第2話

 水樹先輩と二人、駅前の焼き鳥屋へ向かった。

 

 どの角度から見ても誤魔化しの利かない、歴戦の傭兵のような貫禄あるアニキ系男子。

 自慢の筋肉を惜しみなく晒したピチティーと、普通のパンツでは太腿が突っ張ってまともに履けないために選択の余地なく着回しているテーパードパンツ姿で、短く刈り上げた髪を気まずそうにポリポリと掻いている。


「どうかしたんスか」

「いやあ。俺、やっぱり高橋さんに避けられてるのかな、と思って」


 先ほど、部室の掃除を頑張ってくれたお礼に、と晩飯を奢ってくれようとした水樹先輩に――。

『いいんですいいんですいいんです。私はいいんですお二人で。お二人で行ってきてください! ホント気にしなくていいですから! 是非お二人で!!』

 高橋はぐいぐいと俺の背を押して先輩の二の腕に捕まらせ、鼻息も荒く部室を飛び出して行ったのだ。


「あー。大丈夫ッスよ。そういうんじゃないんで」

「そうかあ? なんか普段から俺がいると挙動不審になるというか、なんとなく避けられてる気がするんだよな……」

「あああ……」

  

 微妙な空気のままトリアエズナマで乾杯し、盛り合わせが届くまでの枝豆を摘まむ。

「しかし、今日は悪かったなぁ」

「はい? いや、別にいいっスよ。掃除くらい。ぶっちゃけ半分くらい漫画読んでたんで」

「そうじゃねえよ。ほら、高橋さん帰らせちゃって」

「……いや、そういうんじゃないんで。それにあいつも、明日は朝から用事あるっつってましたから」

「用事?」

「何かのオフ会らしいですよ。よく分かんないですけど」

「お前それ、いいのか?」


 いいもなにも、あいつが休日になにをしたって、俺に関係なんかない。

 けれど、客観的に見れば当然なのかもしれないが、どうも俺と高橋は周囲の人間から公認のカップルだと思われているらしい。

 まあ、四六時中とまでは言わないまでも一緒にいることも多いし、気の置けない仲なのは確かだ。実際あいつもあいつで、俺を体のいい男避けに使ってる部分はある。


 しかし、俺が高橋を恋愛的な目で見ているかと言われれば断じてNOだ。

 誰がなんと言おうとNOだ。


「そうなのか? ああ、そういや秋本が高橋さんに告りたいとか言ってたな」


 ………………は??


「嘘だ。冗談。その目やめろ、お前。マジで怖いから」

「いや。別に。どうでもいいんスけど」

「素直じゃねえよなぁ。お前ら二人とも」

「いや先輩。一応俺、今カノジョいますんで」

「ああ……」


 もう何回か説明してるはずなんだけどな。

 ひょっとして信じられていないのだろうか。

 先ほどだって、部室の片づけ中に――。


『そうだ、三崎。お前明日ヒマか?』

『あー、すんません。明日はちょっと……』

『なんだ、また彼女とデートか?』

『そんなとこっス』


 その会話を聞いた高橋が般若の如き形相でこちらを睨みつけてきたっけな……。


「なあ、三崎。その、言いにくいんだけどよ」

「なんスか?」

「お前の彼女……橘さん。あんまいい噂聞かねえぞ?」

「……」


 橘は、同じ大学の同級生だ。

 三ヵ月ほど前から俺と交際している。

 群衆の中でもぱっと目を引くお嬢様然とした容姿で、いつも春の日差しのような穏やかな笑みを浮かべ、ふわふわとどこかへ飛んでいきそうな不思議な雰囲気を纏っている女だ。


 しかし、なまじ見た目が整っているばかりに、口さがない人々にとっては格好の的となるらしい。

 彼女が夜の繁華街を歩いているのを見た、だの、運動部の部室棟からこそこそと出てきたのを見た、だの、その程度の噂なら俺も聞いたことがあった。

 そして、ついにこんなことまで。

「その……この前なんだけどよ。俺、姉貴と一緒にファミレスで飯食ってたんだけど、橘さんがスーツ着たオッサンと二人でいるとこ見ちまったんだよ。どう見ても親子って感じじゃなかったし……」


 ああ。

 やっぱりこの先輩は良い人だ。

 ホントならこんな、他人の色恋ハナシに首突っ込むのだって好きじゃないだろうに。


「ありがとうございます、先輩。でも、大丈夫っスから」

「そうか? いや、お前がいいならいいんだけどよ」

「なんかあったら相談しますよ。そんときはグチ聞いてもらえますか?」

「おう。そんときはな」


 互いの照れくささを誤魔化すためにもう一度ジョッキをぶつけ合い、一息に干す。

 その後は、ひたすら低脂質高タンパクの肉を摂取することに勤しみ、大学内外でのよもやま話に花を咲かせて、その日の夜は更けていった。



 そして、先輩と別れて駅までの帰路。

 俺のスマホに着信が入った。


《橘》


 表示された名前を見て一瞬顔を顰めてしまったが、無視するわけにもいかない。


『もしもし、三崎クン?』


 スピーカー越しにも伝わる、鈴の鳴るようなお上品な声が俺の名前を呼ぶ。


『どうした?』

『明日一日空けておいてって言ったの、忘れてないよね』

『なあ、俺たち付き合ってるんだよな』

『どうしたの? 当たり前じゃない』

『明日、どこ行くんだ?』

『家デートに決まってるでしょう?』

『だよなぁ……』


 耳元を擽るその声の主が、歪に口元を引き上げたのが分かった。


『なぁに、? や~らし~』

『やめてくれ、マジで』

『ねえ、もう溜まっちゃって大変なの。待ってるわ、ダーリン♪』


 ぷつり、と一方的に切られた通話が、俺の両肩に3キロ遠泳の後のような重圧を乗せてきた。


 嘘吐いてすいません、先輩。

 これは流石に、相談できないです。

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