詩の心

 お妃教育の中身は広範囲にわたる。宮中祭祀や礼儀作法はもちろん、国の歴史や政治情勢など王太子妃にふさわしい教養も欠かせない。プティには各分野の講師が日替わりで付けられ、日々学び続けていた。だが、今の彼女には却って好都合だ。勉強さえしていれば、嫌なことなど忘れられるのだから。

 あの日。王宮でそっけない態度を隠しもしなかった王太子。そして、ほどなく告げられた冷酷な真実。

 しかし、プティの心は意外にも冷静ではあった。しょせん自分は野心溢れる父親の手駒にしか過ぎない。それがおのが身のさだめだ。はなから期待などしてはいない。諦観にも似た思いは、だからこそプティを支えてくれる。

 支えはもう一つあった。それが詩作である。歌や楽器、詩作などの素養は、高貴な女性ならではのたしなみだ。実家で親しんでいた詩作が、思わぬところで功を奏した。

 「……ふむ、さすがでござりまするな。かねてよりお噂には聞いておりましたが」

 講師は名だたる宮廷詩人・ダラット卿。長きにわたり詩作の世界に身を置き、庶民の俗謡から古典、古き時代の抒情詩など、ありとあらゆる詩歌に通じている。彼自身もまた詩人として名高い人物である。しかし、華やかな宮中に身を置きながら、当の本人は意外なほどに質素ななりだ。つるんと禿げ上がった頭と灰白色の粗末な衣をまとった姿は、僧侶と言っても通用するだろう。その彼が、プティが花について詠んだ詩を褒め、おのれの禿げ上がった頭を何度も叩きながら感嘆の声を漏らす。

 「実はプティ殿の詩作の師匠殿は、わしの教え子でしてな。言うなればプティ殿は、わしの孫弟子なのでございますよ」

 「まぁ、さようでございますか」

 「世の中は広いようで狭いものでございますな。そして王太子妃になられるお方に、かような講義の機を授かるとは……。この老いぼれも最後のご奉公ができるとは、長生きはするものでございますのう」

 「わたくしの方こそ、偉大なる宮廷詩人・ダラット卿より直々にご指導を賜り光栄でございます。もっともっと、素敵な詩を詠めるよう精進いたしますわ」

 「いいや、プティ・ダリ・クァール殿、それは違いますぞ」

 ダラット卿が首を横に振る。

 「『素敵な詩』など不要です。確かに詩作というものは技巧も教養も大事です。しかし、一番大事なのは、詠む人の心にございます。技巧に走り、心にもないことをつらつらと綴る詩の、何と空虚で醜いことか。わしも、かつては美辞麗句を並べ立てた、上っ面ばかりの詩を何度も詠ってしまいました。時を遡れるなら、燃やしたくなるようなものばかりでござります」

 「……そんな」

 珠玉の詩をいくつも成し遂げた宮廷詩人の言葉とは思えぬ。

 「かと言って、心を丸出しにしたかのような詩が良いとも言えませぬ。それは海で獲れた生の魚を焼きもせずに、そのまま食えと供するようなもの。だからこそ技巧が必要になるのです」

 「技巧だけでもだめ、心だけでもだめ……」

 「さよう。そこが詩作の素晴らしいところであり、難しいところなのです」

 私の心とは何だろう。ふとプティは思う。王家に嫁ぐことへの喜びもなければ、許嫁である王太子の手酷い対応への怒りもない。今の自分は、ただ淡々と日々の務めをこなすだけ。 そんな自分自身の心とは、どのようなものなのだろうか。

 「わたくしの心を詠むとは…」

 「なぁに、さほど難しいことではござらぬ」

 卿はからからと笑った。

 「例えばですな…そう、こういうものでも良いのです」

 すうっと息を吸った卿は大声を張り上げた。

 「こん畜生! 気に入らねぇ~~~~っ!」

 プティはもちろん、傍で控えていた下女も腰を抜かした。おそらく退屈さに居眠りしていたであろう下女に至っては、座っていた椅子から転げ落ちる始末である。

 「……とまぁ、日々暮らしていれば腹の立つこともおありでございましょう。そういう鬱憤を晴らすのにも、詩作はもってこいなのでございますよ」

 いたずら小僧のような、茶目っ気たっぷりの顔で卿は笑った。

 「……びっくりいたしましたわ、いきなりの大声で」

 「ほっほっほ、ちと悪ふざけが過ぎましたかのう」

 つられて笑い声が出てしまった。

 「プティ殿はまだまだお若い。この先、嬉しいことも、楽しいことも多々ございまする。そして、時には悲しいこと、悔しいこと、腹の立つことなども。それら全てが、詩作の糧になりうるのです」

 「悲しいこと、悔しいこと、腹の立つこと……」

 卿はどこまでご存じなのだろう。許嫁である王太子には他に愛する女性がいて、自分はお飾り。彼の愛など期待できない今の自分。

 しかしながら、今のプティはそれを悲しいとも、悔しいとも思っていない。そんな乾いた心を持つ自分が、この先ダラット卿が言うような詩を詠めるのだろうか。

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