婚約
先ほどまで明るかった空が急に曇り、滝のような雨が降り出した。雨季はいつもこうだ。
「ああ、夕立が来ましたね」
「これが済めば、少しは涼しくなりましょう」
南国特有の、雨季ならではの激しい雨。だが雨が去ると涼し気な空気を呼ぶ。それを知っている女たちは、屋内から外の様子を伺う。
「プティお嬢様、そちらはお体が濡れます。ささ、こちらへ」
女たちは、窓際に座ったままの娘に声をかける。だが、彼女はその声も聞こえぬかのように、降り注ぐ雨を眺めていた。
年のころは十七、八か。色白の肌に、切れ長の黒い瞳、長く伸ばした漆黒の髪。ほっそりとした身に着けているのは濃い藍色の上衣と、同じ色の腰布。若い娘が着るにはやや地味だが、それが却って彼女の美しさを目立たせている。
娘は、雨に煙る中庭の様子を静かに眺めている。
「プティ様、夕立で詩を詠みますか?」
黙りこくっている娘に声をかけたのは、三十がらみの上品な女性。豊かな黒髪をゆるく編み、薄茶色のゆったりとした衣に身を包んでいる。プティと呼ばれた娘が無言でうなずくと、女性は娘の隣に腰を下ろした。娘はしばし口の中で何かをつぶやいていたが、やがて居ずまいを正すと、詩を詠み始めた。
夕立よ
天の神の慈悲よ
地に生ける者に施し与え
草木も花実も潤して
我が身の渇きも癒やされる
夕立よ
空の神の慈悲よ
去りしその後に残るのは
潤い満ちた田畑に
いと涼し気な夜風なり
「……お師匠様、いかがでしょうか?」
詩を詠み終えた娘の問いに、女性はやさしく微笑む。
「韻の踏み方、描写、言葉の選び方、どれをとっても大変よろしゅうございます。強いて申し上げますなら、最後の『いと涼し気な』。こちらですと主観が強く、少々ありきたりですので……そうですね、例えば『この地を冷ます』のように、第三者的な表現にすると最後が引き締まるかと存じます」
娘は目を丸くし、何度も同じ個所を繰り返した。
「いと涼し気な夜風なり……、この地を冷ます夜風なり……。そうですね、お師匠様のおっしゃる通りですわ。わたくし、まだまだですわね」
「いえいえ、これだけの即興詩を詠めるお方でいらっしゃいます。今申し上げたものとて、
師匠に褒められ、娘の顔に少しばかり照れくさそうな笑みが浮かぶ。
その時だった。どかどかと勢い良い足音と共に、恰幅の良い中年男を筆頭に数人が部屋に入ってきた。その場にいた女たちは、みなそろって平伏する。中年男は上機嫌で娘に呼び掛けた。
「おお、わが娘プティよ! 喜べ、そなたの輿入れが決まったぞ! そなたの許嫁は王太子様だ。そなたは未来の王妃になるのだぞ!」
「――まぁ、何と! おめでとうございます、お嬢様」
クァール一族の娘、プティ・ダリ・クァール。まもなく十九歳を迎える彼女が、まだ顔すら見たことのない王太子・ヒタムに嫁ぐこととなった瞬間であった。
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