第3話 少女が怪しい男に出会う、ということ

   少女が怪しい男に出会う、ということ


 小学五、六年生ぐらいの少女が、森の中をさまよい歩いている。

 苦しい……。離微動が鎮まり、やっとこうして森を歩けるようになったものの、行く当ても、ここで何をしてよいのか? それすら分かっていない。ただ立ち止まっていたら、それこそ身の危険すらあることは、誰に教えられずともひしひしと感じている。ここに充ち満ちている殺意、悪意、そしてこちらを獲物と見据える、血に飢えた視線……。

 そのとき、草陰から何かが飛びだしてきた。

 魔獣――。ここで生きる獣のことだ。足が六本あるけれど、全身には体毛のようなものが生えており、一見すると哺乳類にみえた。ただ頭にあたる部分はなく、その代わりに背中には瘤のような突起があり、その上部から手のような、触手なようなものが伸びる。

 目らしきものは、その突起の上からカタツムリのように飛びだし、それが少女を見すえていた。

 殺される! すぐにそう悟る。否……もっと悪い。喰われるッ! そんな自分の姿がすぐに脳裏を過ぎったのは、幸せなのか、不幸だったのか……。

 武器をもたず、何の力もない少女では、ただ死ぬのを待つばかり。しかも逃げだそうとしたその足は傷み、疲れ切って、すぐにもつれて倒れてしまった。

 もう終わりなの……? こんなところで? 魔獣に喰われて……少女はぐっと目を瞑る。魔獣はすぐ近く、その荒い呼吸でさえわかるほどに迫っており、考えることも叶わず、祈りの言葉すら思いつかない。

 絶望に支配された少女の背中に、魔獣が襲い掛かろうとしていた。


「ぎゃーッ‼」

 断末魔の悲鳴が、たそがれ時の森に響きわたる。ただしそれは少女の上げたそれではない。魔獣のそれだった。

 少女が恐る恐る顔を上げると、そこにはぼさぼさで梳られてもいない長い髪、所々が破れた、薄汚い白衣のようなものを羽織った、むさ苦しい男が立っていた。恐らく彼が瞬殺したのだろう、足元には魔獣が倒れており、少女など目もくれず、男は死骸を見下ろしていた。

「あ、あの……。助けてもらって、ありがとうございます」

 腰が抜けたようで、立つことすらできなかったけれど、少女もその男にそう声をかけた。男はぐるんと首だけを回し、少女のことを一瞥すると、むしろ邪魔だと言わんばかりに「ちッ……。紫微人を助けちまった」と、後悔ともつかない呟きを漏らし、また魔獣の方を向いてしまう。

 男は動かなくなった魔獣の足をもちあげたり、腕の骨格を確認したり、その体を調査しはじめる。

 骨はない……。ただ皮膚の表面近くに固い装甲のようなものがあり、それで肉体の形状を保っているようだ。よって腕も触手のように柔軟さをもち、足も四方八方、自由に動き回れるよう進化している。口は前足の間、下向きについているため、下にあるものを食べるのだろう。それは殺した相手の肉をついばむにはちょうどいいのかもしれない。

 体毛にみえたものは、ぬめりを帯びた絨毛であり、そこに液体をまとわりつかせることで、体を湿潤に保っているようだ。

「イカか、こいつは……?」

 男もそう結論付けた。イカのような生物が地上へと勢力を拡大し、そこで進化したものと思えた。イカにしては触腕が足りないけれど、きっと退化したそれがどこかにあるはずだ。

 ここは異世界、生物種の進化でさえ興味深い。男は腐敗臭すら漂いはじめた魔獣の死骸を見下ろして、ニヤニヤしていた。


 何、この人……? 魔獣の死骸をみて、まるで大好物の食事であるかのようにニタニタと笑う男を、少女も薄気味悪そうにみつめる。それでも、ここで初めて会った人である。思い切って声をかけることにした。

「あ、あの……。私、よく分からなくて……」

 少女にそう声をかけられるも、男は寄ってくる蠅を追い払うときのように、うるさそうに手を振った。

「おいおい……。オレは学校の先生じゃない。ここは殺し合いをする場、互いにやり合おうっていう間柄だぜ。そんな相手に、何を期待する? 騙される、とか考えないのか? オレはお前を殺すかもしれないんだぞ」

 男の言うことは、その通りだった。ただ、男は少女を騙したり、殺したりするほどの興味もなさそうだ。

 しかし、改めて少女に目をやったことで、男もやっと興味をもったように、観察するように目を細めた。

 髪の毛は細くて色素も薄いため、水色に見えた。虹彩も薄くて、白に限りなく近い銀色であり、肌の白さからも色素異常であるアルビノのようだ。ただ。そんなことに興味をもったのではない。小学生ぐらいの少女が、小汚い半袖のTシャツの上から、頭からすっぽりと被る、裁断する技術すらも前時代的、むしろ縄文時代のような印象をうける服を着る。それを腰の辺りでしばっただけで、太ももぐらいの丈の下には何も履いていない。

 相手のことを言えた義理ではないけれど、男もそんなみすぼらしい格好をした少女につかつかと歩み寄り、屈みこんで、顔をこすりつけんばかりに近づけて、観察するようにその顔を覗きこんだ。


 まるで蛇に睨まれたカエルのごとく、少女は身動きすることも、瞬きすらできずに間近の男をみつめる。これから身に起こるであろう不幸を、未だ現実のものと受け止め切れていない様子だった。

 それをいいことに、男は少女のアゴを鷲掴みにし、左右へと傾けて、まるで商品を値踏みするかのように観察する。次に右の足首をつかむと、一気に目線の高さまでもち上げた。すわっていた少女はそのままひっくり返ったのだけれど、慌てて襤褸切れの裾の辺りをおさえ、必死でまくり上がるのを防ごうとする。

 そうしたところで足首を掴まれている以上、隠すことは困難だ。でも、そうせざるを得ない理由、それはその下って……。

 ただ男は、少女のスカートの中身なんて微塵も興味すらわかない様子で、彼女の足に巻かれた布製の、ボロボロの靴らしきものを観察する。その下の足は擦り切れ、傷だらけとなっているが、それでも歩こうとして巻かれた布でしかなかった。

 少女は足をジタバタさせるも、男の力は強く、逃れることさえ不可能である。男は靴を観察するのをやめ、改めて少女と目を合わせると、急にその訝しく、不機嫌そうだった顔が、満面の笑みに変わった。

「お嬢ちゃん、おじさんが色々と教えてあげよう❤」

 これは助かったのかしら? それとも、もっと悪い状態に陥った……? ただその豹変ぶり、媚びるような男の、気持ち悪い笑顔が受け入れられず、間違いなく危険が高まっているのを、少女は感じていた。


「ここは、死者の集まる場所?」

 男と少女の二人は歩いていた。ただ、これまでと少し違っているのは、男が自分の白衣を裂いて、少女の靴替わりとしたこと。お蔭で、歩くことが容易となり、少女も男についていく。

「それは正確じゃない。オレたちは死んで星に……、紫微人となった。死んではいるが、こうして肉体をもつ。いわば地獄にいくまでの一本道、途中下車をしているようなものだ。どうしてオレたちなのか? そんなことは知らん。だが死んで星となり、星の宿命をさずかり、この異世界と置換されたここで、星官戦争という戦いを強いられている」

「戦う? 何のために?」

「この一本道は、一方通行じゃない。つまり生者へもどることも可能……ということだ。ただ、どうすればいいか? 何をすればいいか? それは誰も知らない。ここで戦うことと、自分に与えられた宿命など、ほとんどは教えられているのに……、な。もし神様がいて、こんなことをしているのだとしたら、随分と中途半端なサービスだろ?」

「でもさっき、殺し合いって……?」

「勝利条件を知らないからだ。全員が生者へもどる……ことはない。とりあえず競争相手を減らすため、殺して数を減らす」

 男はそういった後、肩をすくめた。

「全滅させる必要はない。中にはチームを組んで、星官戦争に参加する奴らもいる。ここには二十七……二十八宿が集まるけれど、置換は長いと数日、短いと数時間で消える。エリアも広いと数キロ、全員を殺すなんて条件が厳しすぎるだろ? 

 星宿に導かれて、出会いさえも宿命づけられている、という奴もいる。目のまえにいる奴と殺し合うか、手を組むか? それも戦略だ」

 少女もあまりに想像とちがったためか、沈黙してしまう。男も立ち止まって、ふり返って言った。

「ここで死んだら、地獄までの坂道を転げ落ちるだけだ。そのために頭をつかえ。死を迎える、その一瞬まで考えろ。星宿の導きなんかに負けるな。それができた奴だけが勝ち残るのさ。

 そのために星宿は重要だ。オレの星宿はソイ、星官は鉤鈐。星宿は宿命をあらわすが、星官は与えられた役割を意味する。特に、星宿は嘘をつくのが難しいから、相手のそれをしっかりと見極め、生き残るための戦略を考えろ」

「星官は……嘘をつく?」

「星宿の中には、いくつか星官をもつものがある。その中で一番、強いものを言いたくなるのは、世の常だろ? 星宿さえわかれば、後は推測するしかない。騙し、騙されもこの戦争の常だ」

 暗く、沈んでしまった少女に向けて、ソイはからかうように「オマエみたいな毛も生えていないお子様は、すぐ騙されるから注意しておけよ」

 その白い肌、頬をすぐにピンクへと染めながら、少女は狂ったように男のことをポカポカと殴る。それは数分前――。


「木綿でできた白衣は丈夫だ。それまで穿いていた靴を中敷きとして、これを外履きとすれば、足の痛みは和らぐ」

 男はそう言って、自分の白衣を脱ぐと、それを真っ二つに割いて少女の足に巻いてくれた。傷だらけだった少女の足が、これで少しでも和らぐことができた。

「あ……、ありがとうございます」

「後、このハンカチを当てておけ。大きめだから、用を為すだろう」

 確かに大きなハンカチで、使い勝手はよさそうだけれど……。男の言葉の意味が分からず、キョトンとしていると……。

「パンツだよ。そこまで巻いて欲しいのか?」

 見られた⁈ ということ以上に、そのデリカシーのなさが堪らなく嫌だった。でも少女のことを第一に考えてくれているのだから……と、真っ赤な顔で、俯きながらもそのハンカチをうけとったのだった。

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