第4話 紫微人同士が邂逅する、ということ

   紫微人同士が邂逅する、ということ


「ちッくしょう~ッ‼」

 スーツ姿の若い男が、この異世界の森を、必死の形相で走っていた。上等のスーツもよれよれ、汚れているし、自慢だったナチュラルヘアも、今やぼさぼさヘアにしか見えない。イケメンを自負するけれど、そんな容姿を頓着する余裕もなく、木々の間を逃げていた。

 それをゆっくりと、回り道もせずに歩いて追いつめていくのは、黒いフルフェイスのヘルメットに、黒のボンテージ衣装のような、体にぴっちりとしたライダースーツを着る人物だ。体の凹凸がはっきりとし、相手が女性と分かっても、そんなことなどお構いなしで男は逃げていた。

 何しろここでは、通変という特殊能力があるのだ。相手が男だろうと、女だろうと関係ない。その通変による能力の差、それを見極めるまでは誰だろうと侮るわけにはいかなかった。

 私は慎重な人間なのだ。だから初めに挨拶をかわし、会話し、そうやって見極めるのがスタートだろ?

 それなのに、会話すら成り立たない相手と出くわしてしまった。それでも、その豊満な……いやいや、体に見惚れたわけではない。少しは目がいったけれど、ここは殺し合いをする暦戦の場だ。相手が女性であろうと、目も眩むばかりのいい体をしていようと、そう簡単に油断するわけにはいかないのだ。

 数分前――。

「初めまして。私はチリコ。男なのに、こんな名前の星宿っておかしいよね。だけど星官は……」

 チリコがそこまで説明したところで、異変に気づく。ヘルメットのシールド部分、スモークで曇っていて中は見えないけれど、そこに電光掲示板のように〝殺〟という文字が薄ぼんやりと浮き上がってきたのだから。


 それ以来、チリコは逃げていた。話し合いが通じない相手だ。ヘルメットや、ライダースーツは攻撃を避ける意味があるので許容できても、あのギミックは何? 怖すぎるだろ……。

 とにかく距離をとりたいけれど、森は走りにくいし、都会育ちには厳しい。死んだときもそうだけど、ボクは逃げるのが宿命か? こん畜生めッ!

 戦おう!

 逃げるのを止めた。自分にも戦う術ぐらいある。相手の星宿が分からないと、通用するかも分からないけれど、このまま逃げる宿命なんて、真っ平だ。

 チリコは木々のすき間を抜けながら、木の幹に指をふれていく。すると、木々をつなぐそこには糸のようなものが現れていた。よくみれば、目につくぐらいの太さだけれど、ヘルメットをかぶる相手なら、まず見破ることは不可能なはず。さぁ来い。捕まえてやる! 物陰にそっと身を潜めた。

 案の定、ゆっくりと歩いてきた黒いライダースーツの女性は、その糸にからまって動きを止める。暴れれば暴れるほど、糸がからまって身動きもとれなくなり、やがて歩みを止めた。

 チリコも相手が身動きもできなくなったのをみて、ホッとして出てくる。

「私はこの通変を、スパイダーネットと呼んでいる。相手を拘束したり、高いところから降りたり、意外と便利につかえるんだよね、これ」

 まさに蜘蛛の糸――。張り巡らされた糸を、人間の力で切ることはできない。

「へぇ~……。まるでモデルだね。君はどうして死んだのかな? 恰好からすると、バイク事故? そいつは無念だったろうねぇ。そんなナイスバディを無駄にしたんだから……」

 ヘルメットの嵩もあるため、近づくチリコとほとんど身長は同じぐらい。ただそれ以上に目をひくのは、やはりつんと大きく突きでた胸と、くびれた腰、張りだした臀部であり、それを惜しげもなくみせびらかす点だ。

「君の星宿は何だい? よかったら、手を組もう……って、そんな格好じゃあ、手も出せないよね」

 ヘルメットの女性は無反応だった。まさに無……、気配すらしない。紫微人は限りなく屍に近い存在であるけれど、彼女はそれが強いのか……? 会話を成立させるのは難しそうだ。


 しかし、そうとなれば……。

 チリコは好色そうに、舌なめずりをしてみせた。

「私は電車に乗っているとき、少女の胸をさわっただの、尻を撫でただのと誤解されて、そこから逃げだしたら、ちょうど駅に入ってきた電車に撥ねられたんだよ。死んだ! そう思ったね。

 そうしたらどうだ! 特殊能力をつかえるようになり、こうして女性を拘束できるようになった。やりたい放題じゃないか……。神は私に与えてくれたんだよ、身の内から湧き上がる欲望のまま、私がやりたいように生きればいい……それを可能とするこの力をつかって!」

 でも、欲望というほどの強い衝動があるわけではなかった。それは紫微人が、半分ぐらい死んでいることが影響するのか? よく分からないけれど、そうすることは彼の習性のようなものかもしれない。

 男は手を伸ばして、ライダースーツの上からでもはっきりと分かるその膨らみを、その手中に収めてみせた。片手では余るほどで、残念ながらその弾力を楽しめるほどの、生地の余裕はないのだけれど、それはこのヘルメット、ライダースーツを引っ剥がしてから……。


 そんな妄想がふくらみつづける中、チリコは突然その顎を鷲掴みされた。

 素早く動いたのは、彼女の左手だった。嘘だろ……? 糸が切られたようには見えなかった。何より、人間では切ることもできないはずだ。力を強化する通変か? それだったら、もっと早くに脱出していただろう。そもそも拘束すらできていないはずだった。

 それよりも、この力……。アゴを掴んで、男一人をもちあげたまま、震えることもない。女性のそれとは思えなかった。

 ライダースーツの中身は男性? ここまで完璧に女装できるはずもない。いくらホルモン注射で女性っぽい体つきになったとしても、骨格までは変えられない。相手は女性のはずだ。

 体を変化させる能力……? まさか、化け物……か。「ま、待ってくれ! は、話し合おう」

 そのとき、黒いヘルメットのシールド部分に、ふたたびうっすらと〝殺〟の文字が浮かび上がるのを見てとった。

「た、助けてくれ!」

 チリコのその言葉が、断末魔の響きとなった。自由となった右腕が足首をつかみ、そのままアゴを掴んでいた左腕とによって、体が真っ二つに引き裂かれてしまったのだった。


「彼女は……アミかな?」

 その様子を覗いていたトロキが、小さくそう呟く。彼は双眼鏡をつかっており、双眼鏡を隣にいるアケリに渡した。

 アケリもそれを覗いて、無残に真っ二つにされたチリコをみて、思わず目を背けてしまう。

「星宿、アミは、その星官の中に〝折威〟があってね。コイツが厄介で、役割は〝死刑執行官〟。今回の暦戦にその星官を宿した紫微人が参加しているとしたら、かなり血を見ることにもなるだろう。何しろ、集まった奴らを制裁、淘汰する宿命を負っているからね」

「何でそんな星宿、星官があるの?」

「さて……? 星宿なんてものがあることすら、よく分かっていなんだ。天空にも宮殿があり、その庭があり、そして町がある……。そういう思想が中国、インドなど、アジアに広がっていた。世界がそこにあるとしたら、犯罪者だっているだろう。死刑執行官も必要だったのでは?」

 そういうもの? アケリもよく分からなかったけれど、反論はしなかった。何より先ほど、男が黒いライダースーツの女性の胸をさするのをみて、死ねばいいのに……と思ったぐらいだ。よもや本当にそうなる、八つ裂きにされるとは思っていなかったけれど……。

「死んだ彼は?」

「声は聞こえなかったけれど、通変からするとチリコ……かな? ここで死んだら、地獄へ真っ逆さま。心配せずとも、次の暦戦には別の紫微人が参加するさ」

 そんなことを心配しているのではない。元々、死んだ身の上である紫微人が、改めて死ぬ……。それは真っ二つにされた体が、また動きだすのではないか? それをアケリは心配していた。

 自分がゾンビではないのか、と……。


 トロキとアケリの二人は、アミから離れるようにすすむ。

「どこへ向かうの?」

 アケリの問に、トロキは「特異点に向かう」

「特異点?」

「この異世界、置換されたエリアの中心点だ」

「そこには何があるの?」

「何も……。でも、前回の戦いでは、ボクらがその特異点に近づいたところで、返り討ちに遭って、チームはほとんど壊滅させられた。あそこに何かある……のかもしれない」

「…………曖昧ね」

「勝利条件は誰も知らないんだ。少しでも可能性のあるところに近づいておく。それが鉄則だろ?」


「果たしてどうだろうな」

 森の中からいきなり聞こえた声に、二人とも飛び上がるほど驚いた。アケリはさっとボーガンを向けるも、叢からごそごそと現れた男はそんなアケリをみて、逆に焦りを抱いたようで、手をふって「おいおい、敵じゃない。敵だったら、声をかける前に殺っている」

 確かにその通りだ。トロキも、アケリのボーガンに手をかけて、落ち着くよう諫めてみせた。

 そんな男の陰から、ひょっこりと顔をだしたのは、小学生ぐらいの少女だ。どうやら相手も二人組だったようである。

「オレたちも、それほど強い星宿ではないんでね。弱い者は助け合う、だろ? オレの星宿はソイ。星官は鉤鈐だ」

「…………ソイ?」

 ベテランを自負するトロキでさえ、首を傾げる。しかし確かに二十八宿として存在しており、よっぽど弱くて序盤で倒されていたか……と思い直した。

 男に促され、みすぼらしい格好をした少女は、おずおずと前にでてきて、ちらっとソイのことを見上げてから「イナミ……。星官は織女です」

「イ、イナミだって⁉ 五本の指に入るほど強い星宿じゃないか!」トロキも驚いてそう声をだす。

「そうなんだが、生憎とこの子は自分の星宿のことを、よく分かっていないみたいでね。星官の力の使い方すら分かっていない。このままだとあっさり退場だろう。それが不憫で、オレも協力することにした。もっとも、この子が真の力に目覚めたら切り札になる。だろ?」

 ソイはそういうと、ニヤッと笑った。本人を前にして、それを言う? とも思ったけれど、恩着せがましいことなど、百も承知のはずだ。何しろ、ここは殺し合いをする場。そこで協力する、というのは、互いのメリットを最大にするものでなければならないのだから。

 むしろ、そう言い聞かせることで、少女の裏切りを回避するつもりか……。

 トロキとアケリも、思わず顔を見合わせた。確かに、彼らとて強い星宿をもつ紫微人と手を組めるのは願ったり叶ったりだけれど……。

 問題は、まるで保護者面して隣にいる、薄汚れた怪しい男、ソイだった。

 そんな空気を察したか、ソイは自らを売り込むつもりか「オレはこの星官戦争に何度も参加している、ベテランだ」

 アケリも、トロキをみる。トロキも同じことを主張しているからだ。だが、トロキもまったく相手のことは見覚えがない。

「ボクもここ数回の暦戦に参加しているけれど、アンタはみたことない」

 ソイは慌てることも、自嘲することすらなく「それはそうさ。周りが星官戦争をする中、オレは我関せず、戦いに参加することはほとんどなかった。要するに、ずっと不戦敗をしてきた。そのお陰かどうか、未だにこうして紫微人という立場を享受している」

 さすがにトロキも唖然とするばかりだ。紫微人は死んだ状態にあり、こうした暦戦に参加しない間は、かなりの制約を強いられることになる。それを何度もくり返してきた……だって?

「オレは生者にもどるつもりはない。だから、もしご褒美をうけるにも制限があるのなら、オレは辞退するよ。生き返りたい奴は勝手にそうしてくれ。どうだ、この条件で受け入れてくれないか?」

 自分は見返りがいらない? そんな奴が一番、信用できない。トロキもアケリも、ソイの後ろに隠れるようにするイナミには興味をそそられるけれど、保護者きどりのこの男のことは信用できない。そう意見は一致していた。何しろ、ここでは周りの紫微人を騙そうとする奴ら、ばかりなのだから……。

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