邂逅
日が沈み、海岸も薄暗くなってきた。しかし、随所に篝火が焚かれ、人々もまだ祭りの余韻に浸っているようだ。王家の者たちが櫓から手を振ると、観衆は喜んで手を叩き、手を振り返す。
「プティ、そなたもこちらへ」
ヒタムがプティを促し、自分も立ち上がった。命じられるままに立ち上がったプティの手を取ると、いきなり肩を抱きかかえ、櫓から観衆へ向けて手を振った。
「おお、王太子殿下だ! それにあれは確か、許嫁のプティ・ダリ・クァール様ではないか」
「これはこれは、可愛らしいお方でいらっしゃることよ」
観衆が自分に注目している。多くの人々の視線にさらされるのも困ったが、何より落ち着かないのは隣にいるヒタムだ。それまで必要最低限の会話しかしなかった男が、今日に限って機嫌良く振る舞っている。そのうえプティの手を取り、あろうことか肩を抱き、朗らかに手を振っているではないか。
「どうした。皆がお前を見たがっている。手を振って笑みの一つも見せてやれ」
そう言われてもどう振る舞えばいいのか。ぎこちなく手を振り、ひきつった笑みを見せるしかない。
「おお、あれがプティ様か」
「あらまぁ、手を振ってくだすったわよ」
「お可愛らしいお方じゃのう」
そんな声が聞こえてきた。
「良かったな、これでお前も少しは世に知られたことだろう。どれ、もう少し見せつけてやろう……」
ヒタムはそう言うと、手に力を込めて強くプティの肩を一層抱き締めた。
「―――!」
いきなりのことに、プティの体に緊張が走る。
しかし、ヒタムは気にも留めず、もう片方の手を大きく振って観衆に応える。
「おやおや、お若いねぇ」
「王太子様はあの姫様にぞっこんかしら」
「ああ、素敵。うらやましいわぁ」
「見ろよ、プティ様が真っ赤になっているんじゃないか?」
許嫁を愛しげに抱き寄せる王太子と、照れて固まってしまった許嫁。傍から見ればそんなところだろう。
がっしりした体。太い腕、強い力。初めて触れた男の体は、岩のように固く、力強い。夜の庭園で抱き締めた、あの乙女とはまったく違う。
「恐れながら申し上げます、客人をお連れいたしました」
冷ややかな声は、ヴェラットのものだ。
振り向くと、薄物の布を被った先ほどの娘を連れている。
――ああ、まさかこんなところで相まみえるとは!
「ふん、遅かったな」
「踊りで汗をかいていらしたゆえ、汗を拭き、乱れたおぐしを結って整えてまいりました。粗相があってはなりませぬゆえ」
「ほう、そなたにしては気が利いておる」
からかい気味の口調でヒタムは答えた。
「それを取って、顔を見せよ。バジャクの娘・ヒジャウよ」
ヒジャウ? それがあの乙女の名前なのか。しかし、彼女もプティがこの王太子の許嫁だとは、夢にも思わないだろう。
「で、殿下……あちらのお方のお名前は、ヒジャウ様とおっしゃるのですか」
「ああ、そうだ。ヒジャウ、紹介しよう。これが私の許嫁だ」
娘は黙って被っていた薄物を下げた。間違いない、間違えようがない。
あの乙女だ……。
金茶色の髪は一つに結い上げ、真珠と珊瑚をちりばめた簪を挿している。薄絹に、金糸で細かい刺繍を施した衣、星鈴をかたどった腕飾り。
顔を上げたヒジャウもまた、こちらを見て固まった。
プティが唇だけで、ヒジャウに「ひ、み、つ」と言うと、ヒジャウも黙ってうなずき、平伏して礼を示す。幸い、あのヴェラットにも気づかれなかったようだ。
「ご苦労だったヴェラットよ。しばし下がっておれ」
「で、ですが……」
「命令だ」
有無を言わせない声で、ヒタムが言うと、ヴェラットも渋々引き下がった。
「さて、堅苦しい挨拶は抜きだ。もういい、ヒジャウよ。大儀であった」
それまで 抱き寄せていたプティをあっさり開放すると、ヒタムはヒジャウの側に近づき、立つように促した。恐る恐る立ち上がったヒジャウを抱き寄せると、彼女の頬に軽く口づけた。
「プティよ、改めて紹介しよう。私の最愛の寵姫・ヒジャウだ」
得意げに言ってのけたヒタム。抱き寄せられたまま、大きな瞳を潤ませるヒジャウ。プティはただ、二人を凝視する他なかった。
「今日の海走りで優勝したら、これをもらい受けることを約束していてな。なぁに、もともと昨年の海賊征伐で見つけて、わが戦利品と思っていたところだ」
「……初めまして、ヒジャウ様。王太子殿下の許嫁、プティ・ダリ・クァールにございます」
「は、はじめ、まして。わたし、ヒジャウ、言います」
互いの声が震えている理由は、承知の上だ。
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