第2話 現代と異世界が交錯する、ということ

   現代と異世界が交錯する、ということ


 離微動――。細かい振動により、肉体より体の奥底に感じられる揺れで、こいつは本当に厄介だった。

「うぅ……。何度体験しても、これは慣れるもんじゃない……」

 そういって頭を抱えてうずくまるのは、高校生ぐらいの少年である。オシャレな私服に、バッグを背負うけれど、廃墟となった街にいるにしては、少々不自然な恰好ではある。

 離微動というのはランダムで、いつ、どこで発生するかも分からない。ただ前回の発生から二ヶ月あまり、少々ブランクが空いた。それが偶々この街の近くだったことで、住民に退避命令がだされ、こうして廃墟となっている。ついこの前まで、生活がここで営まれていたことを示すように、ゴミ箱は溜まりっ放しだし、看板もきれいなままで、人がいない……そのことだけが奇妙で、滑稽で、さんざめく喧噪でさえ懐かしく思えた。

 この付近にいるのは、紫微人だけ。彼もその一人だった。


 レジャイスク・リポート――。離微動を精緻に計測、観察した、世界で唯一の報告書だった。それによると離微動とは、時空共鳴振動とされるものであり、この世界と異世界とが近づきすぎることによって引き起こされる、とされた。いわゆるその警報のようなものだ、と。

 そして、その離微動による波形、周期、そうした情報を計測すると、次に起きる状況を予想できた。

 置換――。異世界とこの世界の一部が入れ替わってしまう現象のこと。今回はこの小さな町をふくむ、半径一キロもない範囲が危険エリア、その周囲一キロメートルが警戒エリアとされた。

 自衛隊が警戒エリアの外で待機し、一般人の侵入を防いでいる。置換に巻きこまれたら、異世界へと飛ばされてしまうのだから、当然の警戒ではあるけれど、望んで異世界へ渡ろうと、侵入する者は後を絶たない。

 彼ら紫微人がこうして警戒エリアの中、危険エリアの近くにいるのは、彼らには為すべきことがあるから。危険を顧みず、むしろ危険だからこそ、彼らがここにいるといってよい。

 これからこの異世界で暦戦……。二十八名の紫微人たちが、殺し合いも厭わぬ生き残りをかけた戦いをする。それに参加するためだった。


 一度の離微動はそう長くないから、耐えることもできた。だが、頻度が上がってくるのが、殊の外鬱陶しい。そうして散々にダメージを蓄積したころになると、愈々となるのだ。

 そのときふと、人影を見かけた。紫微人の可能性もあるけれど、時おり異世界への憧れから、自衛隊の包囲網を突破して危険エリアへと侵入してくる者がいる。そうした輩か……?

 ただそうやって異世界へと渡った者がどうなったか? それは知り様もない。何しろもどってきた者がいないのだから。

 魔獣もいる異世界は、決して安全とは言えない。それでも彼ら、紫微人は苦しくとも、喘いでまでもここにいる。

「来るぞ……、置換だ」

 少年がつぶやくと、その言葉を待っていたかのように辺りが光に包まれていく。畳みかけてくる離微動でほとんど動けない中、少年は顔を上げた。光の先には希望があふれている、そう信じて……。


 光が消えるとすぐ、少年は立ち上がった。置換が完了すると離微動も止まる。まだふらつくものの、すぐに動いた方が何かと有利だから。こういうところも経験によるところが大きかった。

「太微垣か……」

 そこは太古の森と見まがうばかりだった。町一つが消えたからといって、現れる異世界の様相は区々だ。まるで線を引いたように境界はくっきりと分断され、家や道路が不自然に切断されていて、その先には大自然が広がる。段差もなく、空間の連続性が保たれているのが、奇妙と思えるほどだ。

 太微垣とは、こうした人の手が入っていない異世界のことを言った。現れる異世界は様々で、ここが今回の暦戦のステージだ。

「隠れる場所があるだけマシか……」

 戦闘に自信がない者だっている。殺し合いといっても、それこそ剣で斬ったり、拳銃を撃ち合ったりするわけではない。頭をつかって、相手を罠に落とすことも、逆に騙されないようにするなど、戦い方も様々だ。こうした障害物の多いステージだと、それこそチャンスも多かった。

 少年は自らの戦いの場、異世界へと足を踏み入れた。


 歩いていくと、すぐに少女が森の中で倒れているのに気づく。先ほど、先んじて異世界へと飛びこんでいく人影を感じた。そうだとすれば、彼女も紫微人だろう。少年でも知っている有名なお嬢様学校の制服であり、同じ高校生……、ちょっと意外な気もした。

 足元の方に回りこんで、そのスカートの中身を……嫌々、そんなことをする場面でもない。暦戦は殺し合いをするのだ。トドメを刺す? そうするよりも、少年はある戦略があった。

 近づくと、耳元に「大丈夫?」と声をかける。

 離微動の中、ムリして飛びこんで意識を失ったのか? どうやら死んではおらず、少女はその声に反応した様子で、ゆっくりと体を起こす……と、急にその動きが加速する。右手に隠し持っていた両刃ナイフが、仰け反って避けた少年の鼻先をかすめていった。

「あれ? 外した……」

 残念そうにそう呟くと、ナイフで追撃しようとする。少年も慌てて飛び退き、まだ立ち上がってもいない少女と距離をとった。

「生憎と、ボクも暦戦に参加するようになってから長いんでね。待ち伏せ、ぐらいのことは予想しているさ」

「……そ。一撃で逝かなかったこと、それを呪いなさい」

 少女の左腕にはボーガンがにぎられ、それを少年へと向けてきた。距離をとったといっても、ナイフが届かない範囲で、ボーガンなら至近距離だ。

 放たれた矢を右腕の前腕にある手甲ではじき飛ばすと、すぐに近くにある木の後ろへと逃げこんだ。

「ま、待ってくれ! 暦戦は決して戦うばかりじゃなく、互いに手をくみ、協力することだってできるんだ」

 少年の必死の訴えに、少女は冷めた目をして「アナタ、弱そう」

 がっくりするけれど、少年も諦めない。

「確かに、ボクは他の星宿からすれば弱いさ。だから逃げ回って、これまでの暦戦を生き残ってきた。その分、経験も蓄えてきた。君だって、そんな物理攻撃に頼るなんて、ここでは最弱の部類に入るだろう。結果を得たいのなら、ボクのようなベテランの助けが必要なはずだ」

 そう、暦戦は決して実戦するばかりでなく、こうして手を組むこともできた。これが単なる殺し合いとは違う点で、戦略を要する部分でもあった。

 戦いを避け、下手にでたのも、ちらっとみた少女の端正な顔を思い浮かべつつ、下心満載で答えを待った。


「ぐわッ!」

木の幹からはみだしていた左肩を、矢が掠めていった。

「ベテランの経験? それほど協力が大切だと分かっているのに、どうしてアナタは一人なのかしら? 前の暦戦にも参加していたなら、そのお仲間と一緒にいるはずでしょう?」

 少年も舌をだす。暦戦は一回のみの参加で終わりの、ワンチャンスのイベントではない。時間切れで強制終了、というケースだと、仲間とともに次の暦戦に参加すればよいのだ。

「前回の暦戦のとき、仲間はあらかたやられてしまったんだよ。激戦でね。それでもボクは生き残った……。一つ、情報を教えてあげるよ。ボクの星宿はトロキ、星官は〝司怪〟。与えられたのは先読み……未来を予知できる力。この能力のお陰でボクは暦戦をくぐり抜けてきた」

 少女は大して興味もなさそうに「なら、私がアナタと組みそうもないって未来ぐらい、読めるでしょ?」

「実は……副作用が大きくて、そう何度も使えない、つかいたくない能力なんだよ。君とコンビを組んだら、チームで勝利を得られるよう、この力をそのもっとも効果的な場面でつかうことを約束しよう」

「…………」

 先読み、予知能力――。それは魅力的な提案となるはずだ。何より、少女の沈黙がそれを示していた。


 紫微人は痛みの感覚がにぶい。先ほど、左肩をかすめて行った矢も、本来なら悶絶するレベルだ。血もあまり流れず、それはまるで生者とは思えないものであり、彼らはそのためにここにいた。

「……分かった。手を組みましょう」

 少女の言葉に、恐る恐る木の陰からでてきたトロキは、まだボーガンを構える少女にギョッとした。

「ただし、裏切ったらすぐに殺すから」

 腰までの長さの黒髪も、色白の肌もお嬢様を感じさせる。ただし鋭い眼光と、その殺意はお嬢様のそれではなかった。

 それだけ、この暦戦に賭けている、ということか……。

「君は?」

「私はアケリ」

「星官は?」

「それ、必要? …………参旗よ」

 アケリ? 参旗? あまり主力の星宿でないため、彼の記憶にはなかった。つまりこのコンビは、それほど強くない。勝利条件に到達するには、まだ相当の試練が待っていることを覚悟した方がよさそうだ。

「私はどうしても生き返りたい。そのために、この暦戦に勝ちたいの!」

 小さい声だったけれど、アケリははっきりとそう言い切った。

「ボクだってそうさ。でも、ムリをしてやられたら、そこでジ・エンド。本当の死を迎え、生き返るチャンスさえ失う。お互い、それほど強い星宿をもたない以上できることは、最後に勝利を掻っ攫う……。そのために、ボクの通変が絶対に必要となってくるはずだ」

「通変……?」

「特殊能力のことだよ。アケリさん、よろしく!」

 そういってトロキは手をさしだす。アケリは「私と握手すると、ケガするわよ」といって、右手をみせた。そこにはナイフが括りつけられ、指の間にもカミソリが仕込まれている。

 このお嬢様は、一体……? その決意のほどは伝わるけれど、それが逆に焦りとなる不安を、トロキも感じた。ただ今は、こうして勢力を拡大できた、美少女と手を組めたことの方を喜ぼうとしていた。

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