第19話 マルタの話⑨

「殺し屋か?」

「ですね。女の方がそこの玄関チャイムを鳴らしてきて、男は堂々と裏口から入ってきました。多分女の方は餌ですね。で、それに食い付いてる対象者の後ろから男が仕事するやり方だと思います。最初からこいつらの戦術はバレバレだったんで、安全、且つ迅速になんやかんやをさせてもらって……で、これです」

 オジは首を一度傾け、ソファに座って気持ちよさそうに気絶している殺し屋たちからあっけなく目を逸らし、室内に視線を移した。乾いた目元ながらまじまじと天井付近を見回す様子から、何か言いそうだなと感じて待つと、「カメラか」と聞いてきた。ですね、と答える。

「なんやかんや」の部分の説明を求められたならば、玄関口に迎え入れた女性が何だかよく分からない市場調査の名目のアンケート用紙を俺に手渡そうとしてきたのでその手首をつかんで軽く捻り、女性の軸足を彼女の後方に払って両手を受け身に使わせ、四つん這いになっているところの後ろから彼女の胸元に手を突っ込んで拳銃を奪い、そのグリップの底をカイロギにしたのと同じ要領でうなじに打ち込んで気絶してもらった、というところから話す。女性が受け身になった際の音に異変を感じてか、背後から襲うはずだった男性が気配を消すこともせずに慌てて現れたので、鈍臭く拳銃を構えようとしたところを一気に距離を詰め、そいつの両手を下から払いのけて近付く勢いそのままに肩で体当たりをし、後はゆっくりと尻もちをついている男性の顎を拳銃のグリップで殴って気絶をしてもらった。それからはカイロギ同様に重労働が待っていて、両手両足を拘束してリビングルームまで引きずり、ソファに座らせるのを二往復。ちなみに、この拘束具は借り物だ。女性が足元に置いていたバッグの中の武器の数々に紛れていた。手錠をごつくしたような一見して手作りと分かる代物で、警察が持つ手錠と異なり腕の太さにフレキシブルな対応ができない単純な造りとなっており、これでは平均的な腕の太さの人物以外、華奢きゃしゃな子供や筋肉隆々の格闘家などは拘束できないだろうと思われる。

 と、「ちなみに」以降の追伸が蛇足か、この説明全てが蛇足かは、説明する相手によって評価が分かれるところだが、言うまでもなく、オジにとっては概要の裏側にあったりするドラマなどは全て蛇足だ。うるさくしていて怒ることはあっても、言葉足らずで怒ることはあまりないオジは、多分、余計なもの、の定義が人よりも若干広義だったりするのだろう。当然「なんやかんやって何だ」などの心温まる質問などはしてはもらえず、オジは、「話せ」とだけ言ってソファの手すり部分に腰を預けた。タシロ殺しの依頼を受けた日から今までの経緯を話せ、という意味だ。付け加えるならば、俺が知っているような余計なことは言わなくて良い、と言外にある。オジとの会話は、自分の命を狙う輩との接触よりも、エキサイティングでスリリングである。

 二人の殺し屋がソファにいたままだったが、仮にこいつらが狸寝入りだったとしても問題ないような情報だけをピックアップして話をした。もしテーブルにコーヒーが置かれていたとしたら、話し終わっても最初の温度を楽しめるくらいに短い時間で済んだ。

 俺の話の締めくくりはオジからの「それは?」という質問で、胸ポケットに刺さっているペンのことだった。俺がペンなど持つはずない、と偏見に満ちたような気付き方だったが、筆記用具を使っての勉学はオジにも内緒の趣味なので、当然の疑問と言えばその通りである。これは筆記用具ではなく先日のシャチホコの置き土産であることを説明し、報告会はオジの順番になった。

 オジからは、カフェでカミナガが口にしていたビッグネームとやらにタシロ殺しの先を越されてしまったことと、アザミに直接会って話ができる機会を得たということを聞かされた。

 タシロの件は残念だったが、アザミとの面会についてはこの騒動を終わらせる唯一の手段と言え、喜ばしいことだ。だが、交渉相手がカミナガかアザミ本人か分からないけれど、そうと知らなかったとはいえアザミの息子だか孫だかに対して俺が行った仕打ちの謝罪ができる機会などそう簡単に得られなかっただろうから、言葉足らずのオジからでは分からない何かの尽力があったに違いない。オジがここに駆け付ける日程を遅らせたのは、きっとその何かの尽力を頑張ってくれていたのだ。これでまた一つ、オジには大きな恩ができてしまったようだ。返す量が追い付く日は来るのだろうか。

 オジは自分の行動を言及しない。そしてオジの行動は俺にそれを尋ねる権利はない。だから彼が話さない限りは、お礼も感涙も表に出すわけにはいかなかった。今の俺には、一日でも早く、一人前として扱ってもらえるように精進を続けることしかできない。


 俺に向けた三組の殺し屋の撃退も済んで、不要になった侵入者のアラームも設定を切っていた。オジも合流し、アザミとの面談もこのあと叶う。穏やかな音色と共にエンドロールが流れてきていてもおかしくない雰囲気だった。そんな中でも依然として神経をとがらせ続けていられる程、俺は成熟していなかった。それは、オジもまた同じだった。

 まるで煙のように滑らかに、音も立てず、出し抜けに、長身の男は現れた。

 リビングルームの隣の部屋から侵入したのだろうか。そこから這ってここまで移動してきたのだろうか。本当に魔法でも見せられているくらいに自然に、ソファの手すりに尻を預けているオジの向こう側で立ち上がり、角度的に俺の視界にそれは映っているものの、声を上げて注意を呼び掛けることすらままならない瞬間の出来事だった。

 長身の男は今、オジの首に右腕を回して身体を密着させている。

 オジは表情こそ一ミリも変えていないが、身体の硬直と緊張は伝わってくる。不動を強要されているようだ。長身の男は、オジの背中に回したこちらからは見えない方の左手に、何かしらの武器を持っているとみて間違いない。拳銃か、刃物か、どちらだとしても状況に差はなく、最悪だ。

 オジが「誰だ」と口火を切った。声はわずかながら細い。首に回されている腕の力の入り具合を知る。長身の男は何も言わなかった。

「どこの誰だか分からないけどさ」と、今度は俺が言葉を発した。呼吸を知られては困るので腹筋に力を入れて一定のリズムで話す。

 話しながらも当然俺の目は長身の男の動きを密に観察していた。今はオジの後ろに隠れているが、もし隠れていなくても、黒い布袋のようなものですっぽり覆っている男の首から上の情報はゼロで、表情も、視線も、感情も読めない。肩の動きで呼吸を読むこともできず、飛び出すタイミングが一切計れない。「ターゲットは俺じゃないの?」などと会話を試みてどうにか状況改善の糸口を探すが、言葉すら発さない人間からはもはや何も知ることはできなかった。

 自分がとれる行動は限られているので、長身の男の観察を続けた。

 薄めの辛子色の長袖のシャツと渋い深緑色のズボンは、両方とも身体の線を明らかにするぴたっとした素材で、収縮性も高そうだ。動いても衣擦れ音を発しない服装は、見た目の迷彩色と合わせて、顔を隠すのに使っている布袋も合わせて、徹底された殺し屋の衣装である。素材によって確認できる身体のシルエットからは、身長との比較では少ない筋肉量と分かるが、オジの拘束する腕は微動だにしておらず、膂力りょりょくにものを言わせるではなく人体構造の理解によって身体の動かし方を知っている人間だと分かる。その点から、俺と似た動きをしそうだ、と予想できた。非力な俺がオジから教わった戦闘は、徹底した観察と予測、そしてことわりを最高位に置いた動き。極意の教えはまた別にあるが、でも現時点で不利なのは、間違いなく圧倒的に俺だった。


 事態が進展しないまま三分、五分、十分、と時計が針を回していく。その間、俺は頭の中で既に百回以上死んでいた。どうにか長身の男を退けたパターンのシミュレーションはあったけれど、オジが死傷する結末とセットになっていて、それは選んではいけないバッドエンドだ。やはりどんな些細なものでも良いから、どうにかして男の情報を取得する必要がある。

「オジさん、何で脅されてるんですか?」と、長身の男が左手に隠し持つ武器の種類を特定しようと試みた。もちろん男の出方を伺うためにあえてした発言だ。オジを拘束する右腕が、オジに発言を許さない力み方を見せた。

 落ち着いている。長身の男もオジも。多分、俺も。

「ねえそこの人、カミナガから依頼を受けたんでは? だとしたら、俺はもうその人からは狙われてないですよ。確認してもらえば分かるんですけど」

「…………」

「それからそのおじさんはただの近所のおじさんですよ。放してはもらえませんか?」

「…………」

「オジさんに何かしたらてめえを殺す」

 不意打ちのつもりで放った圧は、長身の男の顎をわずかに上げることができた。でも、それだけだった。

 それまで俺とオジの二人両方に向けられていた男の意識を俺に集中させることに成功したのだが、オジからはそのわずかな変化は見えない。数秒後には、俺に視野を狭めてしまっていたことを自覚したのか、すぐにまた元の硬直状態に戻ってしまった。

 今ので一つだけ分かったことがある。俺の圧に過不足なく反応してみせたことと、自ら視野が狭まったことを律するまでの速度が目覚ましく、すなわち、長身の男は相当の使い手だということ。三組の殺し屋どころか、最近出くわした同業者のどれよりも特出して手強い。それを知ったことにより、先程までしていたものとは違う新規の策を講じるまでには至らないが、相手の性能の高さが分からなくて曖昧だったいくつかのシミュレーションの結末が、いずれもバッドエンドになる可能性が高いと確定する。負けが濃厚な賭けなどはしなくて済んだ、と考えれば極めて些末さまつではあるけれど収穫と言えば収穫だ。

 思考を継続させる。

 現状維持、つまり俺とオジ二人の動きを止めること、が長身の男の目的だろうか。得られる効果としては、何かの時間稼ぎ? それか、俺とオジのどちらかの消耗を待っている? 確率は低いけれど、長身の男はこの家に俺一人しかいないと思っていて、実際には二人のやり手同業者だったから彼自身も動くに動けず考えを巡らせているところ、という状況もないとは言い切れない。最後の予想はかなりの希望的観測ではあるけれど。

 とにかく現状維持が彼の目的ならば、このまま手をこまねいているのは芳しくない。時間の経過分、より男に有利な状況になりかねないからだ。そんなことはオジも分かっているだろうから、それでも動きに転じないということは長身の男の拘束力そのものか、オジの奴に対する能力の見積もりが高いのだろうと思われる。オジが自力で拘束から脱することは期待しない方が良さそうだ。

 俺が動くのを待っている、という可能性はいかほどか。

 これは、俺が動いたせいでオジが死傷することになったという状況を創り出し、それによって戦意喪失か逆上のような精神かく乱を招かせ、その間に俺も仕留める、という筋書きが読める。又は、俺の物理的な接近を待ってオジへの攻撃と俺への攻撃を短時間で同時に完了させるつもりだろうか。これらの予測も否定できない以上、長身の男を変に挑発することも不用意に近付くこともしない方が良さそうで、また一つ、行動が限定されてしまった。

 十五分間が過ぎた。床に水たまりを作っている俺の汗は、男女二人組をここまで運んだ重労働によるものではない。されど十五分間、という具合に凝縮された時間の中で、何度も長身の男と格闘しては撃破されるを頭で繰り返すのに引っ張られ、身体がまるで運動をしているみたいに熱を持っていた。長身の男の目的かどうか不定のままだけれど、少なくとも俺の身体は刻一刻と凄い速さで消耗していった。相手も同じだろうか。それが分からないこともまた、消耗する手助けとなっていて、このままでは全然良くない。

 拳銃は遊びで発砲したことがある程度だ。だからもし今身に着けていても、戦略を練る材料として拳銃は加味できない。それでも持っているだけで脅しにはなり得ただろうが、その武器も今はテーブルの上に放置されている。俺からは三歩ほども距離があり、手にするには相当の賭けとなる。掛け金がオジの命となれば、百パーセントの勝率がないことには戦えない。

 降参するか。と思っても、相手が目的を明らかにしていない以上は降参後の仕打ちでオジを巻き込むことも考えられ、やはりそこにも賭けられない。せめてオジと何かの行動の起点を共有できれば道はいくつか開かれるのだが、という、今は邪魔なだけのないものねだりの考えが脳裏に大きく浮かんできた時だった。

「やめるな」とオジは言った。

 すかさず「んぐっ」といううめき声もオジの口から聞こえる。

 やめるな、はオジが俺にものを教える際の口癖だ。「考えることをやめるな」が略されているのだが、何においても、相手にとどめを刺している瞬間でさえも、考えることはやめてはいけない。それがオジの教えだ。観察と予測をずっと続ける。最良の一手に到達できるまで、ひたすらに。それができなければ、いずれ俺が殺してきた人たちと同じ側に自分も追いやられてしまう。オジが今それを言ったのは、俺の目か身体から力が抜けたことを認めたからだと思う。

「まさか、後ろの人って実はオジさんのお知り合いだったりして」と、ジョークが思い付くくらいには余裕が戻ってきた。いくら何でもこんな状況下で説教とはオジらしいと言えばあまりにオジらしく、思わず顔がにやけてしまっている。「ただのサプライズだったのに本気を出し過ぎちゃってネタバレのタイミングを失っちゃった、ってやつですか?」と悪ノリを発展させたりもする。俺がふざけてみせたことで少しくらいは空気が変わったことに気持ち悪さを感じてくれたって良さそうなのに、それでも長身の男は微動だにしない。まったくやりづらい相手だ。

 いつでも踏み込めるように両方を軸足と言えるくらいの重心配置を維持しながら、右足を一足分だけゆっくり前に滑らせた。間髪入れずにオジが「それじゃない」と苦しそうに言ってくる。俺の今の動きは不正解、という意味で、オジの首に回された右腕に力が入れられたのか、背中を武器で突かれたのかもしれない。

 長身の男は今のわずかな動きにも反応した。いよいよ、オジの命を握っている人間がかなりの上級者であると認めなくてはならない。しかし苦しい反面、今のオジの言い方から、実践訓練でも受けているような、危機感が薄れてしまうような気分になってくる。「それじゃない」「違う」「不正解だ」「考えろ」「やめるな」は散々言うくせに、オジは正解を告げる言葉を持っていなかった。正解の時には沈黙。そんな記憶がふと頭に投影される。ただ、今は実践訓練ではない。気楽に行動を起こしてばかりいると、赤点失格などない代わりに、命を失う。もちろん補習などもない。

 じわじわと動くのが駄目ならば、やはり突発的な最速で最良の手を忠実に実行するしかないだろう。先程から繰り返しているシミュレーションでは、成功確率は二桁未満だが、もはやそれしかないとも思えてきた。やり直しが利かない一発勝負で勝てる動き。それを突き詰める。

 距離を詰める。は、攻める方向や体勢やフェイントなどのあらゆる動きと動きを掛け合わせてシミュレーションしたが、その中で最もましなパターンでもオジの犠牲が前提だ。では距離は詰めず、オジの補佐に徹する、というのはどうか。先程のように急に圧をぶつけ、長身の男の気をこちらに集める方法。しかし先程は失敗した。二度目は俺の圧が通用しない可能性が高いし、オジと呼吸を揃える必要がある。不可能ではないが、確実ではない。別の方法で、オジが動ける状況を作れないか考える。

 今、俺はどんな服装だろうか。上着の前方はボタンで閉じているだろうか。それともファスナーか。ボタンだったら、それをちぎって奴の目に向けて飛ばし、一瞬の隙を作り出せるかもしれない。いや駄目だ。運悪く、今は作業服だった。動きやすくてポケットが多い上下紺色、という特徴が気に入っている仕事着だが、肝心な時にどの特徴も役に立ちそうにない。ボタンではなく、ファスナーだった。

 他に何かないか。小さくて投げやすい形状で俺がすぐ手に取れる場所にある物は……何もない。目だけ動かすが、スリッパすら履いていなかった。頭の中で盛大な舌打ちをする。


 その時、全身に物凄く強い衝撃を感じた。

 超難問の答えが分かった瞬間の快感を、何倍も強くした衝撃。


「分かった」と口の外に出ない大きさで叫んだ。

 隠し切れない身震いは、長身の男に気付かれてしまったことだろう。しかしそんなこと構わない。それでも確実に長身の男を怯ませる方法があった。その方法は、改めて打ち合わせなどをせずともオジとの連携が上手くいくであろう最良の策だ。とてつもなく大きな代償はあるけれど。

「オジさん、お待たせしました」と笑い、胸ポケットに刺したままのペンまで流れるように手を運ぶ。起爆スイッチを押した。


「正解だ」と聞こえた気がした。

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