第25話 コオロギの話⑧

 台風一過という言葉を聞いてなんとなく安心するのは僕だけではないと思う。それは、自らの周辺をいびつに変形させてしまわないか不安にさせられる猛々たけだけしい暴風雨が過ぎ去ってくれたから、という安堵だ。それが正解だ。でも僕の場合、つい今し方クロカワから「コオロギ君ってもしかしてだけど、台風一過を『台風一家』って言ってるよね」と指摘されるまでずっと、台風の家族ってほんわかするなぁ、という近年稀にみる恥ずかしい間違った安心の仕方をしていた。

 一過、という単語を授業で習う以前に、他人より一足早く、学生生活を卒業していたから。という言い訳をするべきか否か、迷う。クチナシ村の法律上、過去のことは自分から話さない限りずっと秘匿ひとくし続けられるわけだが、多少平均とは違った幼少期について暴露をしてしまう方が、台風一家と言い続けていたことよりもマシに思えなくもない。「コオロギ君。そんなに思い詰めるほどのことじゃないよ」とクロカワが慌てて僕にフォローをしてくる姿もまたいたたまれないわけで、台風であちこち痛んだ住居の修復作業に没頭することで心頭を滅却することにした。

 日付が今日へ移行した時間帯の深夜、台風の本体はここの上空付近を通過し、今はさらさらと残った雲を追い払うように心地良い風を遠くから吹かせて、僕たちに対し申し訳程度に味方面をしている。地上に張り付いている僕たちみたいな小さな生き物にしてみたらそれでもまあまあ邪魔な風速なわけで、今朝方からずっと頑張っていた吹き飛んだ板や屋根の一部などを一箇所へ集まる作業は予定より大分進みが遅く、今、ようやく見通しが立てられたところだった。

 この後は、村の建物を一軒ずつ見て回りそれぞれの破損個所に見合った資材を配っていくよう指示を受けている。昼休憩くらいまでは全員で手分けしてその作業を行い、昼休憩を挟んで、資材配り班と不足資材の調達班と復旧工事班の三チームに分かれて作業をする、という段取りだ。僕は志願することなく最後のチームに振り分けられている。肉体労働は昼までの我慢、ということだ。果たしてそれまで、僕の残量少ない筋繊維たちはつながったままでいてくれるだろうか、少し心配ではあった。でも、こういった団体行動は僕の人生においてかなり珍しいイベントであり、やっていることはわがままな大自然の気まぐれの後始末だけれど、ちょっとだけ楽しく感じていた。

 復旧作業の総指揮官はミカヅキという人物が務めている。本社から派遣されてきたとのことで、はっきりとした物言いで声も大きく、朝からずっと歩き続けて効率の良い人員配置と区画間の資材の分配などを指揮して回っていた。僕の倍以上も生きているというのに、まだまだ僕の倍以上も体力がありそうで、声の大きさよりもそっちの方で委縮してしまう。そういったことも含めて、彼は僕のイメージする上司という人種の条件と一致しており、他意なく「上司」とニックネームを付けたい所存だ。年齢についてはクロカワがこぼしていた。今年で四十八になるらしい。「みんな自分の年齢を覚えているなんて偉いなぁ」という感想はクロカワに一笑に付されたが、前にユウサクにも可笑しいと言われたことを思い出し、年齢を覚えておくことが一般常識なのだと認識を改めることにした。

「作業員は二、三十人くらいはいますけど、ほとんど見ない顔ですね。みんな外部からの応援ですか?」と村の概略図が書かれた紙が挟んであるクリップボードとペンをミカヅキの助手のお兄さんから受け取りながら隣にいるクロカワに尋ねると、「外部、ってどういう意味で言っているかによって返事は変わるかな」と冷静な回答が返って来る。クロカワは元コンサルタント会社勤務で言葉を商売道具の一つとしていただけあり、軽口や世間話などの気軽な会話においても、誤解を招くような曖昧な表現や言葉遣いそのものの間違いをきちんと正してくる。「もし俺たち全員から見た外部って意味なら、答えはノー。みんな俺たちの同僚みたいなもんだからね。でもクチナシ村から見た外部、って意味ならそれは外部だ。もちろん俺もコオロギ君も外部ってことになるね」といった具合でものを教える際にはとても丁寧で、且つ目線を合わせてくれて、さすがクロカワ、である。学のない僕としてはクロカワとの会話は勉強になり刺激にもなり、そこに彼特有の人柄もあって、頼りになる先輩として親しくさせてもらっていた。

 クロカワの方は、僕の教育係をヘイワから任命されているようで、それもあってか、色々と面倒を見てくれている。ユウサクと同じ役割のようだが頼りがいはクロカワの方が断然上で、それはまあ、言わずもがなである。

「僕もクロカワさんの同僚ですか?」

「まあそうなるね。……なんだか変な質問」

「ふうん……、同僚なんだぁ」

「え、嫌かな?」

「あ、いや全然! そうじゃなくて、僕って今、会社員みたいだな、って思って。ほら、みんなウンモさんのこと社長って呼ぶし、クチナシ村を管理する所のことを本社って呼ぶから、なんだか会社みたいじゃないですか」

「…………」

 砂利をこするようなあまり足を上げない歩き方をするクロカワだったが、僕に並んでいたざりっざりっ、という音が不意に止んだ。立ち止まって振り返ると、クロカワが三歩分後方で棒立ちしている。半開きの妙な表情で僕を見ていたかと思うと、突然弾けるように笑い出した。また何か可笑しなことを言ってしまったか、と落ち着かない気持ちでその様子を眺めていたが、彼があまりに長く抱腹ほうふく絶倒ぜっとうしているので、「どうしたんですか?」と笑いどころを尋ねる。クロカワはひいひいと苦しそうに胸を抑えていた。彼が平静を取り戻すまで所在なく待つこと約一分間、やっと呼吸を整えたクロカワは、ヘイワさぁん! と宙に向かって叫んだ。「確かに何もしないって言ってましたけれども!」と、再び乱れ始めた呼吸に難儀しながら捻り出した声には、ヘイワを責めるニュアンスが含まれていた。

「何、何、どういうことですかクロカワさん」

「ははは、はぁ。ごめんごめん、これは君が可笑しくて笑ってるわけじゃないんだ。ふぅ、まったく。ねえコオロギ君、ヘイワさんからはどこまで聞いてるの? あぁいや、何を聞いたか、って言った方が分かり易いかな?」

「何を? んー……目え覚ました時に、おめでとう、って言われた、くらいですかね」

「うん。目覚めた時って?」

「クロカワさんに起こしてもらった時ですよ。ほら、あっちの小屋で。あの……台風が来る前の日だから、一昨日かな」

「あぁ、ってことはウンモ社長とヘイワさんとの三者面談は覚えていない。違う?」

「え、三者面談って何ですか? 社長とは会ったことないですし、顔だって知りません」

 クロカワはそこで合点がいったという表情を見せ、例の、丁寧で平易な説明をしてくれた。それによると、僕は三者面談をしているらしい。時系列で述べられたクロカワの説明は、ヘイワが実は一度も人を殺したことがない殺し屋だ、という話から始まった。


 ヘイワは殺しをしない。

 ヘイワは、依頼を受けた殺しの対象者をクチナシ村に連れてきては匿うんだそうだ。依頼人には、場合によっては身体の一部を提出した上で、殺しが完了したと報告をする。国などに対しても相応の手続きをする。日本国で死んだことにされたクチナシ村の村民たちは全員納税義務を無視する非国民となるわけで、それを教唆きょうさするヘイワは言ってみたら殺し屋ではなく詐欺師、と言えるかもしれない。

 だから、村独自の法律で村外とのコミュニケーションの禁止に類する条項を二重に規定し、村の存在を明るみにさせないことを重視している。第五条の村外への移動の禁止と、第六条の村外への情報開示の禁止がこれに該当する。もともと村全域に電気は通されていないのでインターネットを活用したりすることもできず、第六条に違反することは物理的に不可能と思われるが、それだけ厳重に禁じていることが伺い知れる。

 しかしクチナシ村は閉ざされた空間だ。命を狙われる心配がない充分すぎる平和は、退屈と同じである。いざ匿っても、人間の欲望は自然を愛するためだけに創られておらず、そういった一人の人間によって、外からか内からかは分からないけれど村の存在が明るみになってしまう危険性はゼロにはできない。だからそれを限りなくゼロに近付けるために、入村前と後とである措置が施されていた。それが、ヘイワによる事前審査と、それから定期アンケートだ。

 入村前の措置として、ヘイワはその目で依頼があった対象者をかなり詳しく審査するのだそうだ。審査の基準が具体的にどういったものか分からないけれど、クロカワの予想では、ずばり対象者の人間性、だそうだ。入村後に問題行動を起こすような危険人物、つまり犯罪者やその前兆が伺えるような人格者は不適合とする。あるいは入村後にクチナシ村へ貢献しそうな技能を有する人物は適合への得点が加算される、などだ。

 例えばクロカワ。僕もカミナガからタシロの本名で殺しを引き受けていたが、彼はどうやら至高会の裏側、つまり暗躍部隊に関する物的証拠を入手しており、それによって消されそうになっていた。こんなに善い人なので、当然ヘイワの審査は合格となり、無事クチナシ村にてクロカワの名前をもらうことになったわけだ。

 カミナガが言っていたビッグネームがヘイワのことだとは、僕がこの村でタシロの写真と同じ顔をクロカワの名前で見かけた時に判明していた事だったが、僕がタシロの命を狙っていたことはもちろん今でも秘密にしている。ヘイワが僕より先に彼を殺してくれて本当に良かった、とクロカワのことを好きになればなるほどヘイワにも感謝したくなる。

 余談だけれど、正義の味方気取りができそうな殺しの依頼は全部断る、という伝説の殺し屋が残虐非道な噂をヘイワの名前に背負うことになった起源はここにあった。ただ事実を知る僕たちからすれば、ヘイワは、理不尽な理由で殺しの対象とされる善人を救いたいと願う正義の味方に他ならない。殺し屋に仕事を依頼する人間は、命を狙う動機をその人間の良し悪しでは判断せず、自分たちにとって有害か否かで判断する。僕がマルタと呼ばれていた世界は理不尽で不条理極まりない世界で、ヘイワはそんな狂った世界から厳しい審査の上、間違いなく善人だと言える人間だけを掬い集めて「幸せな村」を築いているのだ。

 そして入村後に定期的に行われていたアンケート。これは、悲しくも善人から堕ちる人物を洗い出していた。みんなが本社と呼んでいた、歴とした会社である株式会社HOは、表向きは再生可能エネルギー事業者とし、裏側ではヘイワの補佐とクチナシ村の管理を行っていて、管理体制の一つとして組み込んでいるAIシステムにより定期アンケートの分析などを行っているそうだ。

 そんな村でも不可解な出来事が起きた。失踪事件である。ユウサク、イズミ、サナエに続き、タイミングの関係で僕は知らなかったが、クロカワも行方をくらませていた。でもそれは、僕から見た一方向的な出来事であって、実際のところは説明可能な事情が存在した。

 ユウサクは株式会社HOの社員だ。そして、クチナシ村の監視員だった。僕のようにヘイワに救ってもらっただけの人間が、定期アンケートで漏れるような些細な堕落の変化をしていないか、それを見張る目的でクチナシ村にいた。そして監視員は、不定期に交代がある。それだけのことだった。

 だから僕が執拗にユウサクを探す様子を見て、ヘイワは真実を知られることなくユウサク探しを諦めさせる面倒な手続きとして、クロカワに指示を出したわけである。その時点でクロカワは僕と同じ株式会社HOの社員ではないただの村民だったようだが、村独自の法律の遵守態度や彼の能力、個性、人柄などの高評価により、異例の速さでHOへの入社が決まっていた。ちなみにイズミとサナエは不合格だそうで、今はクチナシ村よりも拘束力の高い隔離施設で矯正システムを受けているらしい。「不合格? 何でですか?」という問いにクロカワは「君は知らなくても良いかな」と言ったきり詳しく答えてくれなかった。分かるのは、二人の失踪直前に僕の家の前に落ちていたポーチ、それから家宅捜索をしていた際に箪笥の中で見付けた空のジュエリーケースが、互いに第二条の奪う行為禁止に抵触していて、そういったことが他にも目に余るような人たちだった、ということだ。

 クロカワの口からだったが、それでもこれらの事実を教えてもらえている僕は、合格だそうだ。

 知らないうちに、僕は株式会社HOの社員になっていた。先程クロカワが大笑いしたのは、本来はウンモとヘイワとの三者面談を経て入社し、その際にオリエンテーションを実施するはずだそうで、ヘイワはそれらをしれっと自分に丸投げしてきたのが可笑しかったということだった。

 僕は三者面談はきちんとしているらしい。しかし僕がそれを記憶していないのには理由がある。僕は、寝ていた。正確に言えば眠らされていた、である。何故か。それは、株式会社HOへの入社に関する諸々の準備すらまだ時期尚早という段階で、ひょんなことから僕がユウサクを発見してしまったからだ。村を出て行ったという設定だったユウサクを、シュウを尾行してヘイワ宅を見張っていた際に、僕は見てしまった。だから急遽、ヘイワは僕を眠らせ、ウンモに相談するために僕を本社まで運び、そこで入社させる決裁が下されて、それがすなわち三者面談となった、というもの。

 ウンモへの相談は形式的なものでヘイワは最初から僕を入社させるつもりだった、とはクロカワの感想だ。ヘイワがそれを匂わす言及をしていたらしい。だがクロカワと違い、僕には特段飛び抜けた能力があるわけでもないし学もない。入社試験と同義であるクチナシ村での生活はクロカワよりも短いので、審査はおろそかと言わざるを得ない。ヘイワは僕に何を見たのか、という疑問は、クロカワも「そこなんだよなぁ分からないのは。俺ほど優秀とも思えないし」と、にやつきながら同意してきた。でもとにかく晴れて入社が決まった僕は、最初の仕事は台風一過の村の復旧作業、となり、眠っている間にとんぼ返りしてきたクチナシ村の小屋の中で、起き抜けに、ヘイワからの「おめでとう」で入社の儀式と相成あいなった。

「死んだみたいに寝ていたけどさ、それだけクチナシ村の生活に疲れていたってことかい?」と、クロカワは説明の最後に尋ねた。

 確かに肉体的な疲労はピークに達していたかもしれない。でもクロカワの言い方がやや大袈裟に聞こえたので、「死んだように寝てましたか?」と質問で返すと、どうやら丸二日間も眠っていたらしい。殺し屋稼業では体力を消耗することも少なくなかったが、そんなに眠ったことは今まで一度もない。あのままクチナシ村での生活を続けてたらどうなっていたか。ヘイワが僕をクチナシ村から早々に卒業させたのは、あまりに体力がない若僧が見てられなかったから、だったしはしないだろうか。ひ弱が生まれつきだとは言え、面目ない気持ちになる。

「村ってそんなに過酷な環境だったかな。コオロギ君ってまさか、箱入り娘だったりするの? 箸より思い物持ったことないとか」というクロカワには、殺し屋やってました、と正直に話すか、もう二度と女装はしませんから、とジョークで返すか、迷う。

 どちらを選択するか決める前に、道の先にヘイワを見付けて会話は中断した。「村長こんにちは。今日はカフェじゃなかったんですか?」と、ヘイワに声を掛ける。


「ああコオロギ君、こんにちは。クロカワさんもこんにちは。精が出ますね」と、クリップボードを脇に挟む僕の姿を見て仕事中だと察し、いつもの朗らかな表情で挨拶を返してくれた。そしてその調子のまま、「それが実はちょっとした問題が発生してしまいまして」と言った。少しも困った様子が見られないヘイワに自然と笑みがこぼれ、つい「どうしたんですか? ついにウンモ社長から告白でもされましたか?」とからかってしまった。

 ヘイワは首を傾げる。

 渾身のジョークが、渾身すぎたものと思われたが、違った。本当に問題が起きていた。

「いえ、この村が至高会に包囲されちゃってまして……」と言うヘイワからは、やっぱり少しも困った様子が見られなかった。

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