Ep.1 魔女を殺しに旅立とう ②
「さて……誰にも邪魔されない場所に移動しましょう」
クローネが口を開くほどに、嫌な予感は膨らんでいく。
それでも、自分への決定的な不利益を確信できるまで、ルディオは彼女を攻撃するわけにはいかなかった。
「それじゃあ、ジープに荷物を積み込んで頂戴」
そのジープは、最初の交通事故でひっくり返っていた。
「ふぅん!!」
ファルサが持ち前の怪力で、ジープを正しい姿勢にひっくり返す。が、それで即走るのは無理だろう。
粉々に砕けたフロントガラスはいいとしても、べこべこに凹んだジープの車体を見れば、それが故障したことは明白だった。
「……これ、直せるのか?」
「……まぁ、後で時間をかければ」
ルディオはエンジニアのアーミルに尋ねるが、回答はなんだか歯切れの悪いものだった。
クローネはいつも通り、ボンネットにどかっと身体を横たえる。
「乗り心地が悪いわね……」
クローネが、『事故りなさい』と指示したせいである。
「ファルサ、押して頂戴」
「おうともォ!!」
ファルサが車体の後ろに回り、いざ車を押さんと構えたとき、怪印がすっ……といつも通り後部座席に乗り込む。
「……」
「こら、怪印!! ファルサが可哀想でしょう!!」
「……!」
自分の過ちに気づいた怪印はハッとして(表情はわからないが)車を降り、右手の指を真っ直ぐ立てて彼なりの謝意をファルサに伝える。
「ハーハッハッハ!! 気にするな!! 全員乗っても構わんぞ!!」
「無駄に体力を使うことないわよ」
「……いや、お前も降りろ!!」
ルディオは思わず叫んだ。
「え!? なんで!!?」
降りる理由に心底心当たりがない、クローネはそんな表情でルディオに返す。
「いやお前」
「行くぞォッ!!」
ルディオが二の句を継ぐ前に、ファルサが車を押して出発する。
「……」
仕方がないので、ルディオも車についていくことにした。徒歩で。
* * * * * * * * * *
「ここら辺でかまわないでしょう」
そう言ってクローネが止めたのは、どことも言えない森の奥だった。
確かにクローネの要望通り、誰にも邪魔されない場所に見えた。
なんなら、ここで殺されて死体を埋められても捜索はされないんじゃないか……ルディオは、そんな不吉な想像をしてしまう。
辺りはいつの間にか日も暮れ始め、オレンジ色の空の向こうには黒い帳が少しだけ垂れていた。
「日も長くなってきたわね……」
クローネは遠くの夜空を見ながら、そう呟いた。
「
「……ああ」
ルディオはそう言われて、三ヶ月前の夜を思い出す。
「俺が、あんたに拾われた頃だな」
それは、ある意味でルディオがこの世に生を受けた日だ。
「あの日、貴方から偶然……不本意に……助けられてから、ずっとこの日を待っていた」
「助けない方がよかった、みたいな言い草だな」
「フフ、そうでもないわよ」
「クローネ様、これを」
アーミルは、ドラゴンから摘出した魔石を保管したカプセルをクローネに渡す。
「ありがとう」
クローネは、カプセルのハンドル部分を握る。
「オリエンタル・ドラゴンはね、宝石に関わる性質を持ったものが多いの。七つの宝玉を集めると、どんな願いも叶えてくれるオリエンタル・ドラゴンを召還できる……なんて伝説があったりもして。ま、それは単なるおとぎ話だけれど」
「……おとぎ話なら、村の子供達にも聞かせてやればよかったんじゃないか」
「焦らないで。本題は、私の願いを本当に叶えてくれる魔石の話よ」
アーミルはカプセルの、ハンドルとは反対側の先端になんらかのアタッチメントを装着し始める。円錐型のその形状からは、用途は想像がつかない。
「今日私たちが倒したオリエンタル・ドラゴンはインクルージョン・ドラゴンって言ってね、飲み込んだ魔石の純度を高めてくれる性質があるの。胃液で不純物を消化してね……綺麗だったでしょ、この魔石」
クローネはカプセルを、愛おしげに撫でる。
「魔石の……純度? それを高めると、どうなるんだ?」
そもそも、『魔石の純度』という概念自体がルディオには初耳だった。
純度を高めて、一体どんなメリットがあるのだろうか。
蓄積できる魔力の量が高まる、といったところか?
いや、そんな目的なら用意する魔石の量を増やした方が手っ取り早いだろう。
「……一口に魔力って言っても、大きく分けて二種類あるのよ。知ってる人はそんなにいないけど」
クローネの持つカプセルに、アーミルは円錐型のアタッチメントを取り付け終わった。
「魔力が、二種類……?」
「機械を動かしたり、魔法を使ったりするための、『消費される魔力』。そして、『消費される魔力』を産み出すための『根源的な魔力』」
カプセルに取り付けられた円錐型のアタッチメントが、ガシャッと音を立てて三つ叉に開く。その形はまるで……爪だ。
肉を掴み、捕らえるための爪だ。
「純度の高い魔石だけが、『根源的な魔力』を奪えるのッ!!」
クローネはカプセルの爪を立て、ルディオに襲いかかる。
奪われるのは、俺だ。
ルディオがそう確信した今この瞬間、彼とクローネの主従関係は決裂した。
「クソが……ッ!!」
戦闘を決意したルディオは、後ろに飛び退き爪を回避する。
が、ルディオの背中を阻む者がいた。
その大きく雄々しい筋肉、そしてそれを包む厚い脂肪から発せられる常人よりも遙かに高い熱気は……
「マスカラ=ファルサァ!!」
ファルサはにぃっと笑うと両腕でルディオを羽交い締めにしようとする、がそれを察知したルディオはしゃがんで回避する。
しゃがんだままのルディオは、殺気を感じて右に振り向く。
そこには、アーミル……そして、ルディオに向けられたバズーカの銃口があった。
「トリモチィ!!」
アーミルがそう叫び、引き金を引くよりも早く、ルディオはアーミルとは反対方向に飛び退いた。
アーミルの放ったトリモチがルディオに襲いかかる。
すぐに切り捨ててはいけない。粘度の高い状態で斬れば、逆にルディオのサムライ・ソードがトリモチにからめ取られるだろう。
迫り来るトリモチに近い速度で飛び退いて、追いつかれる前に、トリモチが硬くなる瞬間を見極めてルディオはトリモチを切り捨てた。
が、切り捨てたトリモチの向こう側に怪印の影が現れる。
トリモチは、囮。
「……」
怪印は両腕からワイヤーを飛ばし、そのワイヤーでルディオの身体を縛り上げる。
「クソォッ!!」
だが、ルディオの両腕の肘から先はかろうじて自由だった。
ルディオは苦し紛れに、ワイヤーを掴んで力を込める。
「あああぁぁぁッ!!!」
この咄嗟の行動は、ルディオの本能から来るものだったのだろうか。
ルディオがワイヤーに込める力に反比例して、ルディオを拘束するワイヤーの力は弱まっていく。
そして、ついにはほどけた。
「な……?」
この解放へたどり着いた当のルディオでさえ、自分が一体どうして解放されたのかはわからなかった。
「……!!」
しかし、ほどかれた怪印の表情には、何か思い当たる節があるような……ルディオにはそう見えた。
「今更目覚めたわけ!!?」
ハッとするルディオの視線の向こう側に、弓矢を引き絞るクローネの姿が見えた。
一体、何の話をしているのか。
そう逡巡した瞬間に、クローネの魔力で形成された光の矢がルディオに向かって飛んでくる。
回避する余裕はなかった。
気がつくと、ルディオは光の矢を真正面から掴んでいた。
「クソがぁぁぁぁッ!!!」
光の矢はルディオの掌に突き刺さり、血が吹き出る。
竜の手すら吹っ飛ばす威力の矢だ。
このままではルディオの手も同じように吹っ飛ばされる……はずだったが、なぜか光の矢はルディオの手の中で雲散霧消した。
それも、ただ消えただけではない……少なくとも、ルディオにはそういう感覚があった。
まるで、掴んだ魔力が自分のものになったような……そういう不思議な感覚があった。
「お主のその力ァッ!」
考える間もなく、マスカラ=ファルサがすかさず、ルディオの腹にミドル・キックをぶち込んでくる。
「我が輩の暴力も奪えるのかァ!!?」
少なくとも、今のルディオは奪うことができなかった。
ファルサの蹴りをモロに食らったルディオの身体は、遙か上空へと吹き飛ばされる。
「ぐぁッ!!」
数m身体が吹き飛び、上下逆さまになって落ちる寸前のルディオにファルサが飛びかかる。
「まさかッ!?」
ファルサの
「そのまさかよォ!!」
ファルサはルディオの両脚を掴み、首は足で固め、がっちりとホールドした。
「竜殺しの
一応、仲間だった男の末路を労るように、アーミルは静かに呟く。
そして、ルディオの身体は首から地面に叩きつけられた。
「安心するがよい、お主にはまだ死んでもらっては困る」
ファルサはそう呟いて、ルディオの身体を解放する。
死んでこそいないものの、頭からつま先まで骨を砕かれたようなダメージにルディオは倒れる他なかった。
「く……そ……」
倒れたままのルディオに、爪つきのカプセルを持ったクローネが近づき、そして爪をルディオに突き刺した。爪がルディオの胴体をガッシリと掴むと、傷口から血が流れ出す。
そして、クローネはカプセルのハンドルを回す。
「ガぁッ!!」
痛みに悶えるルディオ。だが、爪を突き刺された肉体の痛み以上に、何かが奪われている苦しい感覚があった。
(魔力……?)
魔力を吸い取られる経験など、少なくともルディオの記憶している範囲にはなかった。
しかし、自分の感覚と、先ほどのクローネの言葉から考えるとこの推測が間違っているとも思えなかった。
『純度の高い魔石だけが、『根源的な魔力』を奪えるのッ!!』
クローネは自分から『根源的な魔力』を奪うために『純度の高い魔石』を用意したのだ。
しかし、何故自分なのだろうか。
他の人間でもなく、モンスターでもなく、何故自分なのだろうか。
それはもしかすると、先ほど発現した『魔力を奪う力』と関係があるのだろうか。
そもそも、この計画はいつから始まっていたのだろうか。
本来ならこの地に生息しないはずのオリエンタル・ドラゴン、そのドラゴンが飲み込んでいた魔石……。
いや、それよりももっと以前……自分とクローネが出会ったその時から、計画は始まっていたのではないか。
グラグラと揺れる視界の中で、ルディオは逡巡する。
「あのインクルージョン・ドラゴンはね、私が召還したものよ」
クローネは、ルディオの心中を察してか、あるいは勝者の傲慢か、ことの経緯を語り始めた。
「最近、妙に強力なモンスターが出現することが結構あるでしょう。あれは次元の壁が不安定なせいなんだけど……とにかく、そのおかげで私もインクルージョン・ドラゴンを別次元から召還できたのよ」
なるほど、やはりあのドラゴンはクローネが用意したものだった。
しかし、そうだというならどうしても見逃せない点がある。
「村の……人達が……」
ルディオは声を絞り出す。
「殺されていたかもしれないんだぞ……一歩間違えれば……」
「間違えれば? 知らない人間が一人死のうと千人死のうと間違いではないわ。間違いは、私の計画が失敗することだけよ」
「な……?」
「それに、私の計画が進めばどちらにせよ人は沢山死ぬでしょうね」
出会ってから今まで、ルディオはクローネを心の底から信頼することはできなかった。
それでも、ルディオを拾ってくれて、生きる道を示してくれた恩人がクローネだった。
ルディオはそれを自分のアイデンティティだと考えていたし、クローネも三人の仲間達も、それは同じなのだと信じていた。
「……殺すぞ」
ルディオは無意識に、そう呟いていた。
自分を裏切った怒りからか、無辜の人々が殺されるという危機感からか、そう呟いた理由はルディオにも判然としなかった。
それを受けてクローネが、フフッと笑う。
「殺す、ね……。実に貴方らしい短絡的な判断だわ」
クローネがルディオの身体から爪を引っこ抜く。傷口からは血液が溢れてくる。
「挑戦してみればいいんじゃない? 貴方の魔力を奪った私に勝てるのなら、だけど」
クローネの言葉通り、ルディオには魔力を殆ど抜かれたような感覚があった。
かろうじて生命を維持するだけの魔力は残っていたが、それがクローネの情けなのか、あるいは全てを奪えない技術的な事情でもあるのか、それはルディオにはわからなかった。
「それじゃあ……もう貴方に用はないわ。離れられて清々するわね、お互いに」
そういうとクローネは、ルディオの元から去ろうとする。
そして、ファルサ・アーミル・怪印もその後に続いていく。
「ハーッハッハッハ!! 達者でなァ!! 生きていればまた会おう!!」
この状況で、一体どんな感情で言葉を発しているのか。
ファルサはいつも通り快活な調子で別れの挨拶を告げた。
「……悪いな」
アーミルはばつが悪そうに、ぼそっと呟いた。
「……」
怪印は右手を顔の前でピンと立てて謝意を表す。
「……殺して、やる」
ルディオは蚊の鳴くような声で、そう答えた。
しかし、全身にダメージを受け、『根源的な魔力』を奪われた状態で、生きてこの森を抜けられるのだろうか。
ただただ、燃えるような殺意だけがルディオの意識を支えていた。
「……クロネちゃん!!」
突然、聞き慣れない大きな声がルディオの耳に響いた。
姿を確認することはできないが、恐らく少女の声だ。
それも、クローネと同じくらいの年頃の。
「……ジーナ!!??」
当のクローネは、声の主に心当たりがあるようだ。
驚いて『ジーナ』という人物の方を振り向く。
「貴女、一体どうしてここに……」
「クロネちゃんこそ何やってるの!!? その人はどうしてそんな大怪我してるの!?」
ルディオはなんとか首を動かして、ジーナと呼ばれた少女を見る。ぼやけてはっきりとは見えないが、やはりクローネと同じ年頃の少女だ。
ジーナが、ルディオに向かって駆けてくる。
「貴方達!! ジーナを止めなさい!! 絶対に怪我はさせないで!!」
「……!!」
「合点承知!!」
真っ先に飛び出したのは怪印だ。そのすぐあとに、ファルサも続く。
が、二人の瞬足・剛力を以てしても、ジーナを捕まえることはできない。
とはいっても、ジーナが二人を避けたわけではない。
ただ真っ直ぐルディオに向かって走ってくるジーナは、幽霊のように、怪印とファルサをすり抜けたように見えた。
朦朧とする意識の見せた幻覚だろうか……?
ルディオはそう思った。
遅れて、アーミルがルディオの前に立ちふさがる。
しかし、やはりジーナの身体はアーミルをすり抜けた。
今度こそ、ルディオははっきりとその現象を確認した。
「何っ……?」
アーミルは、目の前の出来事が解釈できず混乱している。
「大丈夫ですか!?」
そう言ってジーナはルディオに覆い被さるように身体を近づけた。
そこでようやく、ルディオはジーナの顔をぼんやりと認識する。
その顔は……。
「クロー……ネ?」
ルディオが殺そうとしている少女に瓜二つだった。
しかし奇妙なことに、ルディオを瀕死にまで追い込んだ少女とは対照的に、目の前の少女は回復魔法でルディオを癒し始めた。
「へ!? ああ!! 顔がそっくりなんです!! 双子だから!!」
こんな状況の割に、ジーナの受け答えは早くて簡潔でわかりやすかった。
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