Ep.5 女衒の薬指 ③

「……起きてます。どうぞ」

「……失礼致します」


トリアンフィはゆっくりとドアを開ける。

その手には、小さな袋を携えていた。

彼女はルディオの隣にいるジーナの姿を認識して、ハッとする。


「あ、あの、やはりお邪魔でしたか……」

「いえ! 話していただけなんで、どうぞ!」


ジーナが慌ててフォローすると、トリアンフィがおずおずと部屋に入ってくる。


「もしお腹が空いていたら……と思いまして、お夜食を持って参りましたわ」


その口振りからすると、小さな袋の中には食事が入っているのだろう。

ふと、ルディオとジーナは彼女の服装の変化に気がつく。

彼女は先程まで、黒いドレスに合わせて黒い手袋をしていた。

肘まで隠すような、長い手袋だ。

ドレスにマッチしていたので気にしていなかったが、外されて初めて二人はそれを意識した。

手袋を外した彼女は……左手の薬指に指輪をはめていた。

普通に考えれば、結婚指輪だろう。

彼女が既婚者だとすれば、今までの推測は一体なんだったのだろうか。


「よろしければ……きっとお口に合いますわ」


そう言って彼女が袋から取り出したのは、いわゆる板チョコであった。


「これは……メイジの板チョコですね」


ジーナが簡単に説明をする。


「メイジ?」


ルディオがジーナに尋ねる。


「有名なお菓子メーカーです。魔法使い(メイジ)みたいに美味しいお菓子を届けられる……っていうのが名前の由来らしいですが、私もよく食べてますよ」


つまりはどこの商店にでも売っている、子供のお小遣いでも買えるような駄菓子であった。

彼女の地位や推測される財力には全く似つかわしくない代物だ。


「ありがとうございます。いただきます」


そう言ってルディオは板チョコを受け取ると、テーブルの上に置いた。


「それと……相談がございますの」

「相談……? 一体どうしたんですか」

「ルディオさん、しばらくこの町に滞在する気はございませんの?」

「え……?」


思いもよらぬ話に、ルディオは困惑する。


「この町には色んな方がいらっしゃいますから……色んな情報が入ってきますし、行方不明の方を探すのにも向いてますわ。わたくし、何日でも歓迎致します」

「……せっかくですが、お断りします」

「……何故ですの?」

「俺達は《具足戒》に狙われています。組織の縄張りでのんびりできる胆力はありませんよ」

「……わたくしが待ってほしいといえば、組織も待ちますわ。わたくしにはそれだけの権力がありますの」


トリアンフィは《具足戒》との繋がりを一切否定はしなかった。

だからこそルディオには、その言葉に嘘はないように聞こえた。


「貴方が警戒しているのはわかっていますわ……。だから、わたくしの出した紅茶にもケーキにも口をつけなかった。でも、そのチョコレートは包装されてますわ! だからどうか、召し上がってくださいまし!」


彼女はこの、何の変哲もない板チョコに並々ならぬ思い入れがあるようだ。

あるいは、思い入れがあるのは……記憶を失う前のルディオなのかもしれない。


「トリアンフィさん、俺のことは二の次です。権力があるなら、ジーナの安全を保障してください。ジーナを狙わないよう進言してください」


そこでトリアンフィは、ジーナをじっと見据える。


「……彼女のことが、大切なのですね」

「当然です」


その言葉を聞いたトリアンフィは、悲しげにルディオを見つめる。


「……わたくし、お二人に謝らなければなりませんわ」

「……謝るとは、何を?」


トリアンフィはそっと黒いドレスをひっぱり、自分の右肩を露出する。

そこにあったのは……《黒いバジリスク》のタトゥー。

《具足戒》のトップから勅命を受けた《肆卍奇士》の証であった。


「戦いの前から攻撃を仕掛けた不作法を、ですわ」


トリアンフィがそう告げると、ルディオは急激に意識を失い、倒れる。


「ルディオさん!!?」


ジーナは慌てて粒子化し、ルディオに憑依する。

これにより、ルディオはジーナの魔力を受けて戦闘力を格段にアップさせる。

そして、ジーナがルディオに回復魔法をかけると、彼は目を覚ました。


「俺は一体……?」

「眠ってました!! きっとトリアさんの魔法です!!」


トリアンフィはジーナをじっと見据える。


「ジーナさんだけ全く眠らなかったのは不思議ですわ……。それは貴女が特別だから、なのでしょうか」

「クソッ!!」


ルディオは窓ガラスを突き破り、三階にあった部屋から前庭へと飛び降りる、そして着地する。


「きっと、町全体にほんの少しずつ催眠の魔法をかけていたんです!!」


ジーナはそう言いながら思い出していた。

ルディオだけではなく、リタや受付の男性も妙に眠そうだったことを。

ルディオは『従業員や客を巻き込むような攻撃はしてこない』と予測してこの町に留まったが、トリアンフィは町の人間を傷つけずに巻き込むことでルディオの予測を上回ったのだ。

そして、トリアンフィは右肩のタトゥーを見せたあの瞬間にとどめの催眠魔法をかけたのだ。


二人の背後──ホテルの方向──で突然、謎の轟音が響く。

振り向くとそこには、地面から三階まで届くほどの長く、人が悠々と乗れるほど太いツタが生えていた。

トリアンフィがそこに乗ると、ツタは急激に縮んで彼女を地上に降ろした。


「改めて……《肆卍奇士》が一人、《春卍》のトリアンフィですわ。失礼ながら、お二人を打倒させていただきます」


トリアンフィがそう名乗ると、太いツタが槍のようにルディオに襲いかかる。


「ハァッ!!」


ルディオはそれをサムライ・ソードで斬り捨てることで難を逃れたが、その瞬間がくっと意識を失う。


「ルディオさんっ!!」


ジーナが素早く回復魔法をかけることで、ルディオは意識を取り戻す。


「トリアさんは木属性の使い手のようです!! 催眠魔法も恐らく、木属性による薬効の再現です!!」


たった今気を失ったのも、斬ったツタから放たれる薬効のためだ。


「今からこの町の火の海にする……なんて作戦は色んな意味で現実的じゃないな」

「あと、障壁バリアーにもあまり期待しないでください!! 回復させなきゃルディオさんは気絶します!!」

「わかった!!」


次々と襲いかかるツタの槍を、ルディオはなるべく避けて、避け切れなければ斬り捨てた。

ジーナが回復を優先している以上、ルディオは本来の脚力・腕力で戦わねばならない。

反撃をする前に、一旦時間をかけて回復させたかった。

なるべくトリアンフィから離れるため、ルディオは前庭を駆け抜ける。

すると、後ろから追ってくるものがあった。

それは無数の、たんぽぽの綿毛だ。

空中を漂うそれに囲まれると、ルディオの身体は呼吸も困難な程痺れた。


「が、ぐっ……」


苦しみながらも周囲を見渡すルディオは、すぐそばの噴水に気がつく。


「ルディオさん!!」


ジーナは更に強い魔力で回復魔法をかけ、ルディオの痺れをとる。

ルディオは噴水まで駆け寄り、サムライ・ソードを水の中に突っ込む。


「ハァァァァッ!!」


サムライ・ソードが大量の水を纏い、それをルディオが振るうと綿毛は水を吸って地に落ちる。

難を逃れた……とルディオが思ったその瞬間、地に落ちた無数の綿毛から無数の細く長いツタが伸び、ルディオに巻き付いて拘束する。


「なっ……!!?」


ツタは急激に伸び、脚も腰も腕も、指の一本一本までも丁寧に縛り上げていく。

その力に押され、ルディオはサムライ・ソードを地面に落とす。

ルディオは口まで拘束されるその前に、ジーナに向けて叫ぶ。


「ジーナッ!! 俺を斬れ!!」

「えっ、わ、わかりました!!」


ルディオは口さえも拘束され、喋ることすらできない状態になる。

ジーナが憑依を解除すると、ツタの発する催眠の薬効によりルディオは気を失う。

ジーナは、ルディオの落としたサムライ・ソードを拾うと、


「やあぁぁっ!!」


ルディオの背中を思い切り斬りつける。


「んんンッッッ!!」


激しい痛みに、ルディオは目を覚ます。

ジーナが再び粒子化し、憑依すると、ルディオはその魔力を掌に集中させる。

そしてツタから吸い取った水分で掌に水の刃を形成すると、それを飛ばして全身のツタを切り刻み、拘束から脱出する。


「ルディオさん、大丈夫ですか!?」

「トリアンフィを倒すまで大丈夫じゃあねぇッ!!」


ルディオは背中から出血しながら、トリアンフィに向かって疾走する。


「……さん」


トリアンフィは何かを呟くと、地面から太いツタを生やし、天に向けて上っていく。


「トリアンフィィィィィッッ!!」


急激なスピードで成長する太いツタを、ルディオは垂直に駆け上っていく。

そしてホテルよりも遙かに高くまでルディオが登り、更に高きにいるトリアンフィにもう少しで追いつく……となったその瞬間、ツタは急激に萎れていく。


「なっ……!?」


そしてトリアンフィは、傘のように巨大な綿毛に掴まり、フワフワと空を漂っている。


「……来てくださいまし」


トリアンフィがそう呟くのを、ルディオは聞いた気がした。

その言葉は、戦闘中の挑発……のようには聞こえなかった。


「らぁぁぁッッ!!」


ルディオはツタにサムライ・ソードを突き刺すと、その足下にツタの水分を集め、ジェットの様に自分の身体を一気に発射する。

標的は、トリアンフィだ。


「トリアンフィィィィッッ!!」


ルディオが綿毛を斬ると、トリアンフィの身体は浮力を失い重力に引きずられていく。

ルディオは彼女の身体を抱き留め、一緒に地上へ落下していく。

その間、彼女は彼の身体をしっかりと抱きしめていた。

ドンッという音を立て、ルディオは着地する。


「……おい、戦いはもう終わりなのか?」


ルディオがそう尋ねるも、トリアンフィは彼の肩にしっかりと顔を埋めて、抱きしめる腕を放そうとしない。


「……おい」


ルディオが呼びかけると、トリアンフィは……ルディオの頬に自分の頬を擦りつけ始めた。


「……え?」


その行為の意味がわからず、ルディオは困惑する。


「え、ええ?」


その気持ちはジーナも同じようで、慌てて憑依を解除する。


「えぇっと……そうだ、ルディオさんの背中を治さないと……」


そして、とりあえず回復魔法をかけて背中の傷を癒す。


「お、おい……どうしたんだ、落ち着いてくれ」


ルディオはトリアンフィの行動が理解できず、とにかく落ち着くよう訴える。

すると、彼女はぴたりと止まって、言葉を発し始めた。


「……伏魔殿さんからは、弟なんじゃないか、と聞いていました」

「……え?」

「でもわたくしは、一目見たときから……貴方は、貴方そのものだって、そう思いましたわ」

「……何を、言ってるんだ?」

「今、貴方に抱きしめられて……確信致しました」

「だから、何の話なんだ……」

「……教化さん」


トリアンフィは瞳を潤ませながら、ルディオをそう呼んだ。


「教化さん、貴方は教化さんですわ……。雲水教化、それが貴方の忘れている、貴方の名前ですわ」

「……何を言ってるんだ?」


《雲水 教化》、それは国内最大の暴力団具足戒No.2の名前だ。

傷害、借金、売春……《具足戒》が引き起こすあらゆる不幸、その元凶の一人だ。

多くの人間を苦しめ、死に追いやってきた極悪人だ。

ルディオは思わず、トリアンフィの肩を掴んで引き剥がす。


「おかしなことを言うな……俺が、雲水教化だって? いや、似てるとは聞いてた。それは信じる……でも、本人だってことは、ないだろ?」

「貴方は……教化さんと顔が違いますの。少し若返ってますの。それが何故かはわかりません、でも、それでも貴方は教化さんですわ」

「証拠は……? そうだ、証拠なんてどこにもないだろう?」

「……おへその右隣に、二つ並んだほくろはございませんか?」

「……いや、そんなの、じっくり確認したことは、いや」


それは、服を少しめくるだけで確かめられることだった。

少し手を動かせばそれで済むことだ。

しかし、手がうまく動かせない。

それでも、動かさなければならない。

ルディオはゆっくりと手を動かし、服をめくって、自分の腹部を確認する。

見間違いだと、思いたかった。

しかし、何秒間と目を凝らしてもそこには、トリアンフィの言う通りに並んだ二つのほくろがある。


「これは……偶然だ、いや、でも、そんな偶然が……?」


ルディオには、自分の身体が受け入れられない。


「……他には、何を言えば信じていただけますの? 右の太股にある古傷ですの? 身体を洗う順番ですの? 好きなワインの銘柄ですの? スーツを作った仕立て屋の名前ですの? ……わたくし達が初めて出会った日付ですの?」

「いや、それは……」

「教化さん……本当に、忘れてしまいましたの? 」


トリアンフィはルディオの胸に両手をあて、スーツを掴んですがりつく。


「……わたくしに、結婚しようと、言ってくれましたの。《具足戒》から足を洗って、二人で静かに暮らそうって、そう言って、お揃いの指輪をくれましたの……。それも、忘れてしまったんですの……?」


そう訴える左手の薬指には、確かに銀の指輪がはめられていた。


「教化さん……」


トリアンフィの目から、涙が溢れ出す。

そして彼女は静かに、ルディオの首に腕を回そうとする。

ルディオは、彼女の肩を掴んでそれを止める。


「教化さん、拒まないでくださいまし……わたくしは、貴方に拒まれたら……」

「すみません、トリアンフィさん……」

「いや……そんな呼び方はおやめください……いつものように……」


ルディオは指先に空気中の水分を集めると、彼女のうなじにそっと触れる。


「すみません、トリアンフィさん……しばらく、眠ってください……」


ルディオの触れたうなじに、少しだけ傷がつく。

そこからルディオはゆっくりと、頸動脈の血流を操作していく。


「いや……いやです教化さん、行かないで……もうどこへも行かないでくださいまし……教化、さん……」


トリアンフィは静かに、意識を失う。

そしてルディオは彼女の身体をゆっくりと横たえると、すっと立ち上がる。


「すまない、ジーナ。人を呼んでくる」


そう言って歩き出すルディオの背中に、ジーナは呼びかける。


「あの!」


ルディオは立ち止まる。


「一人で考える時間も大切だと思います。でも……落ち着いたら、一緒に甘いものでも食べに行きましょうよ」


ルディオはその言葉を聞き終わると、返事もせずに駆けだしていった。

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