茶会

 「きれいにできましたね」

 ディアがプティの手元を覗き込み、微笑んだ。

 今日は女性のたしなみの一つ、手芸を学ぶ日だ。習っているのは、刺繍。手先が器用なディアが講師を務める。

 詩集には様々な紋様があり、それぞれに由来や意味がある。身の回りの品に、思いを込めて刺繍を施し、贈り物にする。

 例えば、花の紋様。愛しい人に思いを伝えるなら、蘭の花をかたどった紋様を手巾に施し、それを渡すことで愛を示す。尊敬や信仰の意を示すなら、泥の中にあってなお美しい花を咲かせる蓮の花の紋様を。

 「気を付けなくてはならないのは、菊の花ですね。黄色い菊には薬効があるので、病気の方へのお見舞いに適した紋様となります。しかし、白菊は弔いに使う花。白菊の刺繍を施したものを、生きている方に送るのは大変失礼なことです」

 刺繍そのものは実家でも時折たしなむ機会はあったので、基礎的なことは一応できる。紋様にも様々な意味があるとは聞いたことはあるが、ディアの説明は一つ一つが具体的で、実に分かりやすい。

 大きな木枠にはめ込まれた麻布に、蘭、蓮、菊などの花の紋様を刺す。花びらを立体的に見せるための技法、色の組み合わせ、学ぶことは多い。

 「さて、プティ様。次は生き物の紋様を刺しましょう。何か好きな生き物はございますか?」

 「……お猿さん、とか」

 つい口から出た。昨夜の夢のようなひと時がふわふわと思い出される。可愛らしい悪戯者の子猿と、美しい異国の乙女。もしかしたら、本当に夢だったのかもしれない。

 「猿、でございますか?」

 「え、ええ。悪戯者で、実家ではしばしば使用人たちが困らされていたようですが、どこか憎めないところもあって……」

 嘘は言っていない。そして、昨夜の秘密も守っている。

 「おっしゃる通りですわ。頭が良いので知恵の神の御使いとされてございますわね」

 ディアがくすくすと笑いながら、布で綴られた紋様図案集の頁をめくる。獅子、牛、山羊などと並んで、猿の紋様の頁もある。猿の顔だけもの、全身を描いたもの、写実的なものから、簡略化されたものまでと種類は多い。プティのような初心者でも刺しやすそうな図案はないかと、二人で図案集を眺めていた時だった。

 「恐れながら申し上げます。ヴェラット王室女官長様がお見えでございます」

 女官の一人がうわずった声で予定外の来客を告げた。

 「何と! 今日は講義の予定などなかろうに……」

 緊張はディアにも伝染する。

 「ディア女官長補佐、先触れなしの来訪、まことに相すまぬ」

 しずしずと、しかし威厳をもってヴェラットが部屋に入ってきた。背後には部下らしい女官も二人並んでいる。

 「ごきげんうるわしゅう存じます、プティ・ダリ・クァール殿。本日もお励みのご様子、何よりであらしゃいます」

 「ごきげんよう、ヴェラット女官長様」

 相も変わらずこの女性はきっちりとした振る舞いを崩さない。ディアが緊張するのもよく分かる。

 「ほほう、刺繍ですか」

 「ええ、まだまだ拙いものでございますが」

 ヴェラットは木枠の刺繍をちらと眺め、次いで広げっぱなしだった図案集に目をやった。

 「猿……でござりまするか」

 「は、はい。知恵の神の御使いだと伺いまして」

 「確かに。ですが、わたくしは本物の猿はあまり好きではござりませぬ。小賢しいうえに、盗み癖がありますゆえ」

 「……」

 何かの嫌味だろうか。プティが返事に困っていると、ディアが助け舟を出した。

 「恐れながら申し上げます。本日はどのようなご用件で?」

 「ああ、失礼。本日ここに来たのは、妃殿下からのお達しを伝えに参りましたゆえ」

 「えっ…?」

 ヴェラットが膝をつき、手を合わせた礼をした。

 「マニス妃殿下より、お招きの意をお伝えに上がりました。プティ・ダリ・クァール殿の日々のお励みをねぎらうゆえ、茶会でもてなしたいとの仰せにあられます。急いでお仕度なされませ」

 妃殿下からの急な呼び出しとは、どういうことだろう。意図もつかめず、戸惑うままに身支度を整えたプティは、ヴェラットたちに連れられて離れを出た。


 「いきなり呼び出して済まなかったの、プティよ」

 「こちらこそ、お招きにあずかりありがとう存じます。妃殿下におかれましては、本日もごきげんうるわしゅう…」 

 「ああ、よいよい。今日はささやかな身内だけの茶会じゃ。かように硬くならずともよかろう。さ、ヴェラットよ。茶菓をこちらに運んでくりゃれ」

挨拶の言葉を、妃殿下が笑いながら遮った。通されたのは謁見の間ではなく、小さめの個室。床には茶器や皿が並び、小ぶりだがきれいに盛られた花が飾られていた。色白で豊満な体つきの妃殿下は、初めて会った時と変わらずにこやかで優しい。しかし、着ているものは、いつもよりは簡略化された衣で、装飾品も少なめ。完全に非公式の装いだ。

 「ヴェラットがそなたのことを褒めておっての。この堅物には珍しいことゆえ、妾も労ってやろうと思うただけじゃ。ささ、ゆるりとなされ」

 ヴェラットはともかく、マニス妃殿下に他意はなさそうだ。プティは茶を受け取った。

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