女友達が隙あらば俺を腐った目で見てくるんだが

lager

第1話

 俺はその日、部室で書棚の整理をしていた。


「うわ。すげぇ古いジャンプ出てきた」

「……」

「発行は、二十年前? マジか。おい。これすげえぞ高橋。るろ剣に封神演義にぬ~べ~に――」

「…………」


 無駄に高く作られたそれには、歴代のOB・OGたちによって寄贈された(捨て置かれたともいう)雑誌やら漫画やらライトノベルやらが雑然と並べられている。

 脚立代わりにしたパイプ椅子に乗り、思わぬお宝に興奮していると、同じく部室の整頓をしていたはずの高橋が無言でいることに気づいた。


 こんな時はいつだって……。


「おい。高橋」

「……なによ」

「俺の尻をガン見するな」

「はあ!?」


 なにを心外みたいな声出してんだよ。こっちが「はあ……」だよ。

 椅子の上から後ろを振り返れば、耳まで赤くした女がガシガシと机をダスターで拭いていた。


「意味分かんないんですけど。私普通に掃除してたんですけど。ていうか背中越しに分かるわけないでしょ。適当なこと言わな――」

「いや。窓ガラスにばっちり映ってたから」

「あ」


 あ、じゃねえよ。

 時刻は19時。とっぷりと暮れた夜を背景にした窓ガラスは、数秒前まで、目ぇガン開きにして食い入るように俺の尻を見つめていた気色悪い女の姿をはっきりと映していたのだ。

 

「しょうがないじゃん。三崎がそんな後ろから掴みやすそうな細い腰でパツパツのジーンズ履いてるのが悪いんでしょ。水樹先輩以外にそんな無防備なトコロ見せちゃダメだよ」

「分かった。今度からお前と会うときはダッボダボのカーゴパンツにする」

「そんな!?」


 悲鳴を上げた高橋を余所に、俺は書棚の整理を続けた。


 自慢じゃないが、俺はスタイルがいい。

 中学、高校と水泳部で鍛え上げた体は綺麗な逆三角形を作り、大学に入った今でこそ美術サークルに所属しているものの、日課となったトレーニングは一日も欠かさず、体脂肪率は12%以下をキープしている。


 水樹先輩はというと、俺が言えた義理ではないが何故文化部になど所属しているのか疑問に思うほどに筋骨隆々な益荒男で、俺よりも頭一つ分は背が高い。

 顔も強面でRIZINにでも出ているほうが余程お似合いだが、意外すぎることに実家は花屋で、本人も草花を愛すること胡蝶の如き慈愛に満ちた優男だ。


 俺が大学入学と同時に美術サークルに入ると、タダ飯目当てに新歓コンパに出席した高橋は、水樹先輩と俺が世間話をしているツーショットを見た瞬間に入部を決意していた。

『ふひ。……筋肉と、筋肉の……BLTサンド……』

 怖気を振るう妄想を垂れ流す腐乱女とは、中学からの腐れ縁だ(洒落じゃないぞ)。その頃から、俺はこの女によって、日常的に腐臭に満ちた邪悪な眼差しに晒されてきた。


 想像できるだろうか。


『ねえ三崎。〇〇君にはいつ告白するの?』

『この前▽▽君に肩組まれてたよね? どうするの? ていうかどこまで進んでるの?』

『ちょっと! ××君が女の子と二人で歩いてたんだけど! 何やってんのさ、三崎。俺のおんなに手を出すな、って言ってきなよ! 早く!』


 隙あらばこんな妄想を語り続けられる俺の気持ちを。


 ちなみに、これまでのこいつの妄想では、俺は常に線の細い年下の男子とカップリングされてきたのだが、今回は随分方向の違うキモさだな、などと思っていたところ、本人曰く『コペルニクス的転回だわ……』とのこと。

 コペルニクスに謝れ。

 いや、まず俺と水樹先輩に謝れ。


「つうかさ、こういうの、普通逆じゃねぇ?」

「何が?」

「いや、ほら。よく言うだろ。男子が女子の胸見てるとき、女子は絶対気づいてる、みたいな……」


 腐女子が男子の尻を見るとき、男子は必ずそれに気づく。

 なんてイヤな命題だ……。


「馬鹿。そんなの数字のトリックだよ」

「ええ?」

「いい? 『男子が女子の胸を見るとき、女子は必ずそれに気づく』。この命題を真とするためには、『男子が女子の胸を見た回数』と『女子がそれに気づいた回数』を別にカウントしてそれが同数である必要があるわけ」

「はあ」

「でも、それを言うのって大体女子側でしょ? 女子は自分がそれに気づいた時しか『男子が胸を見た回数』をカウントできないんだから、そんなの同数になるに決まってるじゃん」

「ああ、なるほど……」

「え!? アナ――」

「言わせねぇよ!?」


 この女、専攻に哲学を選んだだけあって、時折妙な理屈をこね回す癖がある。こういう人間は引かれるか同じ人種同士議論を白熱させるかどっちかの場合が多いが、俺は適当に相槌を打って聞き流したり流さなかったりしている。面白いときもあるしつまらない時もある。まあ、人間関係ってそんなもんだろ。別に嫌じゃない。


 ……下ネタは大嫌いだけど。


 そうしていつも通りに下らない馬鹿話を続けていると、部室のドアががちゃりと開いた。


「お。なんだ、まだ掃除やってたのか」

 津田健次郎似のシブメンボイスと共に現れたのは、誰あろう水樹先輩である。

 今日もピチティーにジャケットを合わせた腐女子の目に悪いワイルドコーデで、高橋の口元を邪悪に歪ませている。


「お疲れ様です」

「お前ら二人だけでそんなガッツリやんなくてもいいんだぞ。少しは他の連中にもやらせないと」

「いやー、始めたらなんか止まんなくて」

「今日はもう切り上げろよ。鍵閉めちまおう」

「ウっす」


 水樹先輩に手伝ってもらいながら掃除道具を片付け始めた俺は、先ほどから高橋が無言でいることに気づき、ちらりと窓ガラスに視線をやった。


 案の定、だらしなく口を半開きにした腐女子がそこに映っていた。


 ……いやお前、擬態ちゃんとしろ。

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