が張り巡らされた、境界を隔てるのと同時に野生動物の侵入を防ぐ柵があった。少女は勝手にそこを乗り越える。そのとき、スカートがめくれることさえ気にすることもない。こうした羞恥心の欠如も、あの戦いのせい?
自分が死んでいると気づかされ、戦いに勝利しないと、元の通りの生活もとりもどすこともできない……と自覚した。羞恥心なんて不要、思いやりは邪魔、自分のために戦った、あの七時間――。
今はそれから二日ほど経っていた。
やがて、急に開けた場所に出てきた。そこには豊かな実りを蓄えた、田畑が広がっており、山の中腹を切り拓いてつくられていた。遠くには茅葺の古ぼけた一軒家があり、まるでポツンと……に出てきそうだ。
「アケリさん!」
大きな声が響き、遠くから近づいてくるのは、大きな麦わら帽子に腕カバー、モンペを履いた少女であり、農家の娘にしか見えない。手には収穫した野菜を乗せたカゴを抱えている。
アケリと呼ばれた少女も「こんなところに隠れ住んでいたら、紫微人であっても、不都合もないわけね……」と呟く。
麦わら帽子の下には、色素異常をもつのか、肌が抜けるように白く、髪も水色に見えるほどで、日光を遮る必要もあって大きな麦わら帽子をかぶるのだろう。当人はいたって元気で、収穫した葉物野菜をかかえ、笑顔で近づいてくる。
「アケリはやめて……。異世界にいる間は不承不承、受け入れるけれど、私には水無月 凛という名前があるの。こちらではそっちで呼んで。イナミは、イナミのままでいいの?」
「イナミでいいですよ。ソイさんを呼んできましょうか?」
あの男も、自分をソイと呼ばせているのね……。ここで、本名を名乗ろうとする自分が、逆に恥ずかしくなった。外界と隔絶されたここで、三人だけであれば、星宿でも通用するのだから。
「どこかに行っているの?」
「裏山に入っているんですよ。多分、今日辺りにアケリさんも来るんじゃないかって言って……」
どうやら、イナミが呼び方を直してくれる可能性もなさそうだし、アケリもそのままスルーすることにした。それより……「私が来ると、裏山に行くの? 逃げたのかしら……?」
「逃げるわけ、ないだろ」
背後からそう声をかけられ、アケリは飛び上がるほど驚いた。そして、ふり返ってさらにビックリした。何しろそこにはソイが立って、大きなイノシシを肩に担いでいるのだから。
「な、何をしているの?」
「狩りに行っていたんだが、こいつが走ってきたから、仕留めたんだよ。これで今日はシシ鍋だ」
それは先ほど、アケリが追い払ったイノシシのように見えるけれど……。「食べるんだ、これ?」
「クマやイノシシなど、狩りをして一定数を減らしておかないと、敷地に侵入してきて、田畑を荒らされるからな。それに、ここは自給自足。動物性たんぱく質もすべて自家調達だ」
茅葺屋根の家は、囲炉裏もある、本格的な田舎暮らしを満喫できるものだ。水は湧水を引きこんでおり、お風呂も薪炊きの五右衛門風呂。電気は通っていないけれど、大きいソーラーパネルがあり、それで家電を動かすこともできるという。昭和より前の生活を感じさせた。
「おいしい……」
「野生動物の肉は、血抜きをしっかりすると、どれもおいしく食べられるものだよ。ただし、ここに冷蔵庫はないから、新鮮な肉が食えるのは今日だけ。後は天日干しにして、燻製にしておく」
「燻製……おいしいの?」
「硬いから、柔らかくするのが大変だけど、ふつうに食えるぞ。二、三日滞在していれば、明後日には干し肉だ」
イナミがあまり嬉しくない表情をしているので、それが保存性を優先したものであることが分かる。
「本当に自給自足をしているのね……」
「分かっただろ。ここにいる限り、紫微人であっても息苦しさがあるわけじゃない。だから焦って生き返りなんて望まないんだよ」
「でも、アナタだって結婚とかしたいでしょ?」
「別に……。紫微人になると、性欲はほとんどなくなるから、結婚する気はない」
「嘘……? だって、あのアミの胸に触っている人をみたわよ」
「アミに?」おかしいとばかり、一頻り笑ってから「紫微人にとっては、子孫を残すなんて意味のないことだ。だからそれに紐づく、性的欲求も湧かない。生きているころとは違うからな。だから最初、イナミにも覗かれたって怒られたけれど、別に覗きたいわけじゃないんだよ。
きっと、胸を触ろうとする奴がいれば、そいつはそれが習慣化、もしくは状態化しているから、ルーティーンでそういうことが起きているのさ。決して性的な満足は得られないだろうけれど……」
自分の話をもちだされ、真っ赤な顔をしてイナミはソイの腕をどんと叩く。アケリもその話は聞いていたので、乙女心を分かっていない、ソイのことを睨んでみせただけだった。
今は夜、三人はLEDライトで照らされた、囲炉裏のある部屋で、囲炉裏を囲んでいた。所々で今っぽい部分はあるけれど、電力消費の少ないライトなら、充電しておくと使えるのだそうだ。
「ここに長く暮らしているの?」
「ま、そうだな。大学に通ったこともあるが、もどってきてからはずっとここだ。時おり離微動に呼ばれてそこに行くが、ここから出るのはそのときだけだよ。必要なものはネットでも買えるし」
「届けてくれるの、ここ?」
「いや、下にある小屋までだ。ここまで道路は通っていないし、何よりここには住所なんてない!」
そんな力強く語ることでもないけれど、だから隔絶され、紫微人であっても不都合もないことだけは、間違いなさそうだった。
「ここに来たのは、聞きたいことがあったんだろう?」
ソイの方からそう話を振る。
暦戦がそろそろ終わり……と悟って、彼らは異世界との境界へと来ていた。離微動により苦痛に苛まれる中、
「アナタの知っていることを教えて。全部!」
「ムリだよ。そろそろ異世界が消える。そうすれば、勝手にもどされるんだから」
「じゃ、じゃあ、現実世界で……」
そのとき、光が襲ってきた。この光に包まれたら、もう離れ離れとなる。
「オレは山にいる。聞きたければ、そこに来い!」
それが最後の言葉だった。そして彼らは現実世界にもどってきた。また離微動が起きて、置換される世界へ呼ばれるまで、しばらくの休戦だった。
その約束通り、アケリは訪ねてきたのだ。
「ここって、つまらなくない?」
「オマエらが何を楽しみにしているか、なんて知らないよ。動画みて、ゲームして、友達とダベって……そんなことが楽しいというなら、オレみたいな一人者が、こんなところで暮らしているのがつまらなく映るだろうな。でも、畑仕事をして、山仕事をして、時間なんてアッという間に過ぎる。動物と、植物の成長を楽しみに生きるのもまた楽しからずや」
その傍らではイナミがタブレッドで動画を見ている姿が、妙にシュールに映ってしまう。こんな山の上でも、電波がとどくことにも驚いたけれど、部屋にはノートパソコンなどもあって、それなりに文化的という名のハイテク化がすすんでいることだった。
「紫微人は歳もとらない。もう死んでいるからな。この肉体が朽ちていくのか、それともこのまま現状維持なのか……。それすら分からない。ただ、周りの人間と暮らすのは、色々と不都合が多すぎる……って、オマエは学校に通っているのか? 紫微人になっても?」
「私は学校に通っているわよ。死んだことは誰にも知られていないし、家族ともほとんど一緒じゃないからね。誰も私のことなんて興味ないのよ」
「そういえば、政治家の父親と、不倫の母親、とか言っていたな」
「よく憶えているわね……。その通りよ。父親は東京に行っていて、地元には滅多にもどってこないし、母親は不倫……というか、支援者や秘書らと遊びまくっているからね。私は一人で暮らしているも同然なの」
「だから家で暮らし、学校にも通う? 結構、度胸があるな、オマエ」
「茶化さないで! 私は別に、他にすることがないから学校に通っているだけよ。でも、家族と疎遠だからといって、私は別に自分を不幸、なんて思っていない。私は生き返りたいの。好きな人ができても、結婚もできない……そんなの嫌! 私はまだ生きたいのよ」
「そのために情報集め……か」
ソイもため息をつく。
夜になったら山を下りるのは危険だ。アケリも泊まっていくことにするが、問題は古ぼけた茅葺の一軒家には、三畳の土間、囲炉裏のある四畳半の板敷きと、その隣にある畳敷きの四畳半しかないことだった。
離れにあるトイレは肥溜め式だし、お風呂は五右衛門風呂。
「JKを、お風呂にも入れない気!」ということで、ソイも渋々とお風呂を沸かす。
「覗かないでよね!」
「覗かねぇよ。言った通り、紫微人は欲情しない。別に、お前が全裸で歩いていようと『もう……。アンタすぐ風邪ひくんやから、早よ、服着ぃ!』とツッコミを入れてやるよ」
「何で大阪のオカンなのよ……。イナミも一緒に入る?」
「うん! でも、せまいよ」
離れは掘立小屋のようだけれど、一軒風呂よりも広く感じた。
「これだけあったら、広い方じゃない?」
「え? 三人で入るのに?」
「ちょっと! アンタ、イナミと一緒にお風呂に入っているの!」
「入ってねぇよ。イナミのお茶目な冗談だ」
「……てへ❤」
アケリも思わず唖然としてしまった。暦戦のときには、怯えておどおどしているような感じだったのに、冗談まで言えるようになっているなんて……。
「外が見えるお風呂っていいわね」
灯りも蝋燭だけなので、風情がある。離れなので、ソーラー発電で溜めた電気も、ここには通じていない。手作りの石鹸と、得体の知れない油が置かれており、アケリもシャンプーは諦めた。
「でも、冬は寒いそうです。ここから家に飛びこむまでに、三回は心臓が止まるって言ってました」
「紫微人なのに?」
二人も笑う。心臓なんて動いていない。半死人なのだから。紫微人が生きている者の間で生きていたら、心電図をとられたら終わりだ。自分が生きていない、と暴露されてしまう。
「でも、イナミって肌がきれいよね。これ、聞いていいのか分からないけれど、生まれたときからその髪色?」
「いいえ。髪は元々、黒かったんです」
後天性? 色素異常が生まれた後で発症することもあるのかもしれない。
「アナタはまだ、自分の力が分からないの?」
「ええ……。でも、置換されたあのエリアでしか通変はつかえないって……」
「そうみたいね。でも、特殊能力については、頭で理解するものなのよ。だから私も力の使い方だけは、誰に教えられずとも分かっていた。そういうことはない?」
「そうなんですか……。私、名前ですら憶えていなくて」
「……え? どいうこと?」
「ソイさんが、私のことをイナミだって……。そう名乗っておけばいいって」
この子は……、イナミじゃない? アケリもそう気づく。もしかしたら、ソイも私のことを騙しているのかもしれない。改めて生まれた懐疑だった。
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