秘密と秘密
主人に再び会えて安心したのだろうか。子猿はきぃきぃと鳴きながら、上機嫌でその辺りを走り回り、周辺の木によじ登ってはしゃいでいる。乙女はその様子を見て、微笑みを浮かべていた。
それにしても……この乙女は何者なのか。プティは俄然興味をそそられた。
異国の人については、幼い頃に両親や使用人たちの話で聞いてはいたが、実際にその姿を見たのはこれが初めてだ。
――異国の女性は、これほどにも美しいのですか……
ワルナでは、女性は色が白ければ白いほど美しいと言われている。慎み深く表に出ないのが女の美徳。日の光を浴びて日焼けするような女は、すなわち外に出て働かなくてはならぬほど貧しく卑しい身分だから。高貴な女性ならば、日が差すような明るい場所に出たりせず、屋敷の奥で過ごす。ゆえに日焼けもせず白い肌を保てるのだ。聞けば、少しでも自分をそれらしく見せるため、白い肌を装うあまり白粉を塗りたくる女性もいるという。
しかし、今目の前にいる乙女の美しさは何と例えれば良いのだろう。浅黒い褐色の肌は艶めいており、この宵闇の中でも異国の香りを漂わせながら光り輝いているではないか。色の白さなど瑣末なことが吹き飛ぶ美しさだ。
顔立ちも異なる。鼻は尖り、目はくっきりと大きい。この国の価値観では、とうてい美人とは程遠いはず。しかし、その異国情緒に満ちた美しさは、確実にプティの心を捕らえた。
「……何か、あった、ですか?」
あまりにも凝視していたのだろうか。乙女が、戸惑ったかのようにおずおずと話しかけてきた。
「いいえ、違うのです。あなたが素敵なので、見惚れていました」
「みと…れ……?」
まだこの国の言葉に不自由なのだろう。乙女は小首をかしげた。そのしぐさもまた、プティには好もしいものだった。ふと気になり、プティは乙女に問いかけた。
「あなたは、ここにお住まいなのですか?」
乙女は首を横に振った。
「わたし、ここ、住まない。でも、ここ、見つけて好きになった、です」
なるほど。プティ同様、どこか別のところに居宅を構えていて、何かの折にここを見つけて、人知れず寛ぎのひとときを過ごしていたのか。
「ここ、素敵ですね。わたくしも好きになりましたわ」
乙女が同意を得たと言わんばかりに首を上下させた。
「静かで、きれい。ここ、好きです。それに…」
「それに?」
「素敵な女の人、会えた。うれしい、です。優しい、きれい。とても、うれしい」
乙女はそう言って、プティを見つめた。
ああ、この乙女は私と同じだ。
プティは直感で分かった。どういう事情なのかは分からないが、この乙女はどこかで深い孤独を抱えているに違いない。
「あなたは、一人ぼっちなの?」
「いいえ……! でも、一人、かも、しれない」
乙女はしばし黙りこくり、そして無言のまま涙をこぼした。何も言わず、ただはらはらと涙を流すうら若き乙女。プティは思わず、彼女を抱き締めた。その身体からは焚きしめた香だろうか、えもいわれぬ良い香りがした。
「泣かないで、異国のお方。わたくしも、一人ぼっちなのです」
思わず涙が出てきた。貰い泣きだろうか。いや違う。彼女と自分に、相通じる何かがある。そのことがプティの心を揺らした。
彼女も自分も、衣食住に困ることなく豊かに暮らせる身分ではあろう。乙女のなりを見れば、喰うに困る身分ではないのは明らかだ。しかし、心を通わせる相手もいない日々は、どんなに贅沢三昧だとしても砂を噛むように味気ない。ただ、わびしく虚しいだけだ。
「あ、あなたも、ひとり…?」
「ええ、そうなの」
「………」
乙女はそっと、プティを抱き締め返した。
「あ、あの…、わたし、夜はときどき、ここ、来ます。だから、あなたも、ここ、来て、ほしい」
「……いいの?」
乙女は黙って頷いた。そして、プティの目を見つめ、頭を下げた。
「一つだけ、お願い、あります。ここ、秘密。誰にも、言う、だめ」
その気持ちは分かる。常に周りに人がいて、一挙一動が見られる立場の今はなおさらだ。
「もちろんよ。では、わたくしもお願いです」
「なに、ですか…」
プティはゆっくりと抱擁を解き、乙女の目を見つめ返した。
「わたくしは、あなたのお名前を聞きません。だから、あなたも、わたくしの名前を聞かないでほしいのです」
「名前、ない…?」
「そう、名前、ない」
言葉も不自由な異国人なら、プティの身分や素性も分からない可能性がある。むしろ、今の彼女にはその方がありがたい。
「名前も、秘密。ここのお庭も、秘密」
「秘密……」
「わたくしたちだけの、他の人は知らない、お約束ですわ」
「わたしたち、だけ……」
と、さっきまで遊んでいた子猿がいきなり二人の間に割って入ってきた。
「きゃっ……」
「あらごめんなさい、子猿ちゃん。あなたも、わたくしたちの秘密の仲間よ」
「お前、誰にも、言わない、ね」
二人と一匹は、こうして夜の庭園で密約を結んだのであった。
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