海の祭りへ

 「プティ・ダリ・クァール殿、お支度は如何であらしゃいますか」

 仕切り越しに聞こえるヴェラットの声に、ディアが緊張したのが一目で分かった。

 「と、整いましてございます」

 ディアが上ずった声で返事をするやいなや、ヴェラットが仕切りの布を払いのけて入ってきた。

 「これはこれは……お美しゅうござりまするな」

 笑顔を見せずに誉める彼女に、プティは何とも不思議な気持ちになる。本当に褒められているのか、お世辞なのか、はたまた皮肉なのか。

 今日は催し物が開かれ、プティも来賓として招かれている。そのため、朝から化粧や身支度に忙しかったのだ。

 今日は明るい空色の腰布、白い半そでの上衣、濃い藍色の細帯を締め、薄桃色の珊瑚を連ねた首飾りと耳飾りを付けた。髪は後ろで一つに束ね、白い蘭の花を一輪挿す。

 暑い盛りに涼しげな色合いの装いは、清涼な風のように美しい。

 「……少し、お痩せになりましたか?」

 ヴェラットが尋ねる。

 「その……暑さで少し食が細くなりがちでございまして。で、でも果物はよく召し上がっていらっしゃいますので」

 ディアがとりなすように答えたのが、少々申し訳ない気になる。確かに毎晩のように寝室に果物を運んでもらい、翌朝にはほとんど平らげているのだが、半分以上はあの子猿と乙女が食べている。もっとも、そんなことが知られては大問題になるが。

 「さようであらしゃいますか。ですが暑気あたりを軽く見てはなりませぬぞ」

 「……はい、気を付けます」

 「ささ、急ぎましょう。みな、プティ様のお姿を見ることを楽しみにしておりますゆえに」

 「はい……」

 昨夜は支度に追われ、夜中に抜け出すこともかなわなかった。あの乙女は寂しくなかっただろうか。

 


 「今日も楽しかったわ」

 「わたしも、たのしかった。ここ、来る、いつも。ここが、わたし、わたしに、なる」

 素の自分でいられる時間。それはプティも感じている。思うままに語らい、詩を詠み、乙女の笑顔を見る。乾ききった心が、雨季の雨を浴びたかのように潤っていく。

 「さぁ、お名残り惜しいけど、今夜はもう帰りましょう。本当は、夜が明けるまで一緒にいたいけど……」

 「あ、あの……」

 「なぁに、お友だち」

 乙女は申し訳なさそうにしている。

 「明日の、夜、わたし、ここ、来る、できない……お出かけ、用意、する」

 ああ、明後日の「海の祭り」か。プティは納得した。

 乾季の最も暑い盛りに開かれる祭事。海の神に感謝と祈りを捧げるため、多くの人が集まる。プティも来賓の一人として出席しなくてはならない。おそらくこの乙女も、同じような理由だろう。

 「それは、大事なご用があるからね?」

 「は、はい。明日の明日、お出かけ、する。その、支度、する。明日の夜」

 しょんぼりする乙女を、プティは優しく抱きしめた。

 「大丈夫。実は、わたくしもお出かけするの。明日は、会えなくても、お出かけがすんだら、またここで会いましょう」

 もしかしたら、来賓席から乙女を見かけることができるかもしれない。それが、プティの胸をときめかせた。


 プティはディアと共に牛車に乗り込み、海岸へと向かった。

 「海の祭りは、お初めてでいらっしゃいますか?」

 「はい。幼い頃、父には聞いたことがございますが」

 海の神に祈りを捧げるだけではなく、民が喜ぶ催しも多々開かれるという。美しく装った女たちの歌や踊り、勇ましい男たちによる力比べ、市も開かれ、美味しいものが並ぶ屋台や、珍しい品々を売る店、見世物小屋などが集まり、楽しみは盛りだくさんだ。

 そして、その場に来賓として出席する。

 それは、プティ・ダリ・クァールが王太子の許嫁として公の場に姿を現す初の場でもある。

 わかってはいるが、緊張が身の内を走る。はたして、自分に務まるのだろうか。

 ――あの乙女に会いたい。

 もし、祭りの場で見かけたらどんなに胸がときめくだろう。

 月明かりと燭台の光に照らされた彼女は美しい。だが、日の光の下で見たら、もっと美しいのではないだろうか。そんな彼女を見てみたい……

 「プティ様、楽しみでございますね」

 ディアが微笑んだ。

 「え、ええ。そうですわね」

 「お顔がほころんでいらっしゃいますわ。初めてのお祭りですものね」

 全く違うことを考えていた自分。祭りを楽しみにしていると思われたのは幸いだった。

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