第21話 マルタの話⑩
爆発からおよそ三十分間が経過した。来る、と分かっている爆発のタイミングに合わせるだけなので俺もオジもすぐに伏せることができ、オジの方は長身の男の拘束が弱まる一瞬の隙を狙っての動作だったから多少タイミングが遅れて額や頬に数カ所の出血が見られるものの、それ以外に大きく怪我はなく、地下室に常備している応急手当セットの絆創膏数枚と消毒液数滴の消費で済んでいる。
細かくない被害は、地上の建物の半壊。だがそれにしたって、父から受け継いだ段ボール一箱の無事は心配だったが、それ以外の被害は命よりかは軽いと思われた。
「じゃあオジさん、快適とは言えませんがシャワーでも浴びていて下さい。俺、ちょっと上の様子見てきますんで」とオジにコーヒーを渡しながら親指で上を指した。
爆破で防犯カメラは林に取り付けている二台以外機能を停止していた。ケーブルの断線で済んでいる箇所ならすぐに復旧はできるが、建物の内部に設置していたものは絶望的だろう。地上と地下で電源は独立しているため、今は残ったカメラの映像だけで地上を確認しており、それによれば、消防車や警察の駆け付けはまだない。人里離れた立地が功を奏しているものと思われた。下手したら誰にも気付かれてすらいないこともあり得る。
長身の男が去ったことは間違いないと思われた。地下に逃れてすぐに監視カメラのモニターを点けたところ、生き残ったカメラの映像から林の入り口を往復する一台の車を目撃した。不鮮明な映像では運転手はおろか乗車人数すら特定できなかったが、最低一名、長身の男には仲間がいたということ。近くに待機し何かしらの方法で連絡を取り合っていたのだろうか、ここにやって来たのがあまりに早かったので、トイレ奥の小部屋のエレベーターが作動しなかったら確実に鉢合わせになっていた。
念のため休憩室から車庫へ上がるルートで地上に出た。車庫の中から廃屋の様子を伺ったが、動く人影はなかった。地上に上がった目的の一つは車の被害状況の確認だったので、それはたった今完了した。車には、というか車庫にまでは、爆破の被害は及ばなかった。崩れた地面も乾燥の季節だったことが幸いし、走行に支障が出るほどの変形はない。俺の車でオジの隠れ家に移動しよう、と話をしていたので、その予定は変更せずに済みそうだ。さすがにこの歳になって自転車の二人乗りは嫌だった。
地上に上がった別の目的は、男女二人組の殺し屋の安否の確認。もし生きていたら彼らをここに置いていくわけにはいかないからだ。死んでいたら、それもまあ同じこと。そしてもう一つ。父の遺品を収めた段ボール箱の回収で、どちらかと言えばこちらの方が気がかりだった。
小走りで廃屋へ近寄り、元は勝手口だった建物の東側へ立つ。二人組の殺し屋の男の方が侵入してきた裏口である。この辺りが最も被害が大きい。裏口ドアの横にあったロッカーのような小型物置に爆弾を置いていたからだ。今までこんなに狭い空間で生活していたのか、と呑気に驚いたりしながら、部屋の間取りを思い出しつつ瓦礫を踏み越えていくと、元はリビングルームだった場所で二人組を発見した。呼吸音は問題ない。怪我は……、女の方は問題なさそうだ。切り傷と打撲くらいだろうと思われる。男の方は、瓦礫によって腹部から両足にかけて強い圧迫を受けていて、それをどかしてみないと何とも言えないが、最悪の場合復職は困難かもしれない。最悪、という言葉が正しいかは微妙なところだが。
負傷具合を確認するために破ってしまった服について弁明させられるのが多少面倒だったけれど、まずは女の方を起こした。案の定きんきんとあれこれ説明を求められたが、男の容態を見せて黙らせる。原始的な手錠を外してあげて、俺一人ではどかせなかった瓦礫の撤去を手伝わせた。改めて男の怪我の具合を確認したが、やはり重傷の部類と言えた。あまり気が進まなかったが背に腹は代えられないため、救急車を呼ぶことにした。が、それは女に止められる。現状では間違いなく救急車と警察はセットだからだ。自分たちのかかりつけがあるとのことで、そちらへ行かせてほしい、とお願いされた。俺としてもその申し出を断る理由はなく、念のため連絡先だけ聞いて、解放する。
一息ついてから、廃屋の探索を再開した。
そして、段ボール箱も見付かった。
段ボール素材は二人組ほど頑丈にはできていなかったようで、男よりも被害は大きい。箱が破けて内容物は他の瓦礫と同化してしまっている。通帳とか権利書とか、そういった書類関係は探すだけ徒労に終わる気がしたのですぐに諦めることにした。父の最後の作品も、バラバラになっていた。周囲の状況から、奇跡的にそれだけが無傷、なんてことは期待していなかったので落胆は少ないものの、やはり残念な気持ちになる。決して因果関係はないにしても、父の尊厳というか、存在というか、そういった俺の中に住む父が傷を負うような不快な気分は否めなかった。
瓦礫をどかしながら、父の作品の目立って大きな破片だけを集め、ポケットにしまった。俺の人間味がもう少しまともなら、きっと夕暮れになってもヘッドライトを装着し、
遺品の欠片を発見した時から頭に引っ掛かりが生じていた。水平に上げた目線を巡らせ、西側へ進む。建物の中央辺りに位置する風呂場やトイレを境に、裏口の爆心地から遠ざかるにつれて少しずつ建物が残るようになり、死角が増えていく。途中から床も残っていて、
可笑しなことにこんな状況でも土足で侵入することにやや抵抗を覚えつつ、寝室の奥に進み、目当ての本棚の前に立つ。ここまでは爆発の瞬発的な衝撃しか届かなかったようで、本棚は倒れておらず、本は床に落ちてすらいない。一冊を手に取り、一度も動かしたことのない色褪せて乾ききった表紙を開いた。ポケットの遺品の欠片を取り出し、ページを何枚も何枚もめくりながら目は本の記載と遺品の欠片を往復する。頭では別のことを考えていた。
少しして「……まさかとは思ったけど」とは口から出たが、ビンゴかよ、という言葉は踊り出したくなる気持ちに上書きされて形にならなかった。
通話中を報せる電子音を聞いて、電話を切る。自分の発見をいち早くオジに伝えたかったが、電話で誰かと話しているようだ。
トイレからではなく、車庫まで遠回りして地下へ下り、足音を殺して仕事部屋へ移動した。オジを驚かす、なんて世にも恐ろしいいたずらを思い付くとは、子供心という無知がいかに蛮勇であるかを理性で測れる余裕がないほどに、気分は
地下通路のセンサーが俺の動きに反応して点灯していき、それに気付かれないことを
後悔の理由は、俺のいたずらによってオジが過剰に怒りを発散させるからではない。それよりも何倍も、何十倍も酷い後悔、である。
仕事部屋まで気付かれることなく移動ができ、オジが電話に意識を取られている隙をついてほんの数メートルの距離にまで接近することに成功した。そして、「依頼していた殺し屋は三組だったはずだ」という台詞を聞いた。
いや、聞いてしまった。
頭が、凍結する。
「……違う。そうだ、四人目もいた。誰だったんだ、俺は聞いていない」と話は続いた。
凍結した頭は俺の無意識の防衛反応だったようで、オジの電話の発言から、そんなに早口で話すこともできるなんて意外だな、なんてどうでも良いような感想を抱いた。
「それもあんな一流の殺し屋寄越しやがって、手塩に掛けて育ててきた俺の作品が一瞬で消えるところだったぞ。まさかアザミのやつが裏切ったんじゃねえだろうな。…………あ? 知らねえだと。おいカミナガぁ、俺の目を見て同じ台詞が言えるんだろうな……」
耳が嘘を言っている。嘘を、脳に届けているに違いない、そう思い、振り返って来た道を戻った。戻る際中も、きちんと足音と気配を消せている自分が、染み付いた殺し屋の技術が、何故か物凄く
そこからの記憶はあまりない。何時間も歩き続け、その間、頭が解凍されそうな予感を覚える度に必死でそれに抗い、何も考えず、感じず、何時間も何時間も歩き続けた。どこか遠くに、と思ったけれど、結局同じ道をぐるぐると回っていただけかもしれない。疲労と空腹も正気を引きずり起こすことに協力してしまい、多分同じ日の、深夜。職場である工場の畳の上で、とうとう頭を解凍する。
やけに埃臭く、黴臭い、と感じたのが最初だった。「逃げ場所なんて上等なもん、俺なんかにあるはずないよな」という音声も、埃臭くて黴臭かった。
彷徨った結果、職場の工場に辿り着いていたのはきっと、一般人を演じるために働いていた頃の非現実を懐かしむことで、長年俺を世話してくれていたオジに実は裏切られ続けていたという本当の現実から逃避しようとしていたのだと思う。
工場内をただぼんやりと歩き、眺め、高耐熱耐火シートに非常口マークを転写する用のアイロンをいじってみたりしていた。社員の出欠を表すホワイトボードをふと目にし、そこに「田丸」という自分の名字があることが下手くそな作り物めいていて、違和感でしかなかった。同じボードに「不破」と見付けたのはたまたまじゃかなったかもしれない。もしかしたら、フワという殺し屋が自分の命を狙った過去もこのボードと同じく作り物で、だからフワは今だって俺の貴重な後輩だったりするのではないか、と乱心していたが、それを乱心とは自分では分かるはずもなく、現実から逃避すべき行き先に明朗快活で礼儀正しいおしゃべりなフワを見てしまったことは責められないことだった。
電話をかけた。つながると思った。俺はフワの職場の先輩なのだから、電話に出ないと次の出勤日にいじめてやる、とさえ思った。そしてフワは、電話に出た。俺が期待する、嫌がりながらも親しみが込められた声色ではなかったけれど、「どういうつもりだよ」というフワの久しぶりに聞く声には、それだけでどこかほっとする気持ちにさせられた。
「電話に出る俺も俺だけど、自分を殺そうとした人間に電話をかけるやつも相当アホだぞ。まさか、最近仕事に来ないね、とか言い出すんじゃねえだろうな」とフワは心底迷惑そうに言い放ち、それは敵意が感じられるほどだったが、親切にされながら実は騙されていた、という状況よりは何倍も精神が平和だ。
「最近仕事にこないね。風邪でもひいたか?」
「てめえ、……用がねえなら切るぞ」
「はは、フワは優しいな。用があったら切らないでくれるの……あぁ悪い! 切るな切るな、用はある。用があって電話した……」
「なんだよ。お前もうすぐ死ぬんだろ? 至高会を裏切った馬鹿がいるっつって噂になってるぞ。あ、助太刀とか情けねえ事ぬかしたら業界中にあんたの
「俺に墓が立つわけない。そうじゃなくて……えっと、あれだよ。そう、左目の怪我、大丈夫か? 石ぶつけちゃったからさ」と言い終わる前に、石、あたりで電話は切れていた。
再度電話をかける。特に用件などなかった俺がフワとの電話を終わらせることに危機感を覚えていたのは、現実を直視することを少しでも先送りしたいから、などという女々しい理由からだと思われる。
だが、フワとの会話で、意外な形で、オジの裏切りという現実に色を添えるような、別の現実にも直面することになった。
「いい加減にしろ」と電話に出たフワに「一つだけ教えてほしいことがある」と、たった今捻出した用件をさも本題であるかのように切り出した。もちろん、頭の中では、教えてもらいたいことなんてあったっけ? などと考えていたりするわけだが、どうにか「俺の殺しをフワに依頼したのは誰だ」と、もっともらしい質問をつなげることができ、フワとの電話は通話時間を一秒ずつ上乗せさせていく。
フワは「舐めてる?」と聞いてきた。依頼人が誰かなど、新人殺し屋ですら言うはずもないわけで、フワの言い分は当然だ。だが通話時間の上乗せにこだわる俺は、切り口を変えて再び質問をした。
「オジ、って知ってる?」
「おじ? 何だそれ」
「じゃあスピッツは?」
「あぁ何だよ。目星、付いてんじゃん」
「……ん? 答えになってない。スピッツのことは知っているのか、いないのか?」
「犬だろ」
「いや……、そのスピッツじゃなくて」
「どっちのスピッツも犬だろうが。そいつを親に持つあんたも、つまり犬だ。違うか?」と、ここで会話が途切れる。犬? どういう意味だ? と、フワの発言を消化するのに手こずってしまい、次の言葉が用意できなかった。
「これで満足か」と電話を切ろうとするフワに、辛うじて「フワは……その、飼い主を知っているのか?」と聞いた。この質問が最適だったかは検証していないが、とにかくこれで、現実に直面する。
フワは、「分かりづれえな」と言った。
「犬扱いされたことを怒ってるのか? それともまさか自分が至高会のお抱えだって知らされてなかったのか?」と、言った。
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