恋慕の情

 「あら……プティ様、少しお痩せになられましたか?」

 採寸をしていた女官が首を傾げた。

 「……そうかもしれませんね。この暑さで少し食欲が落ちておりまして」

 プティの弁解に、女官が顔を曇らせつつも冗談を飛ばす。

 「なに、心配はございませぬ。痩せたとしても、詰め物をすれば大抵のことはどうにでもなりますゆえ。むしろ、太りすぎると布も余計にかかります。プティ様は倹約家でございますわね」

 「そうでしょうか、ならば良いのでしょうが」

 あいまいに微笑むプティに、女官も笑みを浮かべる。今日は婚礼用の衣装の仮縫いで、当初より痩せてしまったプティの採寸をし直しているところだ。

 乳白色の絹布に、凝った金糸の縫い取り。裳裾には螺鈿細工を施し、歩くたびにそれがきらきらと輝くようにしてある。上衣は肩をむき出しにした造りで、こちらも吉祥柄を赤や金色に染め抜いた上に、細かい刺繍を施してある。

 普段身に着けている衣服よりも重たく感じる。それだけこの衣装が凝った造りということだろう。

 早いもので、ここにきてから半年が過ぎた。乾季も間もなく終わることだろう。焼けつくような暑さも、夜の寝苦しさも少しは軽くなる。

 ……軽くならないのはおのれの心だけだ。

 許嫁である王太子には、他に愛する女人がいる。早々にその事実を本人から告げられ、かといって破談にはできない。

 だが……。その女人が、まさかあの美しい乙女だったとは。

 あの乙女に会いたい。だが、どの面を下げて会いに行けば良いのだろう。互いに名乗らず、身の上も明かさず、ただただ二人で拙い会話を交わしていただけの頃が懐かしくて仕方がない。

 「プティ様、こちらはご実家から贈られたものにございまする。ささ、いかがでございまするか」

 女官が示したのは、黒真珠と金鎖を施した首飾りと耳飾り。年頃の娘が嫁ぐからと、実家側からは布や宝石、装飾品が数多く届けられている。どれも手の込んだもので、嫁ぐ娘に恥をかかせることがないようにという父親の配慮だ。

 「まぁまぁ、衣装ともぴったりでございまするなぁ」

 「ええ、ほんに……。お父上様もプティ様には喜んでほしいとお思いなのでございましょう」

 女官たちが口々に褒め称える。だが、彼女たちが褒めそやせば褒めそやすほどに、プティの心は暗く重くなる。

 ――あの乙女に比べれば、わたくしの見た目など何になりましょう……。

 その時だった。遠くから騒ぎ声が聞こえてきた。

 「あれ、そっちへ逃げたわ!」「ちょっと、お待ちなさい!」「きゃあ!」

 そんな騒々しい声と、ばたばたと騒音が聞こえてきた。

 「な、何事でございましょうか……?」

 女官の疑問はすぐに分かった。小さい猿が、ものすごい勢いで部屋に飛び込んできたのだ。

 「あれぇ!」

 「お気を付けあそばし、目が合うと噛みつかれますわ!」

 慌てふためく女官たちとは裏腹に、プティは冷静だった。

 「お前、落ち着いて。さぁ、ここにおいでなさい」

 興奮して歯をむいていた猿は、プティの呼びかけに動きを止めた。

 「プ、プティ様」

 「大丈夫よ。ちょっと迷い込んだので興奮していたようですね。おお、よしよし、いい子ね。大丈夫よ……」

 あの乙女が飼っていた子猿だ。プティの顔を見るや、おとなしく抱き着いた。

 「ほぉら、困った子ねぇ。大丈夫よ」

 子猿は甘えた声をあげ、プティの首にしがみついた。

 「大丈夫でございますか、プティ様?」

 「ええ、平気ですわ。どこかで飼われているお猿さんでしょう。迷子になったのかしらねぇ」

 何食わぬ顔をして、子猿を抱き上げたときだった。首許の金鎖に、小さい文が結わえられているのに気付いた。

 「よしよし、大丈夫よ」

 首筋をなでながら、プティは子猿の首についている文を、こっそりとほどき取った。女官たちが遠巻きに見ているのが幸いしたのだろう。誰も気づかない。

 「さぁ、お前のご主人様のところに帰りなさい」

 開け放っている窓際に子猿を座らせた途端、ききっと小さい声を上げ、すばしこく去っていった。

 「まぁまぁ、人騒がせな。どこのどなた様が飼っていらっしゃるのでしょう? 後できちんと注意せねば!」

 「プティ様、噛みつかれたりはしておりませぬか?」

 「大丈夫ですわ。それにしても、やんちゃなお猿さんでしたね」

 文をこっそり胸元に押し込み、プティは微笑んだ。

 「ちょっと一休みしませんか? 少し喉が渇きましたので」

 「かしこまりました。しばしお待ちを」

 女官たちが茶の用意をしている間に、プティは隠していた文を盗み見た。

 書かれていたのは、蘭の花の絵と「会いたい」と、拙く書かれた一言。

 それだけで、プティの心は温かいものに満たされていった。

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