Ep.6 彼《ルディオ》のアイデンティティ ③

イドラゲアは一瞬のうちに左手から伸ばした剣で、ルディオに斬りかかる。

その動作は、先程までのゆっくりした動きからは考えられないほど機敏であった。


「くっ……」


ルディオはサムライ・ソードでその斬撃を受け止める。

左手から伸びる剣は暗器かと一瞬思ったが、それはよく見ればイドラゲアの血液で形成されていた。


「罪悪感はないのか!! さっきの人だってドラッグのせいで死んだんだぞ!!」

「ありませんよぉ。悪いのはドラッグに手を出すような意志の弱さなんですからぁ。そんな弱い人間は死んで当然なんですぅ」


ルディオとイドラゲアは、剣戟を繰り広げながらも言葉をぶつけ合う。


「それが神に仕える人間の言葉かッ!!」

「神様が愛するのは、どんな人間か知っていますかぁ? それはぁ、神様を信じる人間でもぉ、隣人を愛する人間でもないんですぅ。神様が愛するのはぁ、強い人間だけなんですぅ。腕力とかぁ、権力とかぁ、意志とかぁ、運とかぁ、そういう強さを持った人間だけなんですぅ」

「ふざけるなぁッ!! そんな教義聞いたことがないぞ!!」

「言ったら信者の皆さんがいなくなっちゃうじゃないですかぁ。そもそもぉ」


イドラゲアは冷たい瞳でルディオを睨みつけながら言う。


「貴方にそんな批判をする資格があるんですかぁ? 雲水さぁん」

「なっ……!!」


雲水、それは記憶を失う前のルディオの名前だ。


「本当に忘れてるんですねぇ。自分を善人だと誤解してるんですねぇ。雲水さんだってぇ、ネクタルの販路を広げるために他の組のシマを潰したじゃないですかぁ。いーっぱいお金を稼いだじゃないですかぁ」

「俺が、そんなことを……!?」

「……だったらこれは覚えてますかぁ? トリアンフィさんが売春婦に身を落とした理由ですぅ」

「え……?」


トリアンフィは、女衒として色町を管理していた。

そして、雲水教化の婚約者だった──かもしれない──女性だ。

しかし、彼女が売春婦をやっていたというのは──想像のつくこととはいえ──初耳だった。


「トリアンフィさんはぁ、本名はエウリュディケ・ディ・ニンフィオっていうんですけどぉ、ニンフィオ家っていう旧貴族のお嬢様だったんですよぉ」

「あの人が……」

「おうちが没落してぇ、両親が自殺してぇ、路頭に迷ってたところを拾ったのが雲水さんなんですぅ」


ルディオの鼓動が速くなる。

自分の罪と向き合う恐怖で、加速する。


「あの人がぁ、売春なんて穢らわしい仕事を好き好んでやる人に見えましたかぁ?」

「それは……」


ルディオの目に映ったトリアンフィは、とても純情な人だった。

金を稼ぐために体を売るような人には、とても思えなかった。


「貴方がやらせたんですよぉ。トリアンフィさんは頭が弱いからぁ、貴方に愛されたくて言いなりになったんですぅ」

「なっ……」


動揺のあまり、サムライ・ソードを構える腕から力が抜けていく。

イドラゲアは右腕の手袋も脱ぎ捨て、両手首から血液の剣を伸ばしてルディオに斬りかかる。


「隙だらけですよぉ」


イドラゲアの両手の剣は、ルディオを袈裟斬りにして交差する二つの傷をつけた。


「がぁぁっ!!」


傷口から血を流し、ふらふらとよろめくルディオを見下しながらイドラゲアは話す。


「雲水さぁん、貴方は誰よりも強いからぁ、何もかも許されてたんですよぉ。だけどぉ、今の弱い貴方はどうしようもない罪人なんですぅ」


イドラゲアは左手の切っ先をルディオに向ける。


「私が強くなったら殺そうと思ってたんですけどぉ、貴方から弱くなってくれて助かりましたぁ」

「……それは、トリアンフィさんのための、復讐なのか?」


そうだとしたら、自分にこの攻撃を避ける権利はあるのだろうか。


「……あんな頭の弱い人ぉ、どうでもいいですよぉ」


イドラゲアは左手の剣を振り上げる。


「私はぁ、貴方のことが大嫌いなんですぅ」


イドラゲアがルディオに斬りかかろうとした、その瞬間、


「ルディオさん!!」


地下室の畑に、その呼び声が響きわたった。


「……ジーナ!! どうしてここに!!?」


ルディオの視線の先には、扉を開いて現れたジーナがいた。

イドラゲアがゆっくりと、ジーナの方を振り向く。


「……ああ、貴女が──」


イドラゲアが言い終わるのを待たずに、ジーナはダッシュで向かってくる。


「うぉーっ!! ルディオさん!!」


そしてジーナは粒子化してイドラゲアをすり抜け、ルディオに飛びつくように憑依する。


「おいっ!! 離れろ!!」

「劣勢の人が言う言葉じゃないですよ!! ほら、回復しますよ!!」


イドラゲアは呆れ気味に呟く。


「……はぁ、あの人から聞いていた通りの方みたいですねぇ」

「……えっと、貴女は?」


ジーナの疑問に答えるべく、イドラゲアは改めて左手の甲──そこに描かれた《黒いバジリスク》のタトゥ──ーを見せる。


「《肆卍奇士》、《薬卍》のイドラゲアですぅ。ジーナさん、貴女は見逃しますけどぉ、雲水さんには死んでもらいますよぉ」

「えぇっ!!? だ、だめですよ!! っていうか、生け捕りが目的だったんじゃ!!?」

「戒長さんにはぁ、失敗してごめんなさいって謝りますぅ」


ルディオは改めてサムライ・ソードを構えながら、ジーナに語りかける。


「ジーナ、助けてくれたのは感謝する。でも、俺からは離れてくれ」

「そういうところですよ!! 今からお説教するので聞いてください!!」

「お説教って何を……」


言い争うルディオの両脚に、何者かがしがみつく。


「なっ!!?」


それは、この畑で作業していた村人のうちの二人だった。

ルディオがこの部屋に入ってきたとき、五人の村人は怯えて部屋の隅まで走って逃げたはずだ。

それがどうして突然立ち向かってきたのか、ルディオには全くわからなかった。

ルディオが両脚をふりほどけないまま、イドラゲアが左腕の剣で斬りかかってくる。


「クソっ!!」


ルディオはサムライ・ソードで受け止めるが、両脚にしがみつかれているせいで上手く踏ん張ることができない。


「離れろぉ!!」


ルディオは両脚にしがみついた村人を、蹴り飛ばすようにふりほどく。

ふりほどくついでに牽制できれば、と考えて村人をイドラゲアに向けて飛ばすと、彼女は避けるためにルディオから距離をとる。


「ちゃんと役に立ってくださいよぉ」


イドラゲアの声に呼応するように、他三人の村人がルディオに迫ってくる。


「なんなんだ!!」


ルディオは迫り来る村人たちを殴り、蹴り、引き離すが、村人たちはダメージを受けても全くお構いなしに何度も立ち上がりルディオに襲いかかる。

そして、その隙をついてイドラゲアが斬りかかるのを、ルディオは必死でいなしていく。


「この人達……イドラゲアさんに操られています!!」

「だろうな!!」

「ルディオさん、水を使ってください!!」


ネクタルはいわゆる水耕栽培により育てられていた。使う水には困らないだろう。

しかし、ルディオには一つ懸念があった。


「イドラゲアも水属性を使ってるだろう!!? 下手に水を使ったら逆に利用されるんじゃないか!!」


血液を操るのは水属性の高等魔法、と説明したのはジーナである。


「多分大丈夫です!! 50%の確率で!!」

「100%じゃないのか!! クソッ!! 信じるぞ!!」

「はい!! 一旦逃げましょう!!」


ルディオが近くに伸びていた水道管を斬り捨てると、大量の水が噴き出してくる。

その水を右手に集めて、ルディオは部屋の出入り口まで走っていく。


「斬雨(きりさめ)!!」


ルディオの集めた大量の水が、水蒸気となって部屋に広がっていく。


「……!! 守ってくださぁい」


イドラゲアがそう言いながらしゃがむと、五人の村人は次々と彼女に覆い被さっていく。

イドラゲアに覆い被さった村人たちの皮膚は、霧に触れると削り取られるようにじわじわと出血していく。

白い霧で何も見えなくなった部屋を、ルディオとジーナは出て行く。

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