妃の素養

 いつもは朗らかなディアがいつになく緊張しているのが分かる。プティと彼女の目の前には、礼儀作法の講師・ヴェラット王室女官長がいるからだ。ディアとは対照的に痩せぎすで、白髪をきっちり結い上げ、笑顔を見せることもない。地味な濃紺の衣をまとい、謹厳実直を絵に描いたような老婦人だ。

 「プティ・ダリ・クァール殿、日ごろの精進しかと見届けました。日々お励みのご様子、誠にご立派であらしゃいます」

 この婦人が褒めるとは珍しい。いつもは「違います」としか言わず、プティの一挙手一投足に至るまで厳しく指導していたのが噓のようだ。

 「ありがとう存じます」

 「本日は特別授業です。ディア女官長補佐、そなたも同席いたせ」

 「……心得ました」

 いつもは茶を入れるなどと言ってその場から逃げているディアも、命じられては断れない。おとなしく二人の脇に控えた。

 「……既にお聞き及びとのことですが、ヒタム王太子殿下のお心についてでございます」

 顔色一つ変えず、ヴェラットは話し始めた。

 「恐れながら申し上げますと、このお話は宮中では公然の秘密。ゆえに、まだプティ・ダリ・クァール殿のお耳には入れたくはなかったのです。なれど、殿下が直々に仰せになったとあっては、やむを得ますまい」

 「……」

 「しかしながら、このディアから聞いた話によりますと、プティ・ダリ・クァール殿は殿下の仰せにも動じることなく、淡々と受け止めあそばしたとのこと。誠にご立派であらしゃいます」

 そう言いながら、ディアをじろりとねめつけた。

 「未来の妃殿下に比べ、ディア、そなたは何と見苦しいことであったか。いやしくもお付きの者が感情をあらわにして泣くなど、女官にあらざる振る舞いぞ」

 先日の出来事をちくりと叱るヴェラットに、ディアは縮こまるしかなかった。

 「そもそも王が側室を持つのは当たり前のこと。お世継ぎのためにはそれも至極当然。かようなことでうろたえ、悩むようでは王太子殿下の許嫁失格であらしゃいます。その点、プティ・ダリ・クァール殿のお振る舞い。大変お見事に存じます」

 にこりともせず、賞賛の言葉を述べるヴェラット。一応褒められてはいるのだろうが、プティとしては何とも不思議な気持ちだ。

 ヴェラットはさらに続ける。

 「今上陛下にあられましては、ご正室であらしゃる妃殿下のみではありまするが、実はこれは稀なことであらしゃいます。両陛下は実に仲睦まじくあらしゃいまして、皇后陛下は王太子殿下を筆頭に五人のお子さまをお産みあそばしました。ゆえに側室を持つ必要がなかったまでのこと。しかし陛下のお父上様、つまり先の国王陛下にあらせられましては、側室が数人あらしゃいました」

 淡々と話していたヴェラットが、そこで一旦言葉を止め、プティを見やった。

 「さて、プティ・ダリ・クァール殿。ここで質問いたしましょう。そもそも、妃殿下たる者の一番大事な務めは何でしょう?」

 「……お世継ぎを設けることでしょうか」

 「よろしい、その通りであらしゃいます」

 にこりともせず、女官長はうなずいた。

 「礼儀作法も教養も、そしてしかるべき出自であることも確かに大事ではござりまする。しかしながら、それほどの素養をお持ちでも、お世継ぎをなせぬ場合もござりましょう。ゆえに側室が必要なのでござりまする」

 ヴェラットはプティの前にずいと進み出た。顔を近づけ、プティの顔をじっと見つめる。険しい表情がふっとやわらぎ、初めて笑みを見せた。

 「聞けば、王太子殿下はプティ・ダリ・クァール殿の受け答えをお気に召されたとか。よいことではございませぬか。あの忌々しい寵姫とは違い、だれもが認めるお立場であらしゃいます。何も恐れることはありますまい。殿下もまだお若い。のぼせ上ってあらしゃいますが、いずれはお目を覚まされることでしょう。若い殿方にはよくあることでござりまする。そのときこそ、プティ・ダリ・クァール殿がなすべき務めをなせばよいのですから」

 「心得ました」

 「側室にお子が生まれたとて、それはそれで如何ようにでもなることであらしゃいます。あまりお気になされますよう、わたくしからはそう申し上げまする」

 にいっと笑ったヴェラットのそれは、プティには何か禍々しさを感じさせた。

 「さて、本日はこれにておしまいです。明日は謁見の作法のおさらいをいたしましょう。では、ごきげんよう」


 「……ヴェラット王室女官長は、実は王家に連なる血筋のお方でございます」

 昼下がりのお茶の時間に、ディアはそう教えてくれた。

 「国王陛下のお父上でいらっしゃった、前国王のダガット二世陛下と側室の間にお生まれになり、厳密には国王陛下の異母姉でございます。しかしながら、側室が低い身分ゆえ王室には入れられず、幼いころに臣下の家に養女として迎えられたとか……」

 「ご結婚は?」

 ディアは首を横に振った。

 「ご本人様がお望みにならなかったようでして……詳しくは存じませぬが、いくつかあったご縁談をすべて断り、王宮に女官としてお仕えするようになられたとお聞きしております」

 側室とその子女に対する話の際に見せたあの笑みは、ヴェラットの心の断片だったのだろうか。プティは温くなった茶を喉奥に流し込んだ。

 

 

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