Ep.4 魔の伏す横綱 ③(終)

* * * * * * * * * * * * * * *


風呂からあがったルディオとジーナは、銭湯のロビーで伏魔殿にフルーツ牛乳を奢ってもらった。

牛乳をベースにフルーツ果汁で味付けした、黄色く甘い飲み物だ。

風呂上がりに飲むことが定番となっており、どこの銭湯でも人気の商品である。

と伏魔殿から聞かされたが、ルディオにはその味もイマイチわからなかった。

甘いドリンクを素直に楽しむためには、隣の伏魔殿が自分と同じタトゥーを身体に彫り込んでいる事実があまりにもノイズだった。


「おんしらが素直に話をしてくれて助かった。追いかけっこでカタギの皆さんに迷惑をかけたくはないからのぉ」

「……こっちとしても、話を聞けるなら聞きたいですからね」

「聞きたいというのは……何の話じゃ?」

「このタトゥーのこともありますし、色々ですよ。記憶喪失なんで」

「記憶喪失……そういうことか。それは、大変じゃな」


二人の会話に、ジーナが割って入る。

先程から、どのタイミングで割り込んでいいのか見計らっている様子だった。


「あ、あの!! そもそもなんですが、ルディオさんと同じタトゥーを入れているのは……?」

「わしにもわからん」

「わからないんですか!!?」

「だがな、同じタトゥーを入れた別の人間なら知っている」


伏魔殿はルディオを見つめる。


「同じタトゥー、同じスーツ、同じサムライ・ソードを携えた……ワシのツレじゃ」

「《雲水 教化》……?」


ルディオは心当たりのある名前を口にする。

国内最大の指定暴力団具足戒のNo.2であり、裏社会最強の男。ルディオの持つサムライ・ソード《村雨》の本来の持ち主だったらしい男だ。


「あっ……」


そこでジーナも察する。

先程からカタギではないことを示唆していた伏魔殿だったが、彼は《具足戒》の関係者だったのだ。


「さぁな……おんしらが大人しくわしに付いてきてくれるなら、詳しい話を教えてもいい。なんなら、記憶を取り戻せるよう全力で協力できるじゃろう」

「正直言って、願ってもない話だ。是非協力していただきたい」


ルディオは伏魔殿を見据えて言う。


「だがあんた、さっき『おんしら』と言った。ジーナにも何か用があるのか?」

「ああ……。おんしと一緒にいる『耳の尖った娘』も連れてこいと、戒長からはそう言付かっておる」

「え!!? な、なんで!!? 耳の形がどうしたんですか!!?」


思いも寄らぬ話に、ジーナは戸惑う。


「戒長ってことは組織のトップだろ。そんな偉ぇ人がジーナに何の用だ? 耳フェチなのか?」

「詳しいことはわしも聞かされておらんが……『デカいシノギになる』と、戒長はそう言っとったな」

「そいつぁ穏やかじゃねぇなぁ……。ジーナの安全は保障できねぇみたいじゃねぇか」

「あぁ……それはその通りじゃな」

「え、え……?」


詳しい状況はわからないが、憧れた伏魔殿が自分の命すら狙っているかもしれない。

その事実に、ジーナはショックを受けていた。


「そうじゃな……場所は、アポリオ国立公園がいいじゃろう」


伏魔殿は唐突な提案をしてくる。


「この時間なら人払いも容易じゃろうしな」


その言葉はルディオとジーナだけではなく、この銭湯のロビーにいる別の人間にも向けられているようだった。

恐らく、この場に紛れた《具足戒》の構成員が仲間に連絡し、国立公園の準備を整えるのだろう。

伏魔殿が、ルディオ・ジーナと戦うための準備だ。


* * * * * * * * * * * * * * *


ルディオとジーナは、伏魔殿と並んで国立公園に向かう。

その道中は、ほとんど無言だった。

唯一の会話は、ジーナの質問とその回答だ。


「あ、あの……伏魔殿さん?」

「なんじゃ、ジーナ」

「さっきは周りに人がいて言えなかったんですが、その、伏魔殿さんは《具足戒》の関係者なんですか……?」

「……わしだけではない。ある意味、スモウ・レスラー全員がそうじゃな」

「えっ」


予想以上にショッキングな回答に、ジーナがこわばる。


「我がスモウ・レスリング・ソサエティは、100年も前から伝統的に《具足戒》と繋がっておる。興行を成功させるためにな」

「そ、そんな……」


自分の愛したスポーツが暴力団のシノギだったのだ。

ジーナが悲しむのも当然の話だろう。


「もっとも、わしほど深く繋がっておるのは史上でも稀じゃろうがな」


その言葉を最後に、三人はまた無言になってしまった。

そして、国立公園に到着する。

伏魔殿の言っていたとおり、水道管の緊急工事という名目で人払いは完了していた。

月明かりがあっても、街灯があってもなお暗い公園の中心で、ルディオとジーナは伏魔殿に向かい合う。


「はぁっ!!」


伏魔殿は羽織っていた浴衣を脱ぎ捨てると、裸にふんどし一丁のスモウ・レスラースタイルになる。


「ジーナ」

「はい……!!」


ジーナは幽霊のように半透明になる《粒子化》を行い、ルディオに《憑依》する。

これにより、ジーナの高い魔力はルディオに与えられた。


「改めて、名を名乗ろう。今のわしは横綱ではない。《具足戒》が誇る《肆卍奇士(しばんきし)》が一人、《興卍》の伏魔殿じゃ……!」


伏魔殿が両膝にどっしりと手をつき、


建御雷神タケミカヅチッ!!」


かけ声とともに力強く四股を踏むと、地震のような轟音を立てて地面が揺れ、三人を取り囲むように土が円状に盛り上がる。


「これはわしが人生で唯一身につけた魔法……建御雷神タケミカヅチじゃ」

「結界の……土俵?」


円状に盛り上がった土を見渡し、ジーナが呟く。


「察しがいいのぉ。この結界魔法は土俵を再現してくれる。つまり、土俵の外に身体が触れた方、土俵に足裏以外をついた方が負けというわけじゃ。なに、負けたところで死にはせん。一時的に、戦えなくなるだけじゃ」

「……ルディオさん、簡潔に伝えますが」


ジーナが緊張した様子で話す。


「この結界を、力ずくで破るのは不可能と考えてください」

「……わかった」


ジーナは詳しく語らなかったが、結界というものは条件がシンプルで効力が弱いものほど耐久力は高くなる。

また、その効力を説明し、ルディオとジーナの脳に刻みつけることも結界を強固にしていた。


「それと、この結界で負ければ、私の《粒子化》が通用するかどうかもわかりません」

「勝てばいい、ってわけだな」

「その通りです」


ルディオは腰のサムライ・ソード《村雨》に手をかける。

伏魔殿は腰を低く落として構える。

その様子を見て、ジーナが口にする。


「はっけよい……のこった!!」


そのかけ声とともに、伏魔殿が猛スピードで突進してくる。

その突進にあわせてジーナは障壁バリアーを展開し、伏魔殿の突進を受け止める。

あまりの威力に障壁バリアーは粉々に砕けるが、衝撃を拡散させられた伏魔殿は怯んで隙ができる。

そこを狙って、ルディオはサムライ・ソードを抜き逆袈裟に斬る……つもりが、伏魔殿は無理矢理身体をよじって、左後ろに避けてルディオの攻撃をかわす。


「なにっ……!?」


ルディオは、似たパターンで別の結果になった以前の戦闘を思い出す。

魔女・クローネの仲間である、プロレスラー・マスカラ=ファルサとの戦闘だ。

ジーナの憑依を受けたルディオは、ファルサとの対決に十秒足らずで勝利した。

しかし、その勝敗を分けたのはルディオの剣技ではなく、相手の血液を操る魔法である。

常人ならともかく、タフ極まりないプロレスラーであるファルサが多少斬られて出血したところで大局に影響があるはずもない。

そこを、ルディオの魔法により大量出血させたことで勝負をつけたのだ。

目の前にいる横綱・伏魔殿も、ファルサと同様に異常なほどタフな格闘家である。

斬られることを覚悟で突き進んだ方が有利……そう判断するのが妥当な場面で、バランスを崩すことを承知で斬撃を避けた。

よりにもよって、バランスが命のこの結界の中で、だ。

その姿にルディオは……彼がこちらの『血液を操る魔法』を警戒しているのではないかという疑念を抱いた。

初めての戦いでその情報を得ている理由は、《具足戒》の広い縄張りのおかげか。

あるいは……もっと根深い理由があるのか。

いずれにせよ、伏魔殿がこちらの手の内を把握して警戒している曲者ということは確かだった。


「らぁッ!!」


伏魔殿の強烈な張り手をジーナは障壁バリアーで受け止め、ルディオは身体をひねって攻撃をいなす。

狭い土俵の上でなければ、もっと遠く距離をとりたいところだ。


「ハァッ!!」


ルディオがサムライ・ソードを地面に突き立てると、地中の水分が操作され、一筋の刃となって伏魔殿の足下に襲いかかる。


「ぬぅっ!!」


その刃は伏魔殿に当たり、傷をつける……が、足の端を多少傷つけるのみである。

ルディオは地面から幾度も水の刃を立て伏魔殿に襲いかかるが、一向に有効ダメージを与えることはできない。

そして、伏魔殿はみるみるうちにルディオに接近する。


「死ねぇッ!!」


ルディオは再び伏魔殿を左腹部から右肩にかけて逆袈裟に斬ろうとし……今度こそ、確実に斬った。


「があぁッ!!」


しかし伏魔殿は痛みに悶えながらも、サムライ・ソードを握るルディオの右手を掴んだ。


「なにっ!!」


そして右手でルディオの腰のベルトを掴み、そのまま一気に押し出しにかかる。


「ジーナ!! 地面に障壁バリアーを!!」

「はい!!」


土俵際まで追いつめられたルディオの指示で、ジーナは地面に向けて障壁バリアーを展開する。

そしてルディオは、土俵の外まで広がった障壁バリアーを踏み台にして飛び上がり、伏魔殿の頭上で回転し、その勢いで伏魔殿の拘束から逃れる。

そして伏魔殿の背面に着地すると、今度こそサムライ・ソードを通して伏魔殿の血流を操作すべく、突きの攻撃にかかる。

が、素早く身体を転回した伏魔殿にルディオの攻撃は命中せず、その刃は伏魔殿の左肩をえぐるのみであった。


「うぉらぁッ!!」


伏魔殿はルディオの肩とベルトを掴むと、今度はその場で転倒させる。


「くそっ……」

「ハァッ!!」


ジーナが地面に向けて障壁バリアーを展開することで、ルディオの背中が着地するのを防いだ。

しかし、覆い被さるような伏魔殿の体勢に、ルディオは逃げることが出来ない。


「そんな壁、砕いてくれるわぁ!!」


伏魔殿は本来のスモウ・レスリングでは禁じ手である握り拳を作り、障壁バリアーを砕くため殴りかかる。

が、そこで不意に右足を滑らせて、バランスを崩してしまう。

いつの間にか伏魔殿の右足元には、ぬかるみが出来ていた。

刃を形成した水を集めて、ルディオが作ったぬかるみだ。

全ては、至近距離の伏魔殿に隙を作るために。


「狂えッ!!」


ルディオは左手の指先に空気中の水分を集めて刃を形成すると、伏魔殿のこめかみ辺りを斬り、そのまま皮膚の下に指を潜り込ませる。

すると、ぬかるみに足をとられてもふんばっていた伏魔殿が、突然足を滑らせて……地面に膝をついた。


「なっ……?」


なぜ自分が膝をついてしまったのか……伏魔殿には、それすら理解できない決着であった。


「血流を操って、三半規管を一瞬だけ狂わせた」


身体の平衡感覚を司る三半規管。

この機能を狂わせてしまえば、さしもの伏魔殿でもバランスをとることは不可能であった。

決着がつき、いつの間にか土俵は消えていた。

ルディオは堂々と地面に手をつき、立ち上がる。


「一瞬だけだが……勝負を決めるには十分な時間だ」


ジーナは《粒子化》を解除し、ルディオの隣に立つ。

敗北した伏魔殿は勝負前に彼の言っていた通り、一時的に力を失い戦えない状態になる。


「さて、色々と聞かせてもらおうか」

「……ああ、わしに話せることならば、な」

「そもそも……何故いきなりあんたが襲いかかって来たんだ? 沢山いるはずの配下をすっ飛ばして、どうしてあんたみたいな大物が俺達を捕らえに来たんだ?」

「……たまたま巡業で近くにいた、というだけじゃあないぞ。元々、巡業が終わればおんしらに会いに行く予定じゃった」

「随分な厚待遇だな、それは」

「戒長はおんしらを……いやルディオ、おんしを警戒しとるんじゃ」

「俺を……? ジーナがいなけりゃあんたには到底敵わない俺を?」

「戒長はおんしに……《村雨》と水属性の魔法を操るおんしに、あの人の影を見とる。組織のNo.2で戒長の右腕じゃった男……《雲水 教化》を」

「またその名前か……!!」


組織のトップまでもが疑うのであれば、ルディオと《雲水 教化》に何かの繋がりがあることは間違いないのだろう。

しかし、なんの繋がりが?

よりにもよって、暴力団の幹部と。


「サムライ・ソードも、スーツも、タトゥーも、魔法も同じ……一体そいつは俺のなんなんだ!!?」

「ワシはおんしを一目見たとき、あの人の弟じゃと思った」

「弟……? 弟がいたのか、そいつには」

「いや、そんな話は聞いたことがない。だが、あの人もすねに傷のある身じゃ……隠している身内がいてもおかしくはない」

「その推測は飛躍しすぎじゃないか!!?」

「推測ではなく直感じゃ!! あの人の友としての……!! 弟か、遠くても親戚か、血の繋がりを感じさせる程おんしの雰囲気はあの人にそっくりなんじゃ!!」

「冗談じゃない!! そいつは暴力団の幹部なんだろう!!? そんな奴の弟だと!!」

「ルディオさん、落ち着いてください!!」


ジーナの一喝で、ルディオはふっとトーンを落とす。


「……まぁ、わかったよ。そいつが俺にそっくりで、だからあんたのとこのトップも俺を警戒してるっていうのは」


ジーナの助力があったとはいえ、こうして伏魔殿を下したのだ。その警戒もあながち間違ったものではなかった。


「それで、あとはどんな連中が俺を捕らえにくるんだ……?」

「……《肆卍奇士》。《具足戒》の関係者から選ばれた、戒長からの特命を預かる四人の強者。その一人がわしじゃ」

「どんな力を持ってるんだ、残りの《肆卍奇士》とやらは」


伏魔殿はふっと笑う。


「敗北したのはわしだけじゃ。例え殺されても、仲間の手の内までは話せん」

「まぁ……そうだろうな。あんたは気骨のある男だ。とにかく、残りの三人が俺を狙ってるわけだ」

「いや、残りは二人だけじゃ」

「どういうことだ……?」

「《肆卍奇士》の最初の一人は、教化さんじゃ。《黒いバジリスク》のタトゥーこそが、奇士の証」


ルディオは思わず、自分のうなじを撫でる。

教化と同じく、《黒いバジリスク》の彫られた自分のうなじを。


「……その教化さんは、四ヶ月前から行方不明なんじゃ」

「なっ……?」


四ヶ月前。

それは、ルディオの記憶の始まり……クローネと出会った頃とほとんど同じだった。


「わしはおんしが教化さんのことを知っていれば……とも思っていたが、記憶喪失じゃ仕方ないのぉ」


自分の記憶と教化の行方不明、どうしても繋げて考えずにはいられない。

早くなる動悸を押さえながら、ルディオは話題を切り替える。


「……ジーナのことは。耳の長く尖った子を狙った理由はなんだ?」

「それに関しては、本当にわからん。だからこそ、捕まったときに命の保証はできん」

「……そうか」


ルディオは、伏魔殿に背を向ける。


「……わしが言っても説得力はないじゃろうが」


伏魔殿はルディオの背中に語りかける。


「教化さんは、純粋で気のいい人じゃった。少なくとも、わしにとってはな」

「……でも、極悪人だろ」


ルディオのその言葉を、伏魔殿は否定しなかった。

歩き去っていくルディオの背後で、ジーナは慌てて伏魔殿に駆け寄る。


「あ、あの!! 傷、治しますね!!」


そして、回復魔法で伏魔殿の傷を治していく。


「かたじけないのぉ……ジーナは、優しい子じゃな……」

「その……色々とショックでしたけど、ファンですから」


ジーナは悲しげな笑みを伏魔殿に向ける。


「まったく……スタア失格じゃな、わしは……」


ジーナは伏魔殿にぺこりと頭を下げると、ルディオの隣まで駆け寄る。


「……戦うぞ、ジーナ」

「《肆卍奇士》と、ですよね」

「いや、その先にいる戒長と、だ」

「えっ……?」

「戒長を引きずり出して、戦った、下して、幹部連中の前で誓わせるんだ。クローネの捜索に協力すること、俺の記憶探しに協力すること……何より、ジーナに手を出さないことを」


ジーナに手を出すことは、組織を裏切ること。

それだけ強固なルールを作らねば、ジーナの安全を保障できない。

それは、《具足戒》の乗っ取りにも等しい計画だった。


「それを飲み込めないようなら、殺す」

「また、そんなことを言う……」

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