第29話 コオロギの話⑫

 打ち上げと称した参加者三十人以上のバーベキュー大会は、橋を渡り切った所にある十円ハゲみたいにそこだけぽっかりと木が生えていない広場で開かれ、カウントダウンの最後に全員で叫んだゼロの瞬間の小規模な爆破によって閉会となった。みんなが良い顔で拍手はくしゅ喝采かっさいをする。元々老朽化が進んでいたか弱い橋が二点の支えを失って崖下に崩れていく光景はなんとも地味なものだったが、それでも一つの大きな仕事を終えた、という大勢が共有する達成感により、エンディングの盛り上がりはしばらく続いた。それから、誰ともなしに後片付けを始め、三十分間もせずに、クチナシ村への唯一の経路がなくなったことと地面が大勢に踏み固められて茶色が濃くなったこと以外は、原状復帰が完了した。大型バス一台と五台のワゴン車にそれぞれが分かれて乗り込み、山を下りた。

 短い期間ではあってもクチナシ村でそれなりに見慣れたと思われた山々の緑色を車窓の外に見惚れていると、「骨折して部活を見学するのってこんなだろうな、って気分だ……」とつい先程のバーベキューの喧騒の余韻が口を突いて出てしまう。隣でワゴン車の運転をするクロカワは、「何それ。……あぁそうか、コオロギ君だけ後片付け免除だったもんね。まあ、骨折はどうか分からないけど、とりあえず重傷者なんだから、気兼ねはいらないんじゃない?」と笑ってくれた。

「あ、いえ、違くてですね、け者って寂しいな、……って思って」

「君らしいね。まあ、どっちにしても君の中の問題だ。深く考えないことだね」

「ちょっとちょっと、クロカワ君、それは冷たいんじゃない?」

 僕の真後ろに座る同僚と思しき女性が、身を乗り出して話に割り込んできた。クチナシ村では見なかった顔だ。打ち上げからの参加だとすると、事務員、とでも言うのか、後方支援の業務にあたっていた方だと予想される。サナエくらいの年代かと思われるが、打ち上げの時にもやたらエネルギッシュな印象をばらまいていて、正直、苦手と感じていた。

「え、そうですか? クロカワさんはきっと、周りの人たちは僕のことを足手まといとも余所者よそものとも思っていないよ、って言ってくれてるんだと思って、ほっこりしましたよ?」

「おや? 可愛らしいわね」

「え……」

「ははは、コオロギ君は少し気を付けた方が良いな。君、見た目も良いけど、なんだか人たらしの個性が強い。社長がグっときちゃったみたいだよ」

「え……」

「そうそうグっときた。コオロギ君はね、ひかえめに言って、……そうね、美味しそう」

 うそうそじょーだん! と車内をぎゅうぎゅうにするくらいに大笑いし出すが、彼女の発言には警戒心を起動させるに値する何かを感じた。それはさておき、後部座席でがやがやと騒いでいる声に紛れさせて運転席のクロカワに小声で話し掛ける。

「今、後ろの若そうな女の人のことを、社長、って言いませんでした?」

 前方を見ながら意識だけをこちらに向け、クロカワは「え……」と唖然とする様子を見せた。数秒後、後部座席の女性に勝るとも劣らない大笑いをし出す。本格的に車内がぎゅうぎゅう詰めになってしまった。今日のお昼頃にも同じような場面に出くわした気がするが、クロカワが笑う理由はやはり僕には分からず、落ち着かない気持ちで彼が正気に戻るのを見守った。程なくして、クロカワは息苦しそうに「社長、社長!」と後部座席へ声を投げる。女性が身を乗り出してくる。

「社長、コオロギ君に自己紹介してないんですか? コオロギ君は社長のことをただの若い社員としか認識してないですよ」

「え、嘘でしょ、若くて美人な女として見てくれているんですって、ちょっとノドカ君、聞いてる? くそぅ、寝てやがる。……ねえコオロギ君、社長は今夜、暇だけど」

「…………クロカワさん」

「…………すまん」

 そこからは、外の景色が市街地になるまでずっと続いたウンモのあの手この手の口説き文句を、運転に集中しているから私を巻き込まないで下さいという姿勢で必死に笑いを堪えるクロカワを恨めしく思いながら、無心で捌くに徹した。オジとの死闘とは別の箇所の神経が磨り減った。一時間ほど車に揺らされると市街地が都市になり、その辺りでようやく後部座席が静かになる。恐る恐るそちらを伺うと、騒ぎ疲れたのか、それとも大分遅れてアルコールが効いてきたのか、ウンモもヘイワもミカヅキも、寝息を立てていた。それを見ていると、運転席の方から「君も寝なよ」とささやかれる。

 実のところ、疲労度合いと比較して、自分でも驚くくらいに眠くはなかった。だが、「君が起きていても運転変われないでしょ?」とまで気を利かせてもらったので、固辞するのも失礼かと考え、甘えることにした。目を閉じていれば眠くなるだろう。

 視界をまぶたで遮り、耳からは走行音とたまに聞こえるウィンカーの音しか聞こえてこない。車内の温度は弱めのクーラーで調節された適温。シートは柔らかく、胃袋は固体と液体で満たされている。平和だ。何より、ここでは、命を取られる心配など要らない。これ以上ない極上の安心感に包まれている。だからだろうか、これらは僕にとってある意味では非日常で、だから、眠れないのかもしれない。夜、一切の明かりを消しては眠れない理屈と同じ。ラジオを点けているか、音楽を流していないと寝付けないのと理屈は同じである。それらを何倍も殺伐としたリスクに染めてようやく、僕にとっての睡眠の環境、日常なのだ。しかしそれもいずれは過去の思い出として色を失っていくのかもしれない。そう思わせてくれるのは、ユウサクだった。

 自分自身のことをどこまで理解しているかは分からないけれど、後付けかこじ付けであれば、自らの感情や性格に理屈を立てることはできる。

 それによれば、僕はユウサクから一度、生きることを諦めさせられていた。カミナガがユウサクのことをカエルと呼んだ瞬間がそれだ。「また裏切りか……」と思い、極度の疲労感が生きる活力を飲み込んだ。そして、生きることを諦めた。その上で、ユウサクはやっぱり裏切者ではないという事実を知る。この目でユウサクがカミナガの手を拳銃で撃った瞬間を見たのだ。そしてこう思った。

 信じていた人間に裏切られることもあるし、裏切られたと失望させられていた人間が実はそうではないということもある、と。

 それが、生きていく中で繰り返される。多少のバランスの崩れはあるだろうが、それでも地震計のギザギザしたグラフみたいに行ったり来たりが繰り返されるだけなのだ。つまり、裏切られる、ただそればかり、というわけではないということ。当たり前すぎて忘れてしまいがちだけれど、悪いことばかりではない、生きるということは。すなわち、殺し屋としてこの先もずっと生きる、だけしか未来に選択肢が用意されていないわけではない。悪いことばかりではなく、良いこともある。良い、と思える選択肢も用意されている。


 僕は、この先、一人も殺したくなかった。


 オジを殺さなかったのは、当たり前すぎることを思い出す前の時点のことだったけれど、それは頭のどこか見えにくい場所に殺したくない感情が追いやられていただけであって、僕は決して感情を持たない人形だったわけではなかったのだ。

 ……と、思う。

 まあ、この手にかけてきた命の重みは、この先もずっと僕の中からなくなることはないわけだけれど。

 それもオジの呪いとして抱えて行こうと決めていた。オジに開けられた両手のひらの穴は、ずっとなくなったりはしない。


「……あぁあ、何だか無性にあのお婆さんと話したくなってきた」

「ん、寝言?」

「起きてますよ。いやぁ、ちょっと頭ん中がしんみりしちゃったんで、あのお話好きなお婆さんとどうでも良い話で馬鹿みたいに盛り上がりたいなって思って」

「あの? ……どのお婆さん?」

「ほら、南区の、クチナシ村の、えっと……、集会所から下って最初の家に住んでるお婆さんですよ。お話が好きな」

「あぁ、確かにいたね、お話し好きのお婆さん。なんか妙に若々しい人でしょ」

「そうそう、その人です。そういえばクチナシ村のこと捨てちゃいましたけど、今はどこにいるんですか? っていうかお婆さん以外の村の人たちもですけど」

「ちょっと待った! あぁ不味い、また君、俺の笑いのツボを刺激しそうな予感がする」

「はい? どういうことですか?」

「一つ確認なんだけど、さっきのバーベキュー大会って何の打ち上げだと思ってる?」

「え、それは……、何だったんです?」

「なるほどね……」

 クロカワはハンドルを握っていない方の手を胸に当てた。大丈夫、大丈夫、コオロギ君は新人さんだから、何も知らなくて当然、大丈夫。と自分を落ち着かせるような素振りを見せてから、「後部座席のミカヅキさんのことは知ってる?」と話し始めた。もし話し手がクロカワでなければ、理解するのに倍は時間を要しただろう。そんな内容だった。


「ミカヅキさんはね、昔俺が働いてた職場の上司だったんだ。で、ある日突然事故死した。俺は葬儀に参列した時に、ミカヅキさんの死を詳しく調べてみよう、って考えたんだ」

 ミカヅキには死体がなかったそうだ。そしてクロカワは、生前のミカヅキからたまたま妙なお願いをされていた。

「タシロ、万が一俺に何かあったらさ、悪いんだけどデスクはお前が片付けてくれないか。……って言ったんだ。酒飲みの席だったし、それを聞いた時にはいかがわしい本とか隠してんじゃないんですか、って言って終わってさ、でも、本当に万が一のことになっちゃったから、俺がデスクを片したんだ。そこで一つのデータが見付かった」

 データの内容は、至高会という大手企業の社内資料。主に、損益計算書と呼ばれる会社の金の在り方の指標となる決算書類と、それにまつわる膨大なデータだったそうだ。どうしてそのデータにクロカワが注目したかと言うと、クロカワたちの勤める会社の規定で、いつでも業務の引継ぎがスムーズに行えるように引き継ぎ書を社員全員が作成していて、その内容にクロカワ宛てとして当該データ名だけが記載されていたそうだ。そしてデスクの整理の際に、その名称が表記された記録媒体が見付かった。とのこと。データを調べると、やがて至高会の裏に見えない金の動きが匂ってきて、色々調べた結果、暗躍部隊の存在に気付いた。

「存在って言っても噂話程度の証拠とは言えない証拠だったから、埒が明かなくなって、今思えば本当に軽率だったなって思ってるけど至高会に直接乗り込んだんだ。まさか人一人の命を奪うようなことをやってのける会社が現実世界であり得るなんて思ってなかったからね。んで、タシロ抹殺計画が立案された、ってわけ。まあ、俺殺しの依頼をヘイワさんにしてくれたことは本当に不幸中の幸いだったね。他の殺し屋だったら今頃こうして君と仲良くなれてない」

 話は戻るけど、とクロカワは言って、再びミカヅキの話を始めた。

 ミカヅキは、事故死などはしていなかった。これは僕個人の記憶だけれど、以前マルタだった時に訪れた探偵事務所のオガタが言及していた、「どこか遠くの危険な国へ強制的に一人旅をさせたり」という暗躍部隊の手口。これの実際の被害者が、ミカヅキその人だった。ミカヅキは、でも、その国で野垂れ死んだりはしなかった。ミカヅキの学生からの友人の中に、キララマイミという人物がいたからだ。

 このキララという人物は、株式会社HOの社長の、ウンモである。

 話の途中で余談に逸れ、ウンモは「雲母」と書いてキララと読み、正式名称の方が僕たちの呼称よりもふざけたニックネームみたいじゃないか、と談笑が発生もしたが、それはどうでも良いこと。

 とにかくウンモは、同じく学生からの友人であるヘイワと一緒に、ミカヅキを探した。探して、探して、探した。多分、ここの部分こそが、探す、というたった二文字の行為ではあるが、物語として一番濃いのだろうな、と予想する。そして、ついにミカヅキを見付けたウンモは、ミカヅキ、という偽名を与えて彼を匿った。自分の会社を隠れ蓑にして。こうしてミカヅキは、平穏を得られ、今に至る。

「でも、怒ったウンモは黙っちゃいなかった。それが、至高会壊滅大作戦、ってわけ」

「至高会を壊滅? じゃあ打ち上げはまだ先じゃないですか」

「へえ、どうしてそう思う?」

「だって壊滅させたのは暗躍部隊の方ですよ。こう言っちゃあれですけど、ミカヅキさん島流し計画の発注者は至高会なんだから、暗躍部隊を一時的に行動不能にさせたってそれこそただの一時しのぎなだけかと」

「うん、なかなか鋭いね。まったくもってその通り。でも、打ち上げはやるべきだ。要するに、もう全部片が付いた、ってことだね」

 それは、携帯ゲーム機の殺し屋を倒したヘイワが僕の元に駆け寄った時に切った電話の内容と関係してくる。「分かりました。ではシュウさんは一足先に打ち合わせ会場に向かって下さい」とヘイワは言っていた。シュウはその時、暗躍部隊の本部で、至高会との繋がりが克明こくめいに示された物証の確保を完了させていたのだ。

 シュウの仕事を確実なものにするために、至高会はクチナシ村におびき寄せられていた、ということだった。餌は、タシロ。つまり、たった今横で運転をしているクロカワだ。

 タシロがまだ生きていて実は山の中の外界とは隔離された村で生活をしている、という情報は、カエルの名で潜入していたユウサクの工作によって至高会にもたらされていた。

「至高会から殺しを依頼された俺が実はミカヅキさんの関係者だった、なんていうヘイワさんたちもまた、超が付く程の強運な人たちなんだろうね」とクロカワは笑っていた。そこに関しては、どうだろうか、とは思う。それだけヘイワが伝説の殺し屋として名を馳せていたわけで、見方によっては必然にも見えなくもない。ただ、殺し屋業界とは無縁でい続けるべきクロカワには言うべきではないと判断し、黙っていた。

「そう言えば、君さ、シュウ君に何かした?」

「何かって? 何でです? 何もしてないと思いますよ」

「そっかぁ。じゃあ俺の思い過ごしかな。何だか彼、コオロギ君のことをひどく怖がっているように思えたっていうか……、避けてたっていうか……。爆弾野郎、って言ってて」

「爆弾野郎? ……あ!」と、ひょんなことからシュウの正体を知る。

 うわ、今度シュウと話す機会があったら、ちゃんと謝らないと。と心に誓った。爆弾はシャチホコという同業者の迷惑な置き土産だった、と釈明も添えて。シュウの中の僕は今でも、自宅にさえ爆弾を仕掛けるサイコ野郎と位置付けられていそうだ。

「はあ、……クロカワさんから、君は余所者なんかじゃない、ってフォローしてもらって心が軽くなっていましたけど、なんだかなぁ」

「……心中察するよ。さすがに何も知らな過ぎてたね。……ふ、……ふふふ」

 今にも目覚まし時計のアラームみたいに爆音を口から鳴らしそうなクロカワを横目で見ながら、まだ疑問が残っているようなもやもやした感覚があった。

「そうだっ! クロカワさん、まだ爆発は我慢して。お婆さん。まだお婆さんがどこにいるか聞いてないですよ」とクロカワの方へ身を乗り出すと、それを聞いた彼は、一瞬だけ素の顔に戻り、やはり爆発した。「何、何、どうした?」とウンモが欠伸をしながらも好奇心が多く含まれる声で聞いてくる。自分が知らないところで楽しいことが繰り広げられることなど許さない、と言いたげな食い気味の声の掛け方だ。

「あぁ、起こしてしまってすいません。いやぁ……、まさかそんな勘違いの仕方ができるなんてね。ふう、……あのねコオロギ君」

「はい?」

「今日の村さ、クチナシの花、咲いてた?」

「花? そう言えば見かけませんでしたね。あんまり意識してなかったからかもですけど」

「いや、さっきの山には咲いていない。そりゃ野性で少しはあったかもしれないけど、我らが愛する村くらいに名を冠する程の群生はない。……あれ、分からない? あそこはクチナシ村じゃないってことだよ。ねえ社長?」

 最後は語尾が強められた。先程陸の孤島と化したクチナシ村は僕の住んでいたクチナシ村とは違う、ということを事前に説明していない社長を責めるような口調だった。「ノドカ君どうしよう、クロカワ君がご立腹なんだけど」「それについてはコオロギ君、私からも謝らなければなりませんね。申し訳ありませんでした」「ほらほら、ノドカ君もこうして頭下げてることだしさ、許してやりなよぅ。それにレン君の復讐を成就させてあげるのに急ピッチで最後の仕上げを進めてたんだし。……はいっ、現時刻をもって細かいことは言いっこなし禁止令を発令します!」「なあウンモ、俺のため、って言うけどさ、九割方は君個人の感情で動いてたプロジェクトだったぞ。そもそも俺は仕返しなんて子供の喧嘩みたいな真似、面倒以外の何物でもなかったし」「ちょっと待ってよ、それはさ、……ほら、レン君と同じ事されてる人が他にもいるかも、って思ったら……」「ウンモさん、言いっこなし禁止令、では二重否定になってるから、言わなきゃ駄目です法令、と言い換えられますがそれで合ってますか?」「ちょっと待ってノドカ君、その指摘はレン君を論破してからで良いかしら」「分かりました。後程改めて」「論破って何だよ」「やっぱり改めなくて良し」「それに急ピッチで仕上げたの、俺だぞ」「あー、あー、メーデー、メーデー」

 取り残された僕は、立場を共有するクロカワに「まさかと思いますが」と声を掛けた。「後ろのお三方って、みんな同い年ですか? ってことは、社長って、四十……」

 クロカワは口を横一文字にして目を閉じた。僕たちの乗る車は、株式会社HOの地下駐車場入り口へ左折した。

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