逡巡
「おや、どうしました?」
「あ、ディア様……」
夕餉を終えた後、果物の入った小篭を手にした女官が、困ったような顔をしていた。
「プティ様におかれましては、今日も果物はいらないと仰せでございます」
「さようか……」
あの祭りから半月も経とうとしている。プティがひどく落ち込んでいるのはディアをはじめ、多くの女官たちにも知られることとなった。
「話には聞いていたとはいえ、やはりその目でご覧あそばしては……」
「ましてやバジャクの海賊の娘というではありませぬか……」
「王太子様も何をお考えのことでしょう……」
女官たちの姦しいおしゃべりに、さすがの温厚なディアも眉をひそめた。
「これ、お前たち! 声が大きいぞ。プティ様のお耳にはいったらどうするのです」
「も、申し訳ございませぬ」
「良いか、いくら王太子殿下があの娘に肩入れなさろうと、しょせんは側室。殿下おん自らプティ様との婚儀は果たすと仰せであらせられるのです。何を迷うことがございましょうぞ。お前たちも他で何を言われようと、臆することなく胸を張ってこう答えよ。『プティ様はまごうことなく、王太子殿下の許嫁であり、妃殿下になられるお方、無礼な事を仰せになられますな!』とな」
「はっ!」
普段はほんわかとした人柄とはいえ、やはり女官長補佐を務めるだけの人物だ。 言うべき時にはきちんと言う。女官たちも、その叱責に改めて身を引き締めたようだった。
「プティ様、よろしいでしょうか。お茶などお持ちいたしました」
ディアが茶道具一式とともにプティの寝室を訪れた。
「……」
「安眠効果のあるお茶にございまする。これなどお飲みになってゆっくりお休みなさいまし」
「ありがとうございます」
「……プティ様、わたくしどもは常にあなた様の味方でございます。側室のことはお考えなさいますな。悩むだけ時間の無駄にございます」
「……違うのです」
「は……?」
プティが悲しげに微笑んだ。
「殿下がお選びあそばした、あのお方があまりにも美しいので……」
「な、なにをおっしゃいますか! プティ様のほうが、お美しゅうございます」
「ありがとう、ディア様。お世辞でも嬉しゅう存じます」
「お世辞など……とんでもございませぬ!」
プティはそっと、首を横に振った。
「ディア様、この世は美しいものであふれております。わたくしはそれらを目にすることができて、とても嬉しゅうございます」
「プティ様……」
「そして、こうも思うのです。何故わたくしには、その美しいものを与えられぬのかと。本当に欲しいものは、容易にこの手に入るものではございませぬのか……」
プティがはらはらと涙を流す。ディアはその様子に胸を打たれた。若い娘が恋に悩む姿、それもまた、傍から見ればとても美しいことを、この娘は知らないのだろう。美しい異国の娘に、夫となる相手を奪われる辛さは、ディアならずとも察して図る事だ。
「恐れながら申し上げます。このディア、プティ様のお美しさは真であると信じております。その艶やかな御髪、白い肌、そしてその聡明さと慎み深さ。誰に恥じることがございましょう!」
「ディア……」
「王太子殿下のお振る舞い、申し上げたいことは多々ございまする。なれど、それによってプティ様の御身が否定されるようなことなど一切合切ございませぬ。どうぞ、誇りをもってくださいませ」
ディアの訴えに、プティは優しく微笑んだ。
「ディア様、頼みがございまする」
「は、何でございましょう」
「明日は、久々に刺繍の手習いをお願いいたしましょう。ほら、前に図案帳を見て、お猿さんの図案を刺してみたいと申しておりましたでしょう?」
「え……あ、ああ。さようでございましたね」
「心配をおかけして、申し訳ありませんでした。王太子の許嫁として、良い振る舞いをしなくてはなりませんものね」
「は、はい」
「女官の皆様にもご心配をおかけしました。詫びを申し上げます」
「プティ様……」
年若い乙女が何かを堪えて年長の女官たちを気遣ってくれる。それがディアにとっては嬉しくも申し訳ない気持ちになる。
「さて、今日はもう休みます。ああ、お茶はそこに置いていってくださいな。あとで頂きますので」
「はい……」
誰もいなくなった寝室で、プティは久々に詩を詠みはじめた。
一目見て、恋に堕ち
二目見て、恋慕の情に捕らわれる
嗚呼、何故にあなたはあなたなのか
しがらみがこの身を縛り
恋慕の情がこの身を焦がす
途中まで詠んで、そこで言葉に詰まった。
温くなった茶をすすると、プティは無言で床に就いた。
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