第4話
俺にとって高橋が特別な存在になったのは、高校一年の春だった。
中学三年間、何の因果か俺と高橋はずっと同じクラスで、そうはいっても男女の別はあるし、当然彼氏彼女でもない。一緒にいる時間なんて殆どなかったし、互いの友達グループとも交流はない。時折気色悪い妄想を聞かせてくる以外は、さして害のないクラスメイトに過ぎなかった。
高校に入って初めてクラスが分かれた時も、嬉しいとも寂しいとも感じなかった。
それは向こうも同じだったようで、特になんの挨拶もなく、俺と高橋はそれぞれ別のクラスで高校生活をスタートさせた。
事件が起こったのは、入学から一月ほど経ったころだった。
移動教室のため友人たちと廊下に出た俺は、なにやら隣の教室の前が騒がしいことに気づいた。
「こいつ学校で何描いてんだよ」
「うわっ。え? なにこれキモっ」
「か、返してください!」
見れば、ヤンチャな風貌の男子数人が一冊のノートを囲んでゲラゲラと笑っている。その背中に真っ赤な顔をした女子が縋り、震える声で抗議していた。
「なんだ、あれ」
「さあ?」
「ノートに漫画でも描いてたんじゃね?」
「うわ~。それは死ねるわ~」
その男子たちはともかく、女子のほうには見覚えもなかった。
可哀そうにとは俺も思ったが助けてやる義理もないし、そんな正義感もない。しかし、友人と一緒にそのままスルーした俺の背を、よく知った声が叩いた。
「なにやってんだよ、あんたら!!」
思わず振り返れば、腐れ縁の女友達が、男子三人に向かって堂々を啖呵を切っていた。
「返しなよ、そのノート」
低くドスの利いた声と共に睨みつけられた男子たちが一瞬固まる。
「なに、こいつ?」
「え、なに怒ってんの?」
「うける」
それでも、人数の有利を思い出した彼らは軽薄な笑みを浮かべ、弄りの対象が増えたことを素直に喜ぶことにしたようだった。
「なにお前。こいつの知り合い?」
「お前もこういうの好きなの? マジで?」
「うわ。引くわ~」
掲げられたそのノートに何が描かれているのか、その時の俺の位置からは見えなかった。ただまあ男子たちの口ぶりから、とても人前で見られていいものでないのは想像がついた。
「知らない」
「は?」
「知らないよ。この子だって初対面だし。そのキャラだって知らない」
「何だよお前? なに?」
「けど!」
ドン!
そんな擬音が聞こえてきそうなほどの声量で、高橋は叫んだ。
「
…………ルフィなの?
俺を含めたその場の全員が呆然としていると、騒ぎを聞いた生徒たちがぞろぞろと廊下に出てきた。
「なにこいつ、マジでキモイんだけど」
「おい。もういいよめんどくせぇ」
流石にこの状況でふざけ通すほど大胆にはなれなかったのだろう。件の男子たちは、もごもごと捨て台詞を吐きながら、ノートを放ってその場を去った。
それを胸元にかき抱いて蹲った女生徒に、高橋はゆっくりと歩み寄り、その肩を抱いた。
「う。うぅ~」
一気に気が緩んだのだろう。背中を丸めて高橋の肩に縋り付いたその女子が盛大に泣き出す。困ったような、照れくさいような、それでいて優しい笑みを浮かべて、高橋は彼女の背を摩っていた。
その光景は、俺を深い衝撃で貫いた。
呆れた顔の友人に促されその場を離れた後も、それどころかその日一日中、いや、翌日以降も、俺の脳裏にはその時の光景がいつまでも張り付いて離れなかった。
高橋の膝は、震えていた。
きっと怖かったに違いない。それでも、あの誰とも知らない女の子一人を守るため、彼女は男子たちに啖呵を切ったのだ。
泣きじゃくる女の子を優しく抱きしめる高橋の顔は、俺が今まで見てきたどんなものよりも尊く、綺麗で、かっこよかった。
その一件以来、すっかり高橋はオタク系の女子の間で姐御キャラとしての地位を確立してしまったらしく、四六時中色んな女子たちに囲まれているところをよく見るようになった。
いつしか俺は、そんな高橋の姿を目で追うようになっていた。
二年生になって再び高橋と同じクラスになってからは、あいつが俺で腐った妄想をするのをいいことに、あいつと友達でい続けた。
『ね、三崎。こないだ後輩の子とお昼食べてたでしょ。どうやって口説いたの?』
『お前な、そうやって隙あらば俺を腐った目で見るのやめろ』
『いいじゃん。あんたもたまに私のことエロい目で見てるでしょ?』
『図に乗んなド貧乳』
『犯すぞプリケツ野郎』
俺と下らない話を交わす高橋。
オタク仲間の女子に頼られる高橋。
優しい眼で彼女たちの世話を焼く高橋。
この感情は、恋じゃない。
そんなんじゃないんだ。
俺は、ただ――。
『たすけて』
彼女らしからぬそんな一文が、俺の頭を沸騰させていた。
握り締めるスマホが熱を持っているのが分かる。
『最近「女の子だけの集まりだから~」とか言って人呼んで、結局途中から男のところに連れてく、みたいな危ないの、増えてるっていうじゃない』
俺は橘のアパートを飛び出し、停めてあった自転車で駆けだした。
ネットで知り合った友達。オフ会。場所は……。
力強い眼差し。
優しい笑み。
気色悪い妄想を膨らませるだらしない顔。
タスケテ。
ペダルをこぎ続ける太腿が燃えるように熱い。
周囲の景色が流線となって消えていく。
ハンドルを握り締める手がどんどん感覚を失くしていく。
トチュウカラ、オトコノトコロニツレテク。
駅前のアーケード街に辿り着く。
蹴り飛ばすように自転車を捨てる。
チェーンの外れた音を置き去りにして駆け出す。
間に合え。
高橋。
俺は、お前を――。
その時。
人のごった返すアーケード街の中、ファミレスからぞろぞろと出てくる人の集団が見えた。
その中には、遠目からでも見間違えるはずのない、一人の女の姿。
そして、その背中に手をあて横を歩く、軽薄そうな男の姿。
俺の視界が、赤く染まった。
「高橋!!」
そして――。
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