第9話 騙す、騙される、ということ
騙す、騙される、ということ
「あの男、信用できるか?」
トロキにそう尋ねられると、アケリも首を横にふった。
「分からない……。でも、分からないというだけで、否定もできない」
感情的にそれを否定してしまうこともできるだろう。でも、異世界がもしパラレルワールドだとすると、厄介な問題を生じることも確かだった。
暦戦に参加する者が望むのは、生き返り……甦りだ。しかしパラレルワールドがふつうにある、という前提だと、その甦った世界とは、自分のこれまで暮らしていた世界と、果たして同じなのだろうか……? つまりそこは、パラレルワールドではないのか? と……。
それが、理屈ではそうした可能性を否定できない、としつつも、感情的には受け入れがたい部分であり、ひいてはそれを語るソイのことを信用できない要因ともなっていた。
「ボクはあの男、危険だと思う。こちらを否定するようなことを言ったり、意見したりするくせに、改めて尋ねると知らんぷりを決めこんだり。とにかく、アイツと一緒にいても、このままでは空中分解するだけだ」
「それは…………うん。そう思うけど……」
「アケリは、あの男を引き付けておいてくれ。ボクはその間に、イナミを連れて離れる。そしてアケリは、折を見てあの男から逃げて、後で合流しよう」
「それなら、私がアケリを連れていく方がいいんじゃない?」
「残念ながらボクは警戒されている。ボクの意見など、ハナから相手にする気もないだろう。女性である君だからこそ、アイツも気をゆるし、逃げたところで無理に追うこともしないはずだ」
「…………」
トロキの言葉にも一理あった。アケリが逡巡していると、トロキも
「もう時間がないんだ! あの男がいうように、七時間しかないのだとすれば、ボクらも早く特異点に向かわなければいけない。アイツの力が分からない以上、倒してしまうのは不透明要因が高いし、何よりなついているイナミが、どう行動するかも分からない。はぐれた……という体で、イナミを協力させたまま、アイツと引き離すにはこれしかない」
そう、それしかない。でもそれは、ソイを切って、イナミを手元に置くためには、ということでもあった。
「……分かった。やるわ」
アケリの決意に、満足そうにトロキも頷くと「合流地点は、特異点の近く。どの道あそこに近づく必要があるからね。それと、分かっていると思うけど、もしアイツが大したことのない力だったら、殺っちゃってもいいからね」
そう言われると、アケリも複雑な表情を浮かべていた。
「ちょっと話があるんだけど……」
アケリからそう声をかけられ、ソイも「んわ?」と、意味不明な呟きを漏らしながら、面倒くさそうに立ち上がった。イナミもついていこうとすると、アケリから「ごめんなさい。二人だけで話をしたいの」と、イナミを制するようにいう。
イナミも不安そうにするけれど、トロキの雰囲気に気圧されて、足が止まってしまう。ソイも落ち着かせようと「大丈夫。すぐにもどってくるさ」といって、二人で森の奥に入る。
「何だ? 連れションに誘ったわけでもあるまい」
二人きりになると、ソイもそう言って、茶化してみせる。そんな不躾で、恥知らずなところが、大嫌いだ……。アケリは要件を切りだした。
「アナタは……どうしたいの?」
アケリから漠然とそう尋ねられ、ソイも「何が?」
「私は生き返りたい。政治家の家に生まれ、裕福だったと思う。家に父親が帰ってくることは滅多になかったし、母は有力な支持者や、秘書の人と不倫をしていて、家族の仲は冷めきっていたけれど、そんなこと関係ない。私は恵まれていた。もう一度、あの生活にもどりたい」
「やれやれ……。矮小な目的だねぇ」
ソイは嫌味のように、そう呟く。
「矮小? 生き返りたいって目標が? じゃあ、アナタはどうなの? 生き返りたくないとか、譲るとか……。何の目的で私たちの仲間になったの?」
「ふ~ん……。それをさっき、こそこそと話し合っていたのか。最終作戦の前に、確認してこいって?」
「ちが……」
否定しようとしたけれど、そう思われていた方が都合いい、と思い直して、アケリも頷く。
「オレは死者だろうと、生者だろうと、どっちでもいい。それは変わりない。オマエらがどうしようと知らん」
「じゃあ、仲間になる必要ないじゃない! アナタは生き返りたいのではなく、危険を回避することしか考えていないように見える」
「ふむ……。当たらずと言えど、遠からずだな。本来は、オマエらと組む必要なんてなかった。今回も逃げまわっていればいいんだから」
「じゃあ、何で……? もしかして、イナミのこと?」
「そういうこと。そして、今回の異世界が、七時間という短期間で、かつエリアもそれほど広くない、という事情があった」
「ど……どういうこと?」
「いざとなれば、オマエたちを犠牲にして、逃げのびるつもりだった」
それを、本人を前にして言う? しかも悪びれる風もない。
「当たり前だろう。ここではチームを組むこともあるが、あくまで自分のために何をするか? 生き残りをかけ、何ができるかを競うんだから。ヤバくなったら、周りを犠牲にすることも、戦略上はありだ。
イナミを生き残らせるために、人は紫微人の中に隠せ、だよ」
確かにその通りではあった。いくらチームを組んでいても、最後は自分次第だ。そこで「最後まで仲間を守る!」というのが主人公タイプのふるまいとしては正しいのかもしれないけれど、高々七時間ぐらいの関係では、苦楽をともにしてきた仲間、というところまでの結びつきを強められるはずもない。それに、ここに主人公は不要だった。
つまり、この暦戦において英雄は現れそうもない。
「別に、オマエたちを切ろうって話じゃない。あくまで最終手段だ」
「どうしてアナタは、そこまでイナミに固執するの?」
「それは……」
ふと、ソイも気づく。「もしかしたら、オレたちを引き離したのか?」
逃げだす前に気づかれた⁉ アケリも緊張し、ナイフを構えようとしたけれど、ソイの興味はアケリにないようだった。
「オマエこそ、トロキを信じているようだが、アイツが最後まで仲間を守ってくれるタマか?」
「ど、どういうこと?」
「アイツの最終目標は、オマエと同じ生き返りだ。もし最終段階で一人しか選ばれなかったら? 奴は必ずオマエのことを裏切るぞ」
辺りを見回して「今回だって、オマエは危険な役回りを与えられただけ、かもしれないぞ」
それは薄々感づいていたことではあるけれど、それを罠に嵌めようとした相手から言われると、さらに危険すら感じていた。
そのころ、トロキに連れられて、イナミは歩いていた。
「どうして離れるの?」
イナミからそう問われ、トロキも「この先で、合流する約束なんだ」と嘘をつく。そうでも言わないと、イナミがついてきそうもないためで、アケリとソイの二人から離れるよう、歩いていた。
「君はどうして、彼とくっついているの?」
「……? だって、嘘をつかないから」
それは本音が駄々洩れする、という意味だろうか……。ひねくれ者で、一々横槍を入れてくる、という意味では嘘をついているには当たらないが……。
むしろ父親と似ている……とか、父親に近い……という言葉を予想していたので、意外な気もした。服装は前時代的で、小汚い格好をしたあの男と、そう大差ない。磨けば光りそうな整った顔立ちは興味深いけれど、あんな男に洗脳されていたら、それも宝の持ち腐れだ。
彼には自信があった。それは、洗脳から解く、あの男へと向かう信頼から、興味を自分に移す自信だった。
「でも、彼は嘘をついているかもしれないよ。さっきの異世界の話もそうさ。ここが並行世界なんて、明らかにおかしいよ」
「おかしくないよ」
「いいかい。彼のことを信用しているのかもしれないけれど、並行世界という考え方自体が、一般的じゃないんだ。思想的、空想的な産物として、実際に観測されたことも、実存を証明されたこともない。科学者の間でも、それは存在しない、という意見が支配的さ」
一般論を補完するのは、専門家はこう言っている、という根拠は不明だけれど、妙に説得力をもつ言葉を付加することだった。
もしくは「多くの人が……」と変えてもいいけれど、要するに、こちら一人の意見ではない、権威ある人も、大多数もそう言っている、としてミルグラムの法則、権威への絶対服従の原理を生じさせたり、同調圧力をもたせたりして、相手にこちらの方が正しい、従わせたい、と思わせることだ。
「並行世界は……あるよ」
意外と頑固だな……。置換がおきてから数時間、これまではソイもチームを組んでいなかったようだし、彼女とは初対面だろう。その数時間で、相手をどこまで信用させたのだ?
「もし並行世界があったとしても、別次元のものが、こちらの世界とかかわることなんてないんだよ。それに、どうしてそれが数時間で消えるの? 説明がつかないだろう。そしてボクらの存在だ。ナゼ紫微人みたいな存在が現れ、ここで戦わないといけないのか……。その説明もついていなんだ」
最初に結論めいたことを言って、次に納得しやすい体験や、自分に置き換えた説明をする。こうすることで、最初の結論めいたことが、自分の意見のように感じられやすくなる。これはバーナム効果の拡張であるが、曖昧な傾向をあたかも自分のことのように錯覚させる。
『並行世界などない』という一般的な傾向を、彼女の体験と重ね合わせることで、自分もそれを信じている、と思わせるのだ。占いを信じる、という傾向も、このバーナム効果で説明できる。
しかし、イナミは「説明はつくよ。さっき、ソイが説明していた」
硬いな……。トロキもそう感じ始めていた。あまり使いたくないけれど、イナミという強力な星宿を、手中に収めるためだから仕方ない。そしてこれは、最終段階で発動すると決めていた通変だ。
トロキは立ち止まると、イナミに向かった。イナミも、先をすすんでいたトロキが立ち止まったので、止まってトロキの顔を見上げる。そんなイナミの頭を撫でるつもりか、すーっと頭に手を伸ばした。
「きゃーッ‼」
イナミの絶叫が木霊する。体がふれているわけではない。でも、頭の中をひっかきまわされるような、そんな不快で、全身が引き剥がされるような苦しみに、堪らず上げた悲鳴だった。
「ボクは、ちがう星宿を一人、自分の意のままとする通変をもっているのさ。君ならその傀儡とする星宿にふさわしい」
「いやーッ‼ 助けてーッ! ソイーーーッ‼」
そんなにあの男を……。だが、傀儡とするのだ。その記憶をすべて書き換えてやるさ……。あれ? 何だ、この子の記憶は……?
イナミの頭の中をさぐる方に注意をとられていたトロキの横から、何かがとんできた。トロキも気づいて、慌てて手をひっこめたが、間一髪間に合わず、前腕を深く傷つけられた。
「や、やあ……。もう追いついてきたんだ。早いね」
トロキも右手がもう使い物にならない……。けれど、落ち着いて話しかけた。
そこにいたのは、右手にナイフを巻いたアケリだった。そのナイフで切り付けてきたのだけれど、左手にあるボーガンではなく、ナイフできた……。ということは、こちらを暗殺する目的ではなく、怒りに任せた攻撃だった、ということ。まだ話し合いをする余地はありそうだ。
「どうしたんだ? アイツから何かされたか?」
「私を危険な目に遭わせておいて、何をしているの?」
「イナミに言い聞かせていただけだよ。あんな男を信じるべきじゃない、と」
「言い聞かせた相手が、悲鳴を上げる?」
最初に会ったときのような、殺意がこもっている目だ……。よほどひどいことをされたか……。
「イナミ、大丈夫か?」その声に、イナミはすぐに立ち上がって、声のした方にむかって走り出す。それを止めようとしたトロキだったが、すでにその間に、アケリが立ち塞がっていた。
「これは、これは……。ボクが劣勢かな?」
ソイが現れ、イナミが泣きながら飛びついていく。
「オレを省こうとして、オレが現れてびっくり……ということはないだろ?」
「いや……、素直にびっくりしているよ。君が周りの者を説得できる、なんてね」
「驚きどころ、そこかよ……。でも、説得したわけじゃない。オマエの嘘をいくつか指摘しただけさ。
オマエ……本当にトロキか?」
「星宿は嘘をつけない、だろ?」
「いや……。たった一つだけ、嘘をつける星宿がある。スバル……星官が天讒だと、自分の星宿であっても、偽ることができる。通変というより、そういう性質の星宿だからだ」
トロキは驚く……というより、ニヤッと笑って「本当に、アンタはベテランのようだな」
「ベテランをほざいておいて、置換の終了時間を知らないオマエよりは、経験値も高いだろうな。
それ以外にも、アミだ。アミを怖い星宿だといった。それを聞いて、最初から、あれ? とは思っていたんだよ」
そのとき、トロキは驚いた様子で背後をふり返った。そこには、黒いヘルメットにライダースーツをきた、アミが立っていたのだった。
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