第10話 暦戦が終わる、ということ

   暦戦が終わる、ということ


「ア、アミ……」

 トロキ……いや、トロキを名乗っていたスバルは、愕然としていた。前方にいるアケリはナイフを構え、その怒りの表情からも今にも襲い掛かってきそうだし、背後からゆっくりと近づいてくるアミは、そのヘルメットのシールド部分に〝殺〟の文字が浮かんでいた。

 どちらも話し合いが通じそうにはない。

 スバルはさっと手を前に上げて、アケリに向けた。本来はイナミにつかいたかったけれど、この際、アケリでも構わない。自分の意のままにできる星宿を手駒に、この場をくぐり抜けるのだ。

 しかし、アケリの前にはソイが立ち塞がっていた。この薄汚い男が、すべての元凶だ。この際、この男でも構わない。こいつを弾避けにして、自分だけ逃げのびる。そうすれば次の機会を狙える。

 さっとその手をソイへと向けた。

 …………心が、ない? ソイというこの男の心が、まったく見えない。

 まるで硬い鍵がかかっているようだ。こちらがいくらノックしても、その扉が開くことはない。

 そんな奴、いるか? 自問自答する。人の心は容易に操れる。だから昔から今にいたるまで詐欺や、献金などと称して金集めをする宗教団体などが跋扈するのだ。そこには様々な手法もあり、解明されていることもあるけれど、それでも人は騙されてしまう。それぐらい、容易いのだ。

 騙されている間は、気分がいい。気分がいい、というのは、騙されている間はそうだと思わない、ということだ。つまりスバルという星宿は〝騙し〟の力をもち、人を操ることもできるのだから、最強ということ。ただ一度の暦戦につき、操作する力を一回しかつかえないのが玉に瑕――。だから慎重に、チームをつくっておいて、最後につかうつもりだった。


 しかし……。このソイという男の心はまったく見えない。見えないから、操作することもできない。雲をつかむ……否、雲なら見えているけれど、何も見えない。そこに影すらなかった。

 このスバルよりも強い星宿……?

 ハッとした。そのとき、すでに背後にはアミが迫っていたからだ。もう破れかぶれだった。この際、このアミを操作しよう。そうすれば、こいつに殺されることもなしで済むのだから……。

「ふやぁぁぁぁッ‼」そのとき、絶望に充ちた叫びを上げたのは、スバルだ。

 アミの心にふれ、上げた叫びだったけれど、それはスバルにとって、幸せだったのか、不幸だったのか? アミがその首を引き千切ったときには、心が壊れてしまっていたのだから……。

 首がもがれても最早意識もなく、彼は絶望した表情のままだったけれど、二度目の死は、確実に彼を地獄へと蹴り落としたのだろう。


 その少し前――。

 アケリがソイのことを信じた、その理由があった。それは彼らが先にアミと遭遇したこと。

 二人で話していたそこに、ふらりとアミが現れたのだ。

「アミは死刑執行官……」そう言われ、恐怖で後退りしたアケリだったが、逃げる足は固まっていた。

 黒いヘルメットとライダースーツ、それは人の血も通っていない……、元々、紫微人なのだから、人の血なんてほとんど通っていないけれど、それが殊更に冷徹で、冷酷な印象を与えてきた。

 恐怖が人の足をすくませる。アケリも、死んだあの時でさえ感じたことはなかったのに……。だが、恐怖するアケリを尻目に、ソイは「オマエ、悪いことをして死んだのか?」と、突拍子もないことを聞いてきた。

「し、失礼ね! 悪いことなんて……」

「じゃあ、多分大丈夫だよ」

 そういうと、何も身構えることなく、ソイはアミに近づいていく。

「よう、今回は女型か? 何とか巨人だって、女型は序盤で消えたぞ。色っぽい体をしている奴は、絵的には面白いけれど、エロ漫画以外では中々出番が回ってこなくなるものだ」

 そんな軽口を叩きながら、ソイはそのままアミの首に腕をまわし、肩などを組んでいる。それをアミも、ちょっと嫌そうだけれど、特に振りほどくこともないし、何より敵意もみせなかった。

「な、何で……?」

「言っただろ。アミなんて怖くないって」

「でも、死刑執行官だって……」

「その通りさ」

「……?」

「おいおい、死刑ってどういう人間がうける?」

「……え? 悪いことをしたり、政治的に失敗したり……」

「その通り! つまり悪いことをして死んだ……。そういう奴を処分、排除するために配された役回り、それがアミさ。だからアミを怖がるっていうのは、それなりの奴ということだ」

 あのとき殺されたのも、人間的にはクズ野郎だった。そう悟って、アケリもハッと気づく。このチームで、一体誰が悪なのか、を……。


 恐怖で泣きじゃくるイナミを宥めるよう、優しく頭を撫でつつ、ソイも「アミももう仕事は終わりだろ?」と、スバルの死体を見下ろしているアミに尋ねた。

 それに応えることもなく、アミはソイのことなど無視して、ゆっくりと歩いて遠ざかっていく。どうやら、まだ仕事があるようだ。

 ソイはお腹にしがみついているイナミのことを、ひょいと抱え上げた。それは無残に死んだ、スバルの遺体を見せないつもりなのかと思ったが、そういうことでもなさそうだった。

「さて……。今回はどうやら、あまりよい決着の仕方はしそうにない。早めにずらからせてもらおう」

「ずらかる? 特異点に向かうんじゃ……」

「行きたければ、勝手に行くがいい。でも、これだけは言っておくが、行ったところで望ましい結果になるとは限らないぞ。絶対に今回、生き返りたいというのでなければ、一旦は退くことも戦略だ。生き返りたければ、まずは生き残れ。それもここの鉄則だろ?」

 アケリもそう言われ、立ち去ろうとするソイの背中をみて、そこに抱っこされている、まるで娘のようなイナミをみて、しばらく考え、黙ってその後についていくことにした。


 ホトオリは、チーム玄武が焚火をしていたところにもどってきた。そこにはチチリとスゥ、ミイの三人がいた。

 殺したチーム玄武の四人がその辺りに転がっているけれど、三人ともまるで気にしていない。どうせ死んでいた者が、改めて死んだに過ぎないのだ。

 それに、このチームをまとめるとき、ホトオリがルールを与えていた。ホトオリの星官は〝内平〟。それは言霊により、すべての理をルール化する力――。そうやって彼がこの三人を手下にした。騙したわけではない。でも、騙すよりもっと確実に、傘下に収めてみせたのだ。

「残り二人は? 全滅させた?」

 チチリの問いかけに、ホトオリも首を横にふった。

「一人、見つけられずに逃げられたよ。戦う気もないのなら、ムリに追うこともないさ。そろそろ、七時間が過ぎる。このままここに居座りつづけ、何が起きるかを確認しよう」

 ここが特異点でないことを知っているホトオリにとっては、何も起きないことも知っていた。ただそれが、祖母を生き返らせる道なのだ。

「何が起きるか、楽しみ❤」

 チチリはそういって、少女らしくわくわくする様子を隠さない。

「あまり楽しみにしない方がいい。何しろ、異世界が消えるときもあれが来る」

「……あれ?」

 そのとき、強烈な振動が襲ってきた。離微動――。そう、立っていることさえままならないほどの、苦痛に苛まれていた。

「ハァ……ハァ……。これ、ずっと続くの?」

「こればかりは諦めるしかない。異世界が消える前の、儀式のようなものだ。だからちゃんと意識を保って、しっかりと、これが終わるとき、置換が終わるときに何が起きるかを、見定めるんだ」

 離微動はそれほど長くつづかない。四人もその束の間にホッと一息ついていると、彼らがいるすぐ近くで、けたたましい、動物か何かの上げた、雄叫びのようなものが聞こえた。

「魔獣かしら……」

 ミイも不安そうにそう呟く。彼女らの通変があれば、魔獣とて決して怖い存在ではないけれど、離微動が起きているときに襲われたら、厄介なことぐらい、誰にでも分かった。魔獣の中には肉食のヤツもいて、紫微人にも襲い掛かることで知られているからだった。離微動で苦しむ中を、影響の少ない魔獣に襲われたら……。想像するのも嫌だった。

 ただそのとき、雄叫びに雑じって誰かの悲鳴が聞こえたことに、誰しも気づいていなかった。

 そのとき、ふたたび離微動が襲ってきた。四人が跪くほどの苦痛に耐えていると、小さいけれど、リズムはよく重々しそうな音が聞こえてきた。それは本物の地響きを伴って、ゆっくりとその姿を現す。

「な、何……あれ?」

 ミイの声が震えていた。そこには象よりも巨大な、まるで全身が燃え盛る炎でつつまれたような、オオカミっぽい獣がいた。魔獣……? 否、まるで生きているようには見えない。生きてはいないけれど、確かにそこにいる。四つ足の化け物が、そこにはいた。

 しかも、その巨大な口にはあってはいけないモノを銜えていた。下半身のほとんどが飲みこまれ、上半身のみが覗く、老婆の姿だった。

 ホトオリは総毛立つ。それは真の特異点に一人で向かったはずの祖母、ウルキの姿だったからだ。

「に、逃げなさい……。こいつはタマオノ。最強の…………星宿」

 その時、その巨大な化け物はその口を閉じる。その瞬間、ウルキの腹が食いつぶされて、胸の辺りから先がボトリと落ちた。化け物は口から滴り落ちる血を舐めとろうともしない。それは食事としてではなく、相手を殺すために咬み殺した、ということを示していた。

 スゥが一歩前にでて、腕を前に向けてふった。すると弓矢が水平に発射され、化け物へと飛んでいく。

 ただ、その巨大な体に細い矢がぶつかっても、刺さりすらせず、ぶつかる直前で勢いを失い、そこにぽとぽと落ちてしまう。チチリも大きな鉞を、まるでブーメランのように投げつけたけれど、柔らかく化け物の手前で着地してしまう。物理攻撃は、どうやら無意味だ。

 ホトオリも愕然としていたが、また離微動が襲ってきて、屈みこんだことで、我をとりもどした。とにかく、離微動の周期が早くなっているので、もうすぐこの異世界は消える。それまで逃げ続けるんだ。

 それが祖母、ウルキの最後の言葉じゃないか。両目を見開いたまま、絶命する祖母の顔をみて、ホトオリも誓った。

「とにかく逃げろ! 逃げ切るんだ!」

 ホトオリのその声で、全員が逃げ走った。ここから生きて……否、紫微人はとっくに死んでいるのだから、生きてはいないのだけれど、次の暦戦のときには……憶えていろよ、化け物めッ!


「ハァ……ハァ……。特異点に……行くんだ」

 元々悪かった腰をホトオリに蹴られ、立ち上がることさえできないけれど、トミテも四つん這いで、体を引きずりながら前へとすすんでいた。

 時おり襲ってくる離微動は、いやが上にも老体を鞭うった。ただそれを、逆にバネにして前へとすすむ。

 小学生男子たちとの、あの記録を消す。パソコンにロックをかけないまま死んでしまうなんて……、ぬかった。

 彼は海釣りに行った。ただ、お金をかけるのが嫌だったので、海岸沿いの崖に上がって釣りをすることにした。昔から、そこがよい漁場だと知っていたのだ。そして、その崖から足を滑らせて落ちてしまう。高齢となり、腰も曲がり、若いころと同じようにはいかなかったのだ。

 とにかく生き返って、自らの尊厳を確保する……。孫だっているのだ。祖父がそんな趣味の持ち主だとしたら、孫だって可哀想だ。そのためなら、誰であろうと蹴散らす。たとえ裏切ろうと、騙そうと、体がボロボロになろうとも……。

 そのとき、行く先に立ち塞がった者がいた。

「す……すいません、腰が悪くて。あなたも特異点に行くのなら、私を連れて行ってもらえないでしょうか?」

 こういう時に、遜ってお願いするぐらい、社会性を身に着けた教師だったら当然のスキルだ。そうして、特異点につくまで会話をし、しっかりと相手を把握し、到着したら、相手の寿命を縮めて殺す。そうすれば特異点に立っているのは自分だけ……。こいつには悪いが、私の踏み台になってもらおう。それが社会性、儒教の精神である目上の者を立たせてもらおう。

「ど、どうか……、この老人に……」

 必死の思いで見上げると、そこには黒いヘルメット、ライダースーツを着た女性が立っていた。

 両足でふわっと飛び立ったその女性は、グンと自分の体重をかけて、トミテの腰の上に降りたつ。その瞬間、前に曲がっていた腰が、逆方向にぐりんと反り返るほどの衝撃で、トミテも白目を剥いて絶命していた。

 そのとき、周囲一帯が眩い光へと包まれていく。今回の暦戦はこれで終わり。勝者は誰もいなかった。

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