男たちの競い合い

 祈りの儀式が終了した。ここからはお祭り騒ぎだ。祭壇は下げられ、国王夫妻をはじめ王族や臣下たちもそれぞれ櫓や用意された席に移動した。代わって登場したのは美しく着飾った女たちと、楽器を手にした男たち。軽快で華やかな音色に合わせて、女たちは軽やかに踊る。海の神へ踊りを見ていただくためだ。

 櫓の上から、プティは四方八方を見回した。改めて見ると、多くの人々が集まっている。厳かな儀式が済んだ解放感も手伝っているのだろうか、皆はちきれんばかりの笑顔で祭りを楽しんでいる。

 ……この中に、あの乙女もいるのだろうか。

 そう思うと、ついつい身を乗り出してしまう。

 「プティ・ダリ・クァール殿、あまり身を乗り出してはなりませぬ」

 ヴェラットが背後から叱責した。嫁入り前の女性として、はしたない振る舞いだったようだ。

 「も、申し訳ございません」

 「……殿下なら、まだこちらにはお越しになりませぬゆえ」

 どうやらヴェラットは、誤解しているらしい。ヒタムが儀式を終えても戻ってこないのを、プティが心配し、櫓から身を乗り出して探していると勘違いしているようだ。

 「殿下はこの後『海走り』にご参加なされまする。それゆえ、まだここには戻れませぬゆえ」

 「『海走り』とは?」

 初めて聞く言葉だ。


 ディアによると「海走り」とは、この祭事に行われる若い男たちの競技だという。

 「まず、海岸に整列し、号令の合図とともに沖合いまで泳いで進みます。沖合いには目印の旗を立てた小舟を、参加者の人数分浮かべております。小舟の真下には黒曜石の玉をあらかじめ沈めており、それを潜って拾い上げます。そして最後に、玉を小舟に乗せ、その小舟を漕いでこちら側まで戻ってくるのです。もちろん、真っ先に戻ってきた者が優勝でございます」

 泳いで、潜って、舟を漕ぐ。体力があり余っている若い男ならではの競技だ。ほどなく、先ほどまで踊りを披露していた場所に若い男たちが集まってきた。みな、腰巻一枚の姿だ。

 観客の中から、どよめきと拍手が沸き起こった。ヒタムが現れたのだ。彼もまた、他の男と同じく、腰巻一枚の質素ななりだ。

 「こればかりは殿下も特別扱いはなさりませぬ。みなと同じお立場で、公平に参加なされるのです」

 男たちは海岸に一列に並んだ。いずれも屈強ななりをしており、ヒタムに負けず劣らずの美丈夫たちだ。

 審判役の男が、旗を大きく振ったのを合図に、男たちは海へ向かって全速力で走り出す。周囲の歓声もひときわ大きくなる。海に飛び込み、沖合に向かって懸命に泳ぐ男たち。ヒタムも勢いよく泳ぎ進んでいる。

 「ほほう、殿下もさすがでござりまするな」

 ヴェラットがにこりともせずにつぶやく。確かに泳ぎは達者だ。ほどなく沖合の小舟にたどり着き、海中に身を沈める。大丈夫とは分かっているが、もし浮かび上がってこなかったら……見ているプティが、おのれも水中にいるかの如く呼吸をこらえてしまう。

 心配は杞憂に過ぎなかった。勢いよく水中から顔を出すと、その手には黒く光る玉を握りしめている。プティは、ようやく息がつけた気がした。

 そこから先はヒタムの独走だった。舟の漕ぎ方は堂に入ったもので、それまで僅差だった他の男たちと、どんどん距離を開けていく。

 「まぁ、これは……素晴らしいこと」

 ディアが小娘のようにはしゃぎ、ヴェラットが無言でたしなめた。

 二位と圧倒的な差をつけて、ヒタムが一位を獲得した。浜辺に着いた彼は、誇らしげな笑みを浮かべ、玉を掲げて周囲へ見せる。若き王太子の勇ましい姿に、周囲の歓声はいや増すばかりだ。

 濡れた髪が日の光を浴びてきらきらと輝いている。

 「今年の海走りの勝者は、ヒタム王太子殿下なり!」

 審判の声に、大きな拍手が鳴り響く。白い歯を見せて笑うヒタム。自分には一度たりとも見せてはくれない表情だ。

 やがて他の男たちも海から上がり、互いの健闘を褒めたたえ、労い合う。

 ヒタムがこちらを見回してきた。両陛下の櫓に向かって頭を垂れ、礼を示す。そして……


 これ以上はない笑みを浮かべて別の櫓のほうを向いた。

 臣下たちが居並ぶ方の櫓だった。その笑みは、以前中庭での稽古の時に、楼閣にいた誰かへ向けて見せたものと同じだった。


 そして、プティのいる櫓には一瞥たりともしなかったのである。

 彼があの眩しい笑顔を見せる相手こそが、最愛の寵姫なのだろう。そして、その寵姫がそちらにいるということだ。

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