告白

 プティは案内されるまま、離れを見て回ることにした。どの部屋もきれいに整えられ、若い娘が落ち着いて暮らせるように配慮が行き届いている。中でもプティが気に入ったのは、寝室だった。大きな裏庭に面しており、南国の寝苦しい夜を快適に過ごせるよう、開放的な造りになっている。庭に面して広い窓と開口部が設けられ、気が向けば庭に出てくつろぐこともできそうだ。

 実家では飽くことなく裏庭を眺め、ひと時を過ごし、時折訪れる鳥や小動物を愛でたものだ。ここでもそんな可愛い客が来てくれるだろうか。

 部屋には先ほどの下女たちが運び込んだらしい調度品が整っている。どれもこれも新品で、手の込んだ高価そうなものだ。おそらく両親が手を尽くして用意してくれたのだろう。そしてそれは決してプティのためだけではない。王族やその周囲の人々に、クァール一族の財力を見せつけようとしていることくらい、プティにも分かる。


 新たな住まいを一通り眺め、茶菓を喫しながら一休みしていると、雨季特有の雨が降り始めた。もう、夕暮れが近いのだろう。

 「まぁ、よう降ること」

 「なに、雨季ももうすぐ終わりますわ。それが証拠に、ほら、雨足も控えめで……」

 「これが終われば乾季になりますわね……」

 プティがそんな女官たちの会話を聞くともなしに聞いていたときだった。急に男の声が聞こえ、それに交じって女官たちの困惑気味な声がする。

 「何事でしょう? プティ様、ちょっと見て参ります」

 ディアが立ち上がった。ここは男子禁制の後宮でないにせよ、王太子の許嫁が住む場所であり、気安く男たちが立ち寄れる場所ではない。入って来て許されるのは、それなりの者だけだ。まさか…とプティが思ったのは、心のどこかに期待があったのかもしれない。

 出て行ったディアは、ほどなく来客を連れて戻ってきた。その場にいた全員が、膝をついて礼をする。来客は、そのまさかのヒタム王太子だった。雨に当たったのだろう、髪も体も濡れている。しかも供はなく、たった一人でやって来たらしい。困惑気味のディアの表情から、先触れもなしの急な訪問だったことが伺えた。

 「恐れながら申し上げます。殿下、これはいかなる了見でございますか? 許嫁とはいえ、かようなお振る舞いは……!」

 王太子とはいえ、あまりにも非常識な来訪にディアが苦言を呈したが、ヒタムは意に介さない。

 「すぐに帰る、無礼は許せ。許嫁殿に伝えておきたいことがあってな。先ほどは言えなかったゆえ、今のうちに伝えておく。人払いをしろ」

 「な、なりませぬ! 婚儀もしておらぬのに二人きりになど……」

 「ではそなたもそこにおれ。三人ならよいであろう」

 「……かしこまりました」

 有無を言わせぬ物言いに、ディアも承諾せざるを得ない。三人だけにしてもらい、他の女官たちは全て追い払った。


 「プティ・ダリ・クァール、そなたの王太子妃の地位は約束する。婚約は破棄せぬ」

 どっかと床に胡座をかき、出された飲み物にも手を付けず、ヒタムは切り出した。

 「……はい」

 「だが、それ以上は求めるな」

 ――ああ、やはりそういうことか。プティの脳裏に、実母の儚げな面影がよぎる。

 「……心得ました」

 「ほう、話が早いな。意味を理解しているのか?」

 「お、王太子殿下……何をおっしゃって……」

 ディアの声を、ヒタムが容赦なく制した。

 「そなた、誰に許しを得て口をはさむ」

 「……!」

 さすがの女官長補佐も口をつぐみ、その場に平伏した。

 「どうだ、プティ・ダリ・クァールよ。嫌なら帰っても構わぬぞ」

 鼻先で笑いながら、ヒタムはそう言った。

 「……いえ、戻りませぬ」

 「ふむ、そうか。そなたの姉君たちには話を持ち掛けただけで断られたのだがな」

 合点がいった。そうでなければ姉たちを差し置いて自分にお鉢が回ってくるわけがない。バパットは愛娘たちにそんな悲しい思いをさせたくはないだろうし、かといって王家とつながる好機を逃したくもない。それで庶子である自分が都合の良い手駒としてよこされたというわけだ。

 「私には気に入っている娘がいてな。あいにく氏素性すら分からぬような身分ゆえ、側室に据えてやるつもりだ。まぁ、そなたよりは劣る地位だ、それでよかろう」

 完全に「お飾り」の妃。それでも良いかと彼は問うている。しかし、どうかと問われても、ここにいること以外の選択肢はないのだ。それはヒタムも重々承知のはずだ。

 「……殿下、正直にお話しくださり、ありがとう存じます。殿下のお気持ち、しかと心得ました」

 平伏して礼を述べるプティを、ヒタムは少々不思議そうに、しかし面白そうに見つめた。

 「いやいや、泣くかと思ったがな……。気に入ったぞ、思っていたより骨がある奴だ。まぁよい、気が向けば相手をしてやってもよかろう。では、せいぜい妃教育に励むがよい」

 言いたいことを言い終えると、ヒタムはさっさと立ち去って行った。

 「プティ様……」

 おずおずとディアが声をかけてきた。なんともきまり悪そうで、悪戯がばれた子どものような表情をしている。プティは、あれほど皆が親切で優しかった真の理由を悟った。

 「ディア様は……いえ、皆様はご存知でいらしたのですね?」

 何も知らずに嫁がされることになった、哀れな娘だと思われていたのだろう。

 「申し訳ございません……!」

 ディアは平伏して詫びを述べ、やがてしくしくと泣き出した。しまいには年下のプティが、母親ほどの年かさの彼女を慰める羽目になってしまった。この人は悪くない。むしろ、つらい現実をどうやって自分に知らせるべきなのか悩み、逡巡していたのだろう。もっとも、当の王太子が初日から彼女たちの心遣いをぶち壊してしまったのだが。

 「嘘をつかれるよりずっとましですわ。率直にお告げになられたのは、殿下なりのご誠意でしょう」

 王太子である息子に嫁を娶らせたい国王夫妻、王家とつながりを持ちたい実家の父親、嫁を娶り体面を保ちつつ愛人を手元に置きたい王太子、皆が納得のいく婚儀だ。プティはまさに「望まれて嫁に行く」のだ。


彼女の意思などお構いなしに。

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