Ep.5 女衒の薬指 ②
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トリアンフィの事務所に到着したルディオは、自殺未遂した女性を仮眠用のベッドに寝かせた。
仮眠用とはトリアンフィの言だが、その真っ白で重厚な見た目だけでも、少し触れたその感触だけでも、そのベッドが寝る者を心地よく包み込める高級品だとわかった。
その後、ルディオとジーナはすぐに部屋を後にしようとしたが、「うちの子を助けてくれたお礼がしたい」ということで応接室に招かれた。
ジーナは内心、さっき自分に宿屋を勧めたことと矛盾してるな……と思った。
トリアンフィは二人に、紅茶とガトーショコラを振る舞った。
紅茶の芳醇な香りが、テーブルに置いているだけでも漂ってくる。
普段のジーナであれば喜んで飛びついているところだが、今回ばかりは食べる気になれなかった。
ルディオ共々、具足戒を警戒しているというものある。
しかしそれ以上に、自分がトリアンフィに歓迎されていないことをひしひしと感じていたからだ。
トリアンフィが本当に招きたかったのは、ルディオだけに違いない。
「ところで、その……ルディオさん、はどうして旅をしていらっしゃいますの?」
ルディオにだけこんな質問を投げかける始末だ。
「……ジーナの双子の姉妹が行方不明で、捜索しているんです」
「まぁ……行方不明とは、大変ですわね……。でも、一緒に探してるのは……お二人が恋仲だから?」
「そういうわけではありません。俺も行方不明の人に大事な用事があるからです」
「では、その行方不明の方と恋人同士で……?」
「それは絶対ありえません」
男女の関係といえば、恋愛に違いない……と他人に推測されるのはよくあることだったが、クローネとの関係までそう扱われるのは珍しかった。
あまりにも恐ろしい想像だ。
「そうなのですか」
そう言いながら、トリアンフィは微笑む。
物静かで表情の変化に乏しいトリアンフィだが、この微笑みは妙に嬉しそうだとルディオもジーナも感じた。
「それと、記憶喪失なので自分のルーツ探しです」
「記憶喪失……それは大変ですわね。それで、何か手がかりはございますの? 記憶を失う前の持ち物を持っているとか……」
「スーツもサムライ・ソードも前から持っているものみたいで、それは手がかりになりそうですね」
「でしたら、記憶もすぐに戻りますわよね? きっと……」
「……そう願いたいですね」
ルディオはすっと立ち上がり、
「そろそろ宿を探します。おもてなしありがとうございました」
そう言って頭を下げ、会話を終えた。
「あ、ありがとうございました!」
ジーナは慌てて立ち上がり、一緒に頭を下げる。
「あの、でしたら宿屋の手配をさせてくださいまし! リバー・サイドというホテルに行って、トリアンフィの名前をお出しくださいませ! お代もいりませんわ!」
「……わかりました。ご厚意ありがとうございます」
そうしなければ引き下がらない気がして、ルディオは素直に提案を飲み込んだ。
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その後、ルディオとジーナはトリアンフィに建物の出入り口まで見送ってもらった。
そこで、ジーナの足が不意に柔らかいものとぶつかる。
「ひゃっ!?」
それは、先程の自殺未遂騒動で真っ先に助けようとしていた女性だ。
彼女はドレスのうえにコートを羽織って、建物の前でしゃがみこんで居眠りをしていた。
ジーナの足がぶつかったことで、彼女はゆっくりと目を覚ます。
「あ、あの、ごめんなさい!!」
「ん……いや、こっちこそ悪い。こんなところで居眠りなんて」
彼女の様子を見かねて、トリアンフィが優しく告げる
「リタさん。お疲れでしたら、今夜のお仕事はお休みになられてもかまいませんわよ」
しかし、リタと呼ばれた女性は慌てて立ち上がり背筋を伸ばす。
「あ、姐さん!! いえ、大丈夫です!! 少し寝てすっきりしました!!」
「あんなことがあった後ですもの。無理はなさらないでね?」
「お気遣いありがとうございます!!」
リタは頭を深々と下げる。
「それじゃあ俺達はホテルに向かいます。ありがとうございました」
ルディオはトリアンフィに会釈する。
「でしたらホテルまでご案内を……」
「姐さん、私が行きます!! どの宿ですか?」
「……それでは、リバー・サイドまでお願いしますわ」
トリアンフィは微笑んでそう頼む。
そして、ふと地面に目をやり、
「それと、煙草の不始末にはお気をつけなさいませ」
と言う目線の先には、煙草の吸い殻が落ちていた。
「あ、ああ!! 吸いながら居眠りしたから、すみません!!」
リタは慌てて吸い殻を拾い、隣の建物の屋外灰皿に捨てる。
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宿屋へ向かう道中、リタは歩きながらも煙草をふかす。
「あの子のこと、ありがとうね。私は仕事場に事情を話さなきゃいけなかったから」
「いえ、緊急事態でしたから」
「……あの子、結構な額の借金があってさ」
リタは、自殺未遂した女性の身の上話を始めた。
きっと、彼女の苦しみを知ってほしかったのだろう。
「それでこの世界に入ったんだけど、ひどい暴利のせいでなかなか借金が返せなくてさ……店に無許可で客とってたんだよ。高い値段でね」
あの女性がトリアンフィに謝っていたことを、ルディオは思い出す。
「そうしたら呪われちまったんだ。馬鹿な子だよ」
「呪いってもしかして……《魔女の隠し子》ですか……?」
ジーナがこわごわと、リタに尋ねる。
「正解だよ。賞品出せなくてごめんね」
「《魔女の隠し子》……?」
聞き慣れない単語の正体をルディオは尋ねる。
「伝染する呪いです。魔法で作られた伝染病、と言いますか……」
ジーナの解説に、リタが割って入る。
「伝染する条件は、呪われてるやつとゴム無しでヤること。それと、呪われたやつの子供は生まれつき呪われてるらしいけど……あの子は最近呪われたばっかりさ」
「呪いを解く方法はまだ見つかってなくて、呪われたら長くは生きられないそうです……」
「そりゃ死にたくもなるよ」
コートの女性は、煙を吐き出す。
「しかし笑えるのが、あの子が借金した先も、この色町も、どっちもバックに《具足戒》がいるってとこだよ。あの子が何やっても《具足戒》が得をする。損をするのはあの子が完済する前に死んだときだけ。最悪のジョークだよ」
コートの女性は短くなった煙草を見て、近くの屋外灰皿を見つけ、そこへ捨てにいく。
「ごめんね」
そう行って戻ってくると、彼女はもう一本煙草に火をつける。
「こんな町いくら汚してもかまわない……とも思うんだけどさ、それでもここは姐さんの町だからね」
「トリアさん、尊敬されてるんですね」
「尊敬っていうより、単純に好きなんだよ、みんな。姐さんが思いやってくれるからギリギリ生きてるんだ」
そう話した彼女は、目の前の景色をじっと眺める。
「それにしても……助けたお礼でここまでするくらい愛されてたとは思わなかったけどね」
目の前に広がるのは、トリアンフィがルディオとジーナのために手配したホテル、リバー・サイド。
ルディオは手配すると聞いて、部屋が十個もない簡素で小さい建物を想像していた。
しかし、実際のリバー・サイドは広い敷地を柵に囲まれ、噴水つきの前庭があり黒い高級車を何台も受け入れている明らかな高級ホテルであった。
「ここに、泊まるのか……」
「えっ、ここで本当に合ってますか?」
ルディオとジーナは、嬉しいとは思えず困惑する他なかった。
「今からでも別の宿にした方が……」
そう遠慮しそうになったジーナを、コートの女性が睨む。
「姐さんに恥をかかせないで?」
「は、はい!」
ジーナは怯えてびくっとなる。
「なんにせよ、ゆっくりくつろいで。あんた達には姐さんの町を好きになってほしいしさ」
そう言って彼女は去ろうとするが、不意にあくびを漏らしてしまう。
「ああ……ごめん。お客様の前で恥ずかしい……本当に疲れてるのかも」
そう言って去っていく。
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ルディオがロビーまで進んでいくのを、ジーナは恐る恐るついて行った。
ルディオのスーツが最高級品なので他の客に見劣りしない、というのがせめてもの救いだった。
ホテルの中に入ったとき受付の男性はあくびをしていたが、入り口のベルに反応してすぐにしゃきっとした姿勢になる。
先程のリタといい、夜の町でも夜には眠たくなるものなのだろうか……とジーナは少し不思議に思った。
「ルディオ様とジーナ様ですね!! お待ちしておりました!!」
受付の男性は背後のロッカーから鍵を一つ手に取る。
「係の者がご案内いたします。こちらへどうぞ」
受付の男性が誘導する前に、ジーナは一つしかない鍵を見て、つい言ってしまう。
「あの、私達二人なんですが」
「……あ、申し訳ございません! 一部屋と聞いていたものですから……別の部屋もご案内致します」
受付の男性が慌ててもう一つ鍵を手に取ったところで、ジーナは自分の失言に気がつく。
「いえ、あの、どっちにしろ私達は一部屋分払えないと思うので! すみません! せっかくご厚意で案内してくれたのに、うぅ……」
「丁度空きがございましたので、お気になさらないでください。私どもとしましても、トリアンフィ様の大切なお客様にはゆっくりとおくつろぎ頂きたいので」
そう言って受付の男性は別の従業員に案内を引き継いだ。
部屋に着くまで、ジーナは緊張しっぱなしだった。
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案内された部屋は、浴室だけでも今まで泊まっていた宿屋の一部屋分くらいの広さはあった。
床のカーペットすら、今までの宿屋のベッドよりもふかふかで寝心地が良さそうだった。
全てが上質すぎて、逆にリラックスできなさそうな空間であった。
「普通にこの部屋に泊まれたら大はしゃぎだったんですけどね……」
二部屋用意してもらったものの、ジーナはルディオの部屋に来ていた。
《具足戒》の襲撃を警戒してのことだ。
ソファに座って隣のルディオを見てみると……彼は寝ていた。
「ちょっとルディオさん!!?」
「……あっ、あぁ!? 俺寝てたのか!?」
ジーナはふっと微笑む。
「私が起きてるから、寝てもいいですよ」
「そういうわけにはいかない……ここは《具足戒》の縄張りなんだ」
それは、リタの発言でほとんど確定した事実だった。
「そこで居眠りできるんだから大物ですよね……」
「褒め言葉ありがとう。ところで、あのトリアンフィという女衒のこと、どう思った?」
「どう、と言いますと?」
「《具足戒》はそこら辺の武闘派ではなくスモウ・レスリングの横綱を寄越してくるような組織だ。売春を取り仕切る女衒が《肆卍奇士》の一人でも全くおかしくはないと思わないか」
「私はトリアさんが……ルディオさんのこと好きなのかな、と思いました」
「……は?」
ジーナはルディオの相談と全く違う方向に行ってしまう。
「露骨にルディオさんと二人っきりになろうとしたり、ルディオさんの方ばっかり見てたり……私気まずかったんですよ!! おかげで美味しそうなケーキも食べそびれました!!」
「……まぁ確かに、変な態度だとは思った」
やたらと自分に対する距離が近いというのは、ルディオ自身も感じていたことだ。
「だが、相手は色町のトップに君臨する女だ。『こいつは俺に気があるんだな』と男を勘違いさせる技術なんかいくらでも持ってるだろう」
「ルディオさんを勘違いさせてどうするんですか? ハニートラップにしては遠回りすぎません?」
「そこはまぁ、そうなんだが……。《具足戒》の任務じゃなくて、個人的に聞き出したいことがあったんじゃないか、と俺は思ってる」
「個人的に? 好きな女性のタイプとかですか?」
「……《雲水 教化》」
「え?」
それは、《具足戒》No.2の座についている男の名前だ。
その男は、ルディオと同じスーツ、サムライ・ソード、タトゥーを持っていたうえ、ルディオが記憶を失ったのと近い時期に行方不明になったという。
「伏魔殿が言うには、俺と雲水は兄弟じゃないかと思うくらい似てるらしいからな。トリアンフィが《具足戒》の人間である以上、雲水に惚れてて、俺にそいつの影を見ていて、俺からそいつの話を引き出したかった……という可能性は十分にある」
「それはまぁ、あり得ますね」
「俺と暴力団の大幹部が似てるだとか……クソみたいな話だよ」
雲水という人間はどうも、身内からは慕われているらしい。
伏魔殿は裏で暴力団と繋がっているとはいえ、スモウ・レスリングの頂点に立つ気骨のある男だった。
彼が雲水のことを友と呼ぶのだから、雲水の格の高さも推測できるというものだ。
しかし、一般人にとっては迷惑で恐ろしい存在でしかない。
今日、ルディオとジーナが助けた自殺未遂の売春婦。
彼女も借金をして、暴利に苦しめられ、やりたくもない売春をやった挙げ句、死に至る呪いにかかって、自らの命を絶とうとした。
その不幸の根底に、《具足戒》があった。
彼女が借金をしても身体を売っても、《具足戒》は潤うのだ。
雲水が組織のNo.2ならば、この不幸の責任の大部分も雲水にある。
自分がそんな男に似ていて、なんなら弟かもしれないだなんて、ルディオからすれば反吐の出る話だ。
「う~ん、でも私はやっぱりルディオさんのことが好きなんだと思います」
「……その根拠は?」
「女の勘です!」
ジーナはドヤ顔で言った後、ふと首を捻る。
「あれ、でも女の勘って人生経験豊富な大人の女性しか使えないイメージもありますね……。だとしたら、私は無理ですかね? ルディオさんはどう思いますか?」
「自分の言葉に責任を持て」
とはいえ、ジーナの説も一概に無視できるものではない。
もしジーナの言う通りトリアンフィがルディオに惚れているなら、一目惚れということになるだろうか。
……しかし、色町を管理する女衒ともあろう者が、一目惚れをするだけならまだしも、それがバレバレのアプローチをしてくるというのは初心が過ぎる話だ。
もっと違和感のない可能性は……
「……トリアンフィは、記憶を失う前の俺を知っている?」
「え?」
そのとき、部屋のドアがノックされる。
「お休みのところ申し訳ございません、トリアですわ。ルディオさん、もし起きていらしたら、お話できませんか?」
ドアの向こうにいるのは、問題のトリアンフィらしい。
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