義母の言葉
雨季と乾季が交互に訪れる熱帯の国・ワルナ。大小七つの島があり、その中で一番大きい島が王都・クルシ=ワルナだ。クルシ=ワルナは残り六つの島を従えており、二番目に大きい島・ブンガ=ワルナを治めている豪族が、クァール一族。プティはその豪族の長である、バパット・クァールの娘の一人だ。
そして父親が決めてきた嫁ぎ先は、まさに玉の輿。国王・チョクラット三世の息子、つまり次期国王だ。 娘が王族に嫁ぎ、跡継ぎを産めば言うことはない。未来の王の祖父として、外戚として地位も権威も格段に上がる。クルシ=ワルナを囲むように散らばる六つの島にはそれぞれ統治者がいるが、みな時の治世者に娘を嫁がせたがっている。
バパットは見事、当たりくじを引いたのだ。
父親たちはそのままプティの部屋に居座り、上機嫌で酒を飲み始めた。お付きの女たちは急な客の来訪に大わらわだ。主人たちに酌をしたり、酒肴を運んだりと忙しい。
プティは男たちをぼんやりと見ていた。普段この部屋にはまず訪れたことのない男たちが、こんなにもにぎやかに盛り上がっている。その中心にいるのが、自分の父親というのも、なんだか実感が湧かないのだ。
「どうした、プティよ。めでたい話だというのにそのようにぼうっとして。あまりの知らせに呆けたか?」
「いえ……。ただ、父上様と顔を会わせるのも、久しぶりなものでして」
「おお、そうだったか」
「はい、ましてやこのように言葉を交わすこともないままに、永らく過ごして参りましたのに……」
「おおそうか。そなた、この父に久しく会えぬと、いじけておったか! 何とも愛い奴よ」
バパットが豪快に笑った。
「長らく会えぬとて、父はそなたのことを嫌ってなどおらぬよ。だからこそ、そなたのために王太子様との縁談を決めてきたのだぞ。安心せい。そなたの花嫁衣装も嫁入り道具も、飛び切り上等なものを誂えよう。この父からの贈り物じゃ」
「……ありがとう存じます、父上様」
プティは静かに頭を下げた。
自分がいずれはどこかに嫁ぐだろうことは分かっていた。しかし、こんなに急に来るとは。それも、よりによって王族に嫁ぐことになるとは。 確かにプティの家は、この国でも有数の豪族だ。肥沃な地からの収穫と、豊かな海からの恵みで富み栄えたクァール一族なら、やんごとなき方へ嫁ぐ女性がいてもおかしくはない。
だが、なぜそれが自分だったのかと不思議に思う。
「父上様、聞いてもよろしいでしょうか」
「うむ? どうした」
「王太子様は、なぜわたくしを娶ろうとお考えなのでしょうか。その、お会いすらしたことのない、このわたくしを……。それに…」
その先を言おうとしたプティだったが、あえて口をつぐんだ。
――なぜ妾腹のわたくしが、お姉様たちを差し置いて嫁ぐこととなったのですか?
せっかく上機嫌なのだ。ここで父の不興を買うことは言わない方がいい。
「プティ、女は望まれて嫁に行くのが幸せなのですよ」
柔らかい声がして、プティは振り返った。声の主は継母のイブニャだ。酒器を手にほほ笑みながら、しずしずと入ってきた。
「旦那様、そろそろお酒が足りなくなってきたのでは?」
「おお、女房殿! これはこれはありがたや」
おどけたように手を合わせて妻を拝むバパットに、イブニャは苦笑しながら酌をする。
プティの実母は、もとはこの家の小間使いだったらしい。その女をバパットがお手付きにして、プティが生まれたという。だがプティが七つのときに病で世を去ってしまった。そんな彼女を、イブニャは実子と分け隔てなく育ててくれた。
「よい縁談ではないですか、プティ。何をためらうことがありましょう」
この母は常に穏やかで、声を荒げるところなど見たことがない。いつもバパットに従い、仕える、良き妻、良き母だ。
「そなたはいつも物静かで、不平不満を口にすることもない。それは女の美徳です。王太子様の伴侶としてふさわしいではありませぬか」
違う。
物静かなのも、不平不満を口にしないのも、保身のためだ。イブニャは継子いじめなどしない優しい人だが、だからと言って周囲もそうとは限らない。この家に使える使用人たちの中には、プティと実母を「妾と妾腹の子」と蔑み、陰口をたたき、あからさまに嫌がらせを仕掛ける者たちもいたのだ。
――がまんしましょう、プティ。おとなしくしていれば、目立たなくしていればいいの。
目に涙を溜めながらそう言っていたのは亡き実母だった。美しかった母は、その美貌ゆえに父に目を付けられたのだろう。目立たないよう、静かに暮らす。下手なことを口走らぬよう、人前で喋らぬ。それが、実母から教わった唯一のことだ。
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