第24話 黒幕の話

「カエルはまだか」

「間もなく。オガタとかいう探偵も一緒だそうでして、おそらく良い話が聞けるかと」

「……そうか。カミナガはいるか」

「ええ、呼びますか?」

「呼べ」

 はいっ、と名前も知らない若僧が威勢よく背中を向けたところで手元にあった灰皿を放り、それが若僧の後頭部に命中する軌道であることを確認してから卓上の受話器に手を伸ばす。ごと、という良い音を聞きながら、電話の相手にカミナガを来させるよう告げた。

 携帯電話を耳にあてながらドアを開けたカミナガは、部屋に入って来るなり、同行していたやはり名前も知らない別の若僧に、足元に転がる若僧の始末を身振りで指示をした。近付く途中で拾い上げた灰皿を俺の手元に戻し、電話を胸ポケットにしまって「鼻でかが何か粗相そそうを?」と姿勢を正してくる。

 それで、俺が今直々じきじきに教育をしてやった若僧の名前を思い出す。役立たず共の名前が覚えられないからカミナガに覚えやすい名前を付けさせたが、やはり役立たずの若僧は役立たずの若僧としてしか認識できないでいた。老いとは憎いものだ。昔は興味の対象外にももう少し脳みそを割いてやれたのだが。

「おいカミナガ。俺は、おそらく、って言葉が嫌いだったよな」

「…………鼻でかには俺の方からきつく言っておきます。申し訳ありませんでした」

「で、カエルはまだか」

 その質問にカミナガは、三十秒で来ます、と答えた。

 灰皿に手を伸ばす。俺も、カミナガも、黙ったまま待った。十八秒をカウントしたあたりでドアがノックされる。カミナガの「入れ」という声を受けて入室するカエルをこの目で確認し、灰皿から手を離した。

「おんやぁ通夜みたいに静かだな」と、カエルは下卑げびた笑みで口元を汚した。「……って毎度のことか。オジさん、只今戻りました」と挨拶してくる後ろに見知らぬ男を連れている。先程の、……名前も知らない若僧が言っていた、オガタとかいう探偵だろう。

「カエル、報告を」とカミナガが促すと、カエルはその男の背中を叩いて俺の目前に立たせた。男は名刺を差し出しながら自己紹介らしきことを口にする。オガタの名前もそうだったが、それの顔や風貌、そしてそれが話すことも全て、記憶するかどうかは報告の内容次第だった。

 俺が無駄を極端に嫌うようになったのはやはり老いが根本の原因と思われる。自らの殺しの技術こそ日を追うごとに磨かれていくのに対し、筋肉と神経系の不具合で、高みに達する技術の再現がどんどん難しくなってきている。今では全盛期と比較して涙が出るくらいに低能になってしまった。もう殺し屋スピッツは死んだ。だから、焦っているのだ。焦りは時間を余計に強く意識させてくる。無駄な問答、無駄な動作、無駄な時間は全て敵だ。

 そのことを踏まえて、オガタから聞いた報告は、オガタをオガタと記憶する価値がある内容だった。

「分かった。休んで良い」と二人を下がらせ、カミナガを手招きする。


「どこで見付けたか知らねえが、オガタとかいう男、お前や俺の人形なんかより使えそうだ。カエルもここの所白星続きだし、お前、その席、整理しておかねえとだな」

「面目ないです。あの……マルタはやはり?」

「ああ、見付からん。折角アザミに頭下げてまで面談のお膳立てしてやったってのになぁ」

 思い出すだけで鼻息荒く机に拳を打ち付けたくなる衝動に駆られるが、物への八つ当たりこそ無駄の極みだよ、と自分の中の理性が言っていた。ただ、もしどこかで、例えばあの図体のでかいわけの分からん男に始末されでもしていたら、その時には理性の声も感情的な色に簡単に染まる。この数年間の人形を育てるのに費やした時間やら何やらが全て無に帰すことになるのだ。冷静でいられるはずもないし、冷静である必要もない。

「ってことは、あれ本気だったんですか?」

「何がだ」

「いえ……その、三組の殺し屋に命を狙わせても生き残るようだったらオジさんが個人的に雇う、ってやつです。……俺はてっきりいつもの社長への嫌がらせかと思ってましたが」

「ああ、まあアザミのバカ息子のことなんか知ったことじゃねえからな、あいつの報復の手伝いなんかに本腰入れねえよ。これまで隠してきた俺の人形を堂々と至高会の一員にできる良い機会だと思ったんだ……ちっ」

「しかしあれですね、全然気付きませんでした。オジさんに後継者がいただなんて」

「静かな隠遁生活を希望します、なんつう平和ボケが通りゃ苦労はねえんだがな。それに俺の人形はな、アザミが殺しを依頼してきた何とかって陶芸家の子供だったんだ。ゴミを拾って育ててました、なんてどの口が言えるんだ」

「陶芸家? それって確か……ヘイワに仕事を回したやつじゃなかったでしたっけ」

「あ? そうだったか?」

「ええ。確か中国の連中と面倒ないざこざの真っ最中に社長から命令されたんですよ。それで、小物は金で解決しちまえっつって」

「あぁ、だからあの小僧ずっとヘイワヘイワ騒いでたのか。名ぁ上げようとしてたとばかり思って取り合わなかったが、相手も選ばねえで復讐なんか企んでたか。……まあ、どっちにしろガキの考えだな。ヘイワにちょっかい出して無事でいられるとでも思ったか」

「オジさんはやたらとヘイワのこと買ってますね。あんなのただの腰抜け野郎ですよ。タシロの一件だって、準備が、準備が、っつって完了報告までにやたら時間かかってたし」

「それはお前の見込み違いか舐められてただけだ。断言する。ヘイワは間違いなく一流だ」

「…………知った感じですね」

「昔、一戦交えた。同じ獲物を取り合ったことがあってな。顔は隠してやがったが、いずれ礼をしてやろうと考えてたんだ……」

 なら丁度良かったですね、と言ったのはカミナガで、不敵に口角を上げていた。「今回のヘイワは下手こきましたね」と言ってオガタが出してきた何枚もの写真に視線を落とす。依然としてヘイワの正体は分からないままだったが、つい最近の日付が記載された机上の写真には、ヘイワから殺害完了の報告があった、死んだはずのタシロの姿が写されていた。廃村のような場所で、のうのうと生きているタシロの姿だ。

「あのオガタって男は信用できるのか?」

「できます。念のためカエルを通さずに調べましたが、こじんまりした事務所に似合わず業界での評価は高いです。事務員と二人でやってる割には実績も平均以上ですし。まあ、大手ではできない際どい裏技が得意、ってところかと」

「カエルを通さずに調べたって……なんだお前、あいつが気に入らねえのか」

「……言いにくいですが、正直」

「実力で人間を見ろ。成果を上げねえやつなんぞ全員カスなんだろ。少なくとも今はカエルよりお前の方がカスだ。忘れるな」という俺の静かな罵倒ばとうを浴び、カミナガは半歩下がって腰を折った。渋い唾液でも飲み込むように「はい」と頷いてくる。自分でも痛いほど分かっていることを他ならぬ俺に言われたことが応えたのだろう。しかし罵倒だけで済ませるとは我ながら甘いな、と感じる。それだけ機嫌が良好だということだ。目の前の写真を脇に避け、ガタ探偵事務所の印字がなされた封筒を手元に引き寄せた。中から報告書を取り出し、椅子に深く身体を預ける。

 報告書には先程オガタから報告がなされた概要の、より詳しい情報が記載されていた。

 今は何よりも、タシロを確実に潰すことが先決だ。それは分かっているが、昔俺が願ったヘイワへのお礼参りも兼ねた仕事にできそうなことが、死んだスピッツの残骸にほんの僅かこびりついていた功名心を揺さぶっていて、そのちょっとした幸運が俺の機嫌を上げている要因だった。ヘイワがどういう了見でタシロの殺害完了の嘘の報告をしてきたのかなどもうどうでも良いこと。事実としては、ヘイワを殺す大義名分が、そして奴の居場所についての情報が、俺の殺し屋としての最期になりそうな今のタイミングで、この手に落ちてきてくれた。それだけで十分である。


「どんな絵図だ?」と神妙な表情のカミナガに尋ねた。どんな計画か? という意味だ。

「はい。クチナシ村とかいう場所に十名ほど兵隊を送り込もうと考えてます」

「その絵図を選んだ根拠は?」

「報告にあったようにヘイワが治める村ですし、ウチをあざむいてまでタシロをかくまうわけですから、何かしらの利害がヘイワとタシロの間にあるはず。それも同時に突き止めたい、と考えての絵図です」

「タシロが確実に村にいる日は? タシロが他の人間に例のブツを渡していないという確証は? その何とかって村の地理的状況は? 裏道、地下道、下水、ヘリ、馬、少しでも逃げ道になり得る手段は残ってないか? 全部確かめろ。良いか、確実に対象を仕留めるための準備は、結果的に無駄になったとしても、それは無駄じゃない。徹底的にやれ」

「心得ています。優秀な斥候せっこうを二名、既に現地に向かわせてます。タシロがブツを他に渡していないかについては本人を拘束してから吐かせるつもりですが、念のためブツの効力を失くす方向で手は打ちました」

「よし。その村には何人住んでいる?」

「オガタの報告では三十四名。斥候の報告でも同じ。その中にはもちろんタシロは含まれます。ヘイワの特定はできていません」

「そうか。……おい」

「はい」

「百人向かわせろ」

「はい……? あ、いえ。分かりました」

「優先ランクA未満の任務をしてるやつらと、それから西の連中も集めれば百人は揃うだろう。はは……甘いなカミナガぁ。もし村人全員が身分を伏せた殺し屋だったらどうするよ? タシロ以外がタシロの護衛だったら? 伝説の殺し屋が村長なんてふざけた真似してるんだ。想像は臆病すぎるくらいで良い。今回タシロを取り逃がしでもしたら次のチャンスがあるとも限らないんだ。コストを最小限に抑えるために、今は最大限にベットしろ」

「了解しました。すぐに取り掛かります」

 相手はヘイワだ心しろ、と言う自分の声が、楽し気であると自覚した。

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