Ep.5 女衒の薬指 ④(終)

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ルディオはジーナに言った通り、トリアンフィを救護するために人を呼んだ。

しかし、ホテルに帰ることはなかった。

目的地も定めず、ひたすらに走った。

少しでもトリアンフィから、ジーナから離れるためだ。

ルディオは自分を、正しい側にいる人間だと信じたかった。

どれだけ暴力的でも、弱い善人を守り、横暴な悪人を挫く存在だと。

それが自分のアイデンティティだと信じたかった。

しかし、記憶にないだけで……自分ほど弱い善人を傷つけた者はそういないだろう。

自分がどれだけの人間を直接的に、間接的に、殺してきたのか。

それを想像すると気が狂いそうになった。


それに、トリアンフィだ。

彼女は教化から求婚され、婚約指輪を渡されていた。

だが、ルディオは……自分がつけるための指輪など、見たこともなかった。

ルディオは記憶を失う前の、教化として生きていた頃の服も、武器もずっと身に付けている。

それなのに、どうして婚約指輪はつけていないのか。

教化がトリアンフィを愛していて、組織から足を洗って、結婚しようと本気で思っていたのなら、何故指輪をつけていないのか。

それは、教化が……トリアンフィのことを騙していたからではないのか。

結婚しようなどと甘い言葉で自分の思い通りに操って、役目を終えたら捨てるつもりだったからではないのか。

自分のことを本気で愛している人間の想いすら平気で利用して、踏みにじる……雲水教化とは、本当のルディオとはそんな人間ではないのか。


ルディオは危険な人間だから離れるべきだ、とジーナに訴えたクローネの言葉が脳内を巡る。

あれは全くの正論だった。

愛する家族が自分のような人間と関わるなど、受け入れられないのが当然だった。

今までルディオは、クローネを殺すのが自分の使命だと考えていた。

しかし……一番に殺すべきなのは、ルディオ自身だった。

そうだ、組織的犯罪で大勢の人間を苦しめて自殺に追いやった教化は、自殺するべきなのだ。


ただ、その前に果たすべき約束がルディオにはあった。

ジーナとの約束だ。

まず、残ったもう一人の《肆卍奇士》を倒す。

そして引きずり出した《具足戒》の戒長も倒す。

それで、ジーナに手を出さないことを誓わせるのだ。

組織の力を使って、クローネを捜索させるのだ。

その約束を果たすことが、三ヶ月と少しだけルディオとして生きた自分の、精一杯の誠実さだ。

どこまでも不誠実に生きた教化の代わりに、命を賭けて体現する誠実さだ。


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ジーナは、一晩中トリアンフィの寝顔をぼんやりと見つめていた。

あの後、ルディオの呼んだ色町の従業員に車を出してもらい、トリアンフィの事務所まで彼女を運んだ。

自殺未遂の女性は起きて帰ったあとだったらしく(ホテルに来る前に、トリアンフィが帰したのだろう)仮眠用のベッドは空いていたので、そこに寝かせた。

その後、トリアンフィをずっと見ていたのは、彼女のことが心配だったからだ。

自分は彼女と全く親しくない。

それどころか、彼女の愛するルディオ──というより、教化──と一緒にいた自分をよく思っているはずがない。

しかし、他の選択肢が思いつかなかったのだ。


彼女には、慕ってくれる人間が沢山いるようだ。

だが、そんな人達でも昨夜の出来事を、そのショックを共有できるとは限らない。

共有が一番確実にできるのは、ジーナなのだ。

そう思って何時間もベッドの近くに座り、トリアンフィを見つめ続けて、いつの間にか日も昇っていた。

そして、トリアンフィは静かに目を覚ます。


「……あれ、わたくしは」

「気がつきましたか? ここ、トリアさんの事務所のベッドですよ」

「……教化さんは?」

「……わかりません。ホテルに帰ってるといいんですけどね」

「……そうですの」


昨夜のことを思うと、トリアンフィなら「ならホテルに行ってみますわ!」と飛び起きてもおかしくはない。

そうしないのは……もうこの町にはいないと覚悟しているからだろう。

次は何を話せばいいやら……とジーナが考えあぐねていると、トリアンフィから口を開く。


「あの……ジーナさん。昨夜は本当に申し訳ありませんでした」

「……あ、攻撃してきたことですか?」

「それもですが……貴女への接し方について、ですわ」

「あー……」


昨夜、トリアンフィはルディオと二人きりになりたいが為に、ジーナをぞんざいに扱った。

しかし、そのことを謝られるとは全く思いもよらなかった。


「貴女もうちの子を救ってくれた大切な恩人だというのに、わたくしは……心から謝罪致しますわ」

「いえ、事情を知ったら、流石に仕方ないなって思いましたから……」


ジーナはちらっと後ろの方に……ドアの向こうの応接室に目をやる。

そして、努めて元気に言う。


「だったら、昨日食べそびれたガトーショコラ食べていいですか!!? まだテーブルに残ってますよね!! トリアさんを連れてきたときから、ずーっと気になってて……」

トリアンフィはふふっと微笑む。


「ええ、もちろんですわ。いただきましょう」


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応接室のテーブルには、ガトーショコラと紅茶が三セット置かれている。

トリアンフィとジーナと、教化のために用意されたものだ。

ジーナは席について、どこかに通話しているトリアンフィを待つ。


「……ええ、わかりましたわ。ご報告、感謝致しますわ」


そう言ってトリアンフィは通話を終えると、ジーナの正面に座る。


「それでは、いただきましょうか」

「はい!! いただきます!!」


ジーナはまず、冷め切った紅茶に口をつける。


「うん、美味しいです!! 冷めてるのにすごく良い香りです!! ……あれ? よく考えたら、トリアさんが通話してる間に私が新しいのを煎れてもよかったんじゃ……? すみません!! 今気がつきました!!」

「ふふっ。こちらこそ、全然気がつきませんでしたわ。ごめんなさい」


そして、ガトーショコラを口に運ぶ。


「うわぁ!! こっちのガトーショコラもすごく美味しいです!! こんな美味しいケーキが食べられるだなんて、やっぱり人助けはするもんですね!! 情けは人のためならずって感じです!! あとでルディオさんにも食べさせてあげましょう!!」


トリアンフィは悲しげな微笑みを浮かべて告げる。


「……教化さんなら、町から出て行ったそうですわ。今通話して、《具足戒》からの報告を受けましたの」

「……そうですか」


ジーナは残されたガトーショコラを指さして、


「なら、これは半分こしましょう!! 勝手に出て行くような人には食べさせてあげません!!」


と言ったので、トリアンフィはきょとんとする。


「ジーナさんは、悲しくありませんの?」

「悲しいというか、怒ってますよ!! 一緒に旅してるのに、一人で行っちゃうんですから!! 会ったらお説教です!!」


そう言って1/4ほど残っていたガトーショコラを頬張り、飲み込むと、ジーナはトリアンフィを見つめる。


「……トリアさんも、一緒に行きたかったりします?」


トリアンフィはジーナに目を合わさずに呟く。


「……怖いんですの。教化さんに会うのが」



紅茶に少しだけ口をつけて、二の句を継ぐ。


「ジーナさんは、怖くありませんの?」


ジーナは首を捻って考える。


「怖くない、わけではないですけど……多分、トリアさんに比べたら全然です。ルディオさんが私の恋人だったらもっと怖いのかもしれませんけど、片想いすらわかりませんから」

「……そうですの」


トリアンフィは微笑むと、教化のためのガトーショコラをジーナに差し出す。


「差し上げますわ」

「えっ、いいんですか!! やったぁ!!」


ジーナはガトーショコラに舌鼓を打ちながら、トリアンフィと談笑する。


「ところで、このガトーショコラはどのお店で買ったんですか!!?」

「お店というより、ホテルのレストランで出しているものですわ」

「あっ!! そのパターンは考えてませんでした!!」


そして二つ目のガトーショコラを完食すると、


「ごちそうさまでした!! 人生で一番美味しいガトーショコラでした!!」


と言って立ち上がる。


「それじゃあ……行きますね」


そう言ってドアに向かうジーナを、


「少し、待っていただけます?」


とトリアンフィが引き留める。

そして、ジーナにメイジの板チョコを渡す。


「これ、教化さんに渡していただきたいんですの」

「好物だったんですか?」

「えぇ……。教化さんがまだ子供で、貧しかった頃からずっと食べていたと、そう言ってましたわ。だから、これを食べると落ち着くと……よく召し上がってましたの」

「……せっかくですけど、受け取れません」

「え?」


ジーナはトリアンフィを真っ直ぐに見つめて言う。


「私が会いに行くのは、教化さんじゃなくてルディオさんですから」


そう聞いたトリアンフィは、悲しげに微笑みながら、


「……いってらっしゃいませ」


そう言って、ジーナを見送った。


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ジーナには、ルディオの行き先など検討もつかない。

だが、それでもルディオに辿り着く算段があった。

《具足戒》だ。

あの組織がルディオとジーナを狙って、その捕獲を《肆卍奇士》に任せている以上、どう進もうと残り一人の奇士に出会うよう誘導してくるはずだ。

今回、トリアンフィのいるエフェソスに誘導されたように。


それに、ルディオはジーナから逃げても、《具足戒》との戦いからは逃げないはずだ。

戦うと決めたら戦い抜く、そういう頑固な人間のはずだ。

だから今後は、何があってもジーナの傍にいることも頑固に決意してもらわねばならない。

そういう風に説得できる自信がジーナにはあった。

世の中には、いくら話しても聞いてくれない人間が大勢いるのだろう。

もしかしたら、雲水教化もそういうタイプだったかもしれない。

でも、ジーナが会いに行くのは教化ではなくルディオだ。

ルディオなら自分と向き合ってくれる、話し合える、分かりあえる。

ジーナはそう信じて、歩みを進めた。

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